18日のLIVEが終わりました。時が流れている限り、
始まって終わって始まって終わってが永遠に続くわけで、
時というのはすました顔で変わらず流れてゆくのだなあ。
あ〜れ〜〜ってな感じで。
中目黒のあの場所で、奇跡的にマトリックスをくぐり抜けて(?)
同じ時を過ごしてくださった全ての皆様に心からの感謝を申し上げたいです。
それ自体が私にとってはミラクルであり、魔法(enchantment)以外の何ものでもありませんでした。
ステージに立つ者が、
ステージ裏の話をするのはどうなのだろうと思ったのですが(スキャンダルとかではなく、笑)、
書いてみようと思います。
今回は、実は、これまで経験したことのないほど、LIVE前の数日が本当に苦しく辛かったのです。
初心者か、私は!というほど、一人ウィーウィー泣いたり、情けない状態でした。
本番当日の朝までそのような状態で「今晩、私は大丈夫なのか。できるのか。」という感じでした。
それは、満足のいくリハーサルができなかったとか、練習不足とか、歌詞を覚えていないという類のものではありません。
具体的にあることに不安を感じていたのですが、割愛するとして、
要は、
「私はこのままの私で受け入れてもらえるのだろうか。愛してもらえるのだろうか。」という、
非常に根本的なことです。
それがたまたまある不安と共に、前面に出てきた、ということだったと思うのです。
そして、更にその核の裏を返せば、ずばり、
「私は自分自身を受け入れているだろうか。そのままの自分自身を愛しているだろうか。
認めているだろうか。」というところに辿り着くのです。
人が自分をどう思うか、という不安や恐怖は、自分が自分をどう思っているか、というのを
ただ反映しているだけなのだと思います。
・・・そんなことにも気づかず(んな、余裕はない)、当日の朝を迎え、
心身共に決して万全とは言えない状態で、午後に現地入りしました。
でも、現地入りすると、必ず気が引き締まります。スイッチが入ります(魔法1)。
一人、二人と仲間たちも入ってきて(魔法2)、そして、サウンドチェック、リハーサルが始まりました。
「今晩LIVEをするステージ」の上で歌い出すと、あることが起きました(魔法3)。
そう、私は・・・
諦めた!!!!
Surrender!! 降伏!!!
「もーしょーがない、どうにかなんだろ。」
ケセラセラ〜〜
ああ、これがニルヴァ〜〜〜ナというのか。
ついに私は中目黒の一角で境地に達したのですっ!
そのまま一瞬体が浮いたかもしれません!(浮いてない)
いよいよ本番。フルハウス。
さあ、DJ AKKYがビヨンセのLove On Topをかけ始めたので、AYUKO、オンステージ!
観客の9割以上が女性で、立ったり座ったりの大騒ぎの大盛り上がりで、
アタクシがステージに登場しても気づかず・・・というまさかの事態で、
おかげで「ま、いっか!アッハハ〜!」と、私のスピリットは更なる高みへとアセンション。
「みんな、始まるよ〜〜!席に着いて〜!」から始まった本番でございました。
(思えば、アレは魔法4だったのかもしれない)
アセンションを達成した身とは言え、やはり最初の1,2曲というのは緊張・・・というか、
自分と相手(観客)をうかがいながら、ゆっくりコミュニケーションを図る感じです。
焦らない。走らない。声張り上げない。。。などなど。
そして、最初のトーク。
そもそもLIVEで長く喋る私は、実はこれに多大なる不安を感じていたのです。
最初はちょっと緊張気味でしたが、「私、おしゃべりが長いんです、喋りたいんです!」と認めた途端、
ニルヴァ〜ナが戻ってきて(魔法5)、あの日で一番長いやつ(削るかどうかをずっと悩んでいた)を、
「だって、アレもコレも全部、みんなに話したいんだもん!」という自分の願いを叶える方を選びました。(
強行突破?笑)
昨日か一昨日、facebookに
「ひたすら自分で在ること以外、何を差し出せよう。
でも、それはとても勇気がいることでもあります。
でもその先にきっと本当の自由があるのだと思います。」
と、いつものように何やら偉そうなことを投稿しましたが、
それが今回のLIVEで最も感じたことだったのです。
そして「すんません、これが私です。私なりに私の最上級の私です」を差し出した時、
何が返ってくるかというと、皆さんの最上級の愛なのです。
それは、歌がうまいとか下手とか、ほれなんだ、あれなんだとかっていう批評を超えた、
無条件の愛のようなもので、それはそれは言葉には出せないほどの・・・(言葉が出ない)・・・何かなのです。
プロですから、お金もいただきますし、
そのための準備を徹底して最高のプロデュースをする、というのは当然のことなのですが、
最後の最後には「ステージの上で、嘘のない生身の人間で在る」ということが、
観客の皆様へ示せる精一杯の誠意なのではと私は信じています。
そして、その誠意を示すためには、
「観客にどう思われるだろうか。愛されるだろうか。受け入れてもらえるだろうか。」という
一切のエゴを捨てる勇気が必要なのだと、私はようやくわかりました。
そして、観客の方々が、私をどう思おうが、受け取ろうが、感じようが、どんなものでも全てOKなのです。
そして、そのエゴを捨てるというのは、
これが私!、と笑って自分を受け入れることなのかもしれません。
自分を認める、愛する、というと、どうもこれまで私は生真面目に考えてきたように思いますが、
「諦めた!アッハハ〜!」というニルヴァ〜ナ体験(笑)をして、
そうか、実はとっても軽やかなことなのでは!?と気づきました。
自分を愛を持って笑えちゃうって、なんて素敵で無敵でしょう。
そして、そうなった時に初めて、
ようやく、自分ではなく相手を見つめ、
愛を発する準備ができるのかもしれません。
LIVE"Enchanted"は、結局のところ、私が一番魔法にかかってしまったのかもしれません。
それは一緒にステージに乗ってくれた仲間たちの魔法、
あの夜、集まってくださった全ての皆さんの魔法、
楽屋の店長をはじめとするスタッフの方々全員の魔法・・・そして中目黒の氏神様の魔法(忘れちゃいかん!)・・・
魔法とは、かかってるのもわからないから魔法というのね、きっと。。。
Thank you for the enchanted night, my dear friends.
ニルヴァ〜〜〜〜〜ナ!
LOVE, AYUKO
歌手AYUKOのページはこちら♪
始まって終わって始まって終わってが永遠に続くわけで、
時というのはすました顔で変わらず流れてゆくのだなあ。
あ〜れ〜〜ってな感じで。
中目黒のあの場所で、奇跡的にマトリックスをくぐり抜けて(?)
同じ時を過ごしてくださった全ての皆様に心からの感謝を申し上げたいです。
それ自体が私にとってはミラクルであり、魔法(enchantment)以外の何ものでもありませんでした。
ステージに立つ者が、
ステージ裏の話をするのはどうなのだろうと思ったのですが(スキャンダルとかではなく、笑)、
書いてみようと思います。
今回は、実は、これまで経験したことのないほど、LIVE前の数日が本当に苦しく辛かったのです。
初心者か、私は!というほど、一人ウィーウィー泣いたり、情けない状態でした。
本番当日の朝までそのような状態で「今晩、私は大丈夫なのか。できるのか。」という感じでした。
それは、満足のいくリハーサルができなかったとか、練習不足とか、歌詞を覚えていないという類のものではありません。
具体的にあることに不安を感じていたのですが、割愛するとして、
要は、
「私はこのままの私で受け入れてもらえるのだろうか。愛してもらえるのだろうか。」という、
非常に根本的なことです。
それがたまたまある不安と共に、前面に出てきた、ということだったと思うのです。
そして、更にその核の裏を返せば、ずばり、
「私は自分自身を受け入れているだろうか。そのままの自分自身を愛しているだろうか。
認めているだろうか。」というところに辿り着くのです。
人が自分をどう思うか、という不安や恐怖は、自分が自分をどう思っているか、というのを
ただ反映しているだけなのだと思います。
・・・そんなことにも気づかず(んな、余裕はない)、当日の朝を迎え、
心身共に決して万全とは言えない状態で、午後に現地入りしました。
でも、現地入りすると、必ず気が引き締まります。スイッチが入ります(魔法1)。
一人、二人と仲間たちも入ってきて(魔法2)、そして、サウンドチェック、リハーサルが始まりました。
「今晩LIVEをするステージ」の上で歌い出すと、あることが起きました(魔法3)。
そう、私は・・・
諦めた!!!!
Surrender!! 降伏!!!
「もーしょーがない、どうにかなんだろ。」
ケセラセラ〜〜
ああ、これがニルヴァ〜〜〜ナというのか。
ついに私は中目黒の一角で境地に達したのですっ!
そのまま一瞬体が浮いたかもしれません!(浮いてない)
いよいよ本番。フルハウス。
さあ、DJ AKKYがビヨンセのLove On Topをかけ始めたので、AYUKO、オンステージ!
観客の9割以上が女性で、立ったり座ったりの大騒ぎの大盛り上がりで、
アタクシがステージに登場しても気づかず・・・というまさかの事態で、
おかげで「ま、いっか!アッハハ〜!」と、私のスピリットは更なる高みへとアセンション。
「みんな、始まるよ〜〜!席に着いて〜!」から始まった本番でございました。
(思えば、アレは魔法4だったのかもしれない)
アセンションを達成した身とは言え、やはり最初の1,2曲というのは緊張・・・というか、
自分と相手(観客)をうかがいながら、ゆっくりコミュニケーションを図る感じです。
焦らない。走らない。声張り上げない。。。などなど。
そして、最初のトーク。
そもそもLIVEで長く喋る私は、実はこれに多大なる不安を感じていたのです。
最初はちょっと緊張気味でしたが、「私、おしゃべりが長いんです、喋りたいんです!」と認めた途端、
ニルヴァ〜ナが戻ってきて(魔法5)、あの日で一番長いやつ(削るかどうかをずっと悩んでいた)を、
「だって、アレもコレも全部、みんなに話したいんだもん!」という自分の願いを叶える方を選びました。(
強行突破?笑)
昨日か一昨日、facebookに
「ひたすら自分で在ること以外、何を差し出せよう。
でも、それはとても勇気がいることでもあります。
でもその先にきっと本当の自由があるのだと思います。」
と、いつものように何やら偉そうなことを投稿しましたが、
それが今回のLIVEで最も感じたことだったのです。
そして「すんません、これが私です。私なりに私の最上級の私です」を差し出した時、
何が返ってくるかというと、皆さんの最上級の愛なのです。
それは、歌がうまいとか下手とか、ほれなんだ、あれなんだとかっていう批評を超えた、
無条件の愛のようなもので、それはそれは言葉には出せないほどの・・・(言葉が出ない)・・・何かなのです。
プロですから、お金もいただきますし、
そのための準備を徹底して最高のプロデュースをする、というのは当然のことなのですが、
最後の最後には「ステージの上で、嘘のない生身の人間で在る」ということが、
観客の皆様へ示せる精一杯の誠意なのではと私は信じています。
そして、その誠意を示すためには、
「観客にどう思われるだろうか。愛されるだろうか。受け入れてもらえるだろうか。」という
一切のエゴを捨てる勇気が必要なのだと、私はようやくわかりました。
そして、観客の方々が、私をどう思おうが、受け取ろうが、感じようが、どんなものでも全てOKなのです。
そして、そのエゴを捨てるというのは、
これが私!、と笑って自分を受け入れることなのかもしれません。
自分を認める、愛する、というと、どうもこれまで私は生真面目に考えてきたように思いますが、
「諦めた!アッハハ〜!」というニルヴァ〜ナ体験(笑)をして、
そうか、実はとっても軽やかなことなのでは!?と気づきました。
自分を愛を持って笑えちゃうって、なんて素敵で無敵でしょう。
そして、そうなった時に初めて、
ようやく、自分ではなく相手を見つめ、
愛を発する準備ができるのかもしれません。
LIVE"Enchanted"は、結局のところ、私が一番魔法にかかってしまったのかもしれません。
それは一緒にステージに乗ってくれた仲間たちの魔法、
あの夜、集まってくださった全ての皆さんの魔法、
楽屋の店長をはじめとするスタッフの方々全員の魔法・・・そして中目黒の氏神様の魔法(忘れちゃいかん!)・・・
魔法とは、かかってるのもわからないから魔法というのね、きっと。。。
Thank you for the enchanted night, my dear friends.
ニルヴァ〜〜〜〜〜ナ!
LOVE, AYUKO
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