*このエピソードの『前編』はこちら!
(『前編』最後から)
『しかし、ここまで書いたのなら、
先に書いた
『母親としての罪悪感 からの
完璧主義の視点から自分を打ちのめす からの
愛されるためには何かを差し出さなければならない からの
私は(愛されるのに)十分ではない という思い込み』
がどういうことなのか、
最後まで書かせて頂かないことには
気が済まぬ。』
では『後編』に参りましょう。
『母親としての罪悪感」の根源というのは、
自分と母を比べてるからです。
母娘ではよくあることだと思いますし、それは認識していたつもりでしたが、
まだ、がっつり存在していた。。。
私の母は昭和の専業主婦で、衣食住に大変興味のある人でした(今も)。
料理がそれはそれは上手で、お料理教室にも通っていたりして、
毎晩、それはそれは手の込んだ美味しい料理が並びました。
それは子供としてとても幸せであったと思いますし、心から感謝している。
が、私はそこまでできない。
お料理は好きな方だと思うけれど、
毎日のこととなると、正直、あそこまでする熱意もないし、
また、私には「家のこと以外のことで大切にしていること」がある。
だから、私は私でいいのだ、母のようにならなくていいし、
なれないんだから、それでいいのだ。
と、言い聞かせていたつもりだったのですが、そうではなかったようです。
私は私でいいのだ、と言い聞かせ、
どうしても疲れている時はご飯だけ炊いて、スーパーのお惣菜だけにしたり、
何ならお弁当にしちゃう時も多々ある。
毎日仕事に出ている訳でもないのに、
どうにもこうにも「夕飯を作る」ことが
しんどくなる時が私には度々あるのです。
夫も娘も息子もそれは困る、嫌だ、という様子もなく、
でも、どこかで私は「母のようになれない自分」に
実は長く罪悪感を持っていたのでしょうね。
どこかで穴埋めせねば。とかね。
元々完璧主義の私ですが、それも認識していて、
随分と和らいだと思うのですが、
その元々の性格と、母と自分を比べる、で
結果、自分を窮地に追いやった。
(追いやってきた)
他の誰も私を責めることはないのに。
私は自分を責めてきたのだと思います。
『愛されるためには何かを差し出さなければならない』
というのは、私が「私で在る」だけでは十分ではないから、
愛されるためにはプラスアルファ何かをしなければならない。ということ。
1月2日以降、感情が溢れ出した時に、
急に私は「家族に愛されていないのではないか」と思い始めたのです。
子供達にとって、私は「十分な母親」ではないのではないか、と。
だから、子供達に愛されていないのではないか、と。
ひたすらGiving(与える)という母親像に押し潰されながら、
自分が思うようにGivingしていないという思い込み。
だからreceiving(受け取る)も上手にできていない、ということ。
そして、それは夫に対しても。
私は自分のものは自分で何とか買うようにしていますが、
その他の「食」「住」は夫の経済力に頼っています。
ですから、その分、頑張らなければ、
家のことをできるだけちゃんとやらなければ、
という考えがいつも深いところにあります。
(どこまで実際できているかは別として、「考え」がある)
それは主婦的な立場の人たちは多かれ少なかれ感じることかもしれません。
また生まれた時代もあるのかもしれません。
「お金」を出してもらっているけれど、
私は「十分であるだろうか」と。
でも・・・
お金、を出してもらってるから、頑張るのか?
私が十分かどうかは、出してもらったお金への代価によるのか?
家族だから、私は私の役割をやる、ではダメなのか?
このことに関して浮上したものは、
夫と私の問題ではなく(なぜなら、このドラマは私の中だけで展開されているからです)、
私が育った時代や環境が根っこにあるということです。
それは「私と家族(実家)とお金」のお話になります。
今年はそれについても掘り下げることを決めました。
これもまた、そこを何とかしないと前に進めない、
そんな、やや根深い課題なのですが、そろそろ向き合う時です。
これはエモーショナルな部分も多々ありますが、
お金についてちゃんと知る、という実用面もあります。
そういうことも見えてきた『1月2日事件』(もはや事件か!)。
結局のところ、
大きくまとめると、
母親として、とか、妻として、というよりも、
深いところに「私は十分ではない」「だから頑張らなければならない」
という、そんなものをずっと持ってきたのかしらね、私は。
それは自分の人生のどのエリアにも影響を及ぼすわけで、
「受け取れない」もそうだったり、
いつまでも自分を認めてあげられない、ということも起こる。
でも、それは全て「私の思い込み」であること。
その思い込みを自分の世界に投影し、投影すれば、
その思い込みどおりの事象が当然、展開される(ように見える)。
その思い込み(もはや「重い込み」)は私が生き生きと前に進むことを阻むもので、
正直、邪魔なわけで、全くもって役に立たない。
おいおい、小さい亜由子がまた泣いてるよ。。。
ブログを通して、
思えば随分と私の「スったもんだエピソードと、その後の成長」を書いて参りましたが、
特にここ3年くらいはかなりギウギウに色々なことが起きて、
昨年末には「いっやあ、かなりきつい一年だったけど、何とか乗り越えたし、
だからもう来年は・・・!」なんて時に、
年明けにドッカーーン!でしたから、
正直、本人も
びっっっっ・・・くり。
でも、事件からの2週間。
色々なことに改めて気づくことができたし、
気づける、ということは、その先へ行く道も見つけられる、ということ。
気づけても、その先への道が見えても、
実はその新しい道へ一歩踏み出すという行為が、
最も難しい。
「私は〜ではない」「私は〜できない」ということへの「罪悪感」を捨て、
「私は十分ではない」
から
「私は十分である」
へ。
そのたかだか2~3文字の変更が、怖くてできない。
「十分ではないから、愛されるために常に頑張っていなければならない」が心地いいわけですから、
自分が十分である、ということを認めるということは、
あった車輪がなくなっちゃうような、バランス崩してどうなっちゃうか分からない状態というか、
「愛されるための頑張り」が必要でなくなるということは、
じゃあ、えっと・・・、その空いたスペースをどうすりゃいいんだ?
ってなっちゃうのです。
でも、私はそのスペースを空けることにしました。
そのスペースには「自分に優しくすること」を入れることにしました。
この2週間はひたすら、そんなことに向き合ってきたと思います。
そういう意味ではすごく忙しかったのです(笑)。
家族は私が、例えば、食事を作ってくれるから、
洗濯をしてくれるから、お掃除をしてくれるから、
私を愛してくれてるのではない、ということ。
それは自分が子供だった頃のことを思い出せばよく分かる。
私は母が美味しい食事を毎日作ってくれたことに感謝こそすれど、
「だから私は母は愛している」ではない。
波乱万丈の人生であり、我が家族に多大なる悲しみをもたらした父だって、
「だから私は父を愛していない」ではない。
完璧な人間も、両親も存在せず、
たとえそこに怒りや悲しみがあったとしても、
絶対にそれだけではなく、
また美しいことだけでもない。
そして、きっと両親にとっての私もそうだったはずだ。
プラスアルファ頑張ったから私を愛してくれたのではない。
どんな娘であろうと、彼らは私を愛してくれたであろう。
(それは自分が親になって分かる)
全部ひっくるめての無条件なのだ、結局。
それを私は自分に向けてやれないだろうか。
小さい亜由子は未だ「条件付き」だと思ってる。
その子を救えるのは私だけだ。
あなたは十分であり、
あなたは愛されている。
もうそれだけでいいではないか。
誰がなんと言おうと。
そうやって、この2週間、意地悪な私が何かを言い出して、
胃がキリキリする度に、私は立ち止まって、
「待った!」をかけ、「私は本当はどうしたい?」と聞く練習をしました。
いつも先回りして、あれしなきゃ、これしなきゃと
自分を焦らせるのも、意地悪な私。
自分の頭の中の言葉に「〜しなきゃ」が出てきたら要注意。
そんなコツも分かってきました。
「あった車輪」がなくなったのだから、
新しい走行の術を学んでいかなければなりません。
もちろん、今度こそ軽やかにスイスイ行けるように。
まだ練習中ですが、続けようと思います。
『前編』『後編』に分けるほどのものだったのか、と思いつつ、
今年もこのような稚拙な文章、無駄に長い、
(アップしてから気づく誤字脱字の多さたるや)
そんなブログを続行させて頂こうと思っております。
今年もどうぞ、気長に、
50次元過ぎても成長を諦めたくない私と
お付き合いいただければ、
この上ない幸せでございます。
2023年初ブログ、これにて「完」!!!
(長過ぎるだろ)
感謝と愛を込めて
AYUKO
まずは春に向けて走行中。
*聴くブログ!?「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
このブログのカテゴリー「Sound Blog」から是非どうぞ!
クリックしてすぐに聴けるようになっています。
私のオフィシャル・ページを
どうぞご訪問くださいませ。
(最近、ちょとだけリニューアルしました。
音楽もここからSoul Musicのスタイルへと絞っていきます)
プロフィール(なのでラストも少し変わりました)、経歴、ライブ情報、
それから私の歌も試聴(ミュージカル曲はもうないよ〜)できます!
https://www.ayukosaito.com
Instagram https://www.instagram.com/ayuko.is.here/
Twitter https://twitter.com/AyukoSaito
↓私の過去のlLIVE映像などはYoutubeでアップしています
https://www.youtube.com/channel/UCZiH2XUoIk7XVpWLuowKDUA
(『前編』最後から)
『しかし、ここまで書いたのなら、
先に書いた
『母親としての罪悪感 からの
完璧主義の視点から自分を打ちのめす からの
愛されるためには何かを差し出さなければならない からの
私は(愛されるのに)十分ではない という思い込み』
がどういうことなのか、
最後まで書かせて頂かないことには
気が済まぬ。』
では『後編』に参りましょう。
『母親としての罪悪感」の根源というのは、
自分と母を比べてるからです。
母娘ではよくあることだと思いますし、それは認識していたつもりでしたが、
まだ、がっつり存在していた。。。
私の母は昭和の専業主婦で、衣食住に大変興味のある人でした(今も)。
料理がそれはそれは上手で、お料理教室にも通っていたりして、
毎晩、それはそれは手の込んだ美味しい料理が並びました。
それは子供としてとても幸せであったと思いますし、心から感謝している。
が、私はそこまでできない。
お料理は好きな方だと思うけれど、
毎日のこととなると、正直、あそこまでする熱意もないし、
また、私には「家のこと以外のことで大切にしていること」がある。
だから、私は私でいいのだ、母のようにならなくていいし、
なれないんだから、それでいいのだ。
と、言い聞かせていたつもりだったのですが、そうではなかったようです。
私は私でいいのだ、と言い聞かせ、
どうしても疲れている時はご飯だけ炊いて、スーパーのお惣菜だけにしたり、
何ならお弁当にしちゃう時も多々ある。
毎日仕事に出ている訳でもないのに、
どうにもこうにも「夕飯を作る」ことが
しんどくなる時が私には度々あるのです。
夫も娘も息子もそれは困る、嫌だ、という様子もなく、
でも、どこかで私は「母のようになれない自分」に
実は長く罪悪感を持っていたのでしょうね。
どこかで穴埋めせねば。とかね。
元々完璧主義の私ですが、それも認識していて、
随分と和らいだと思うのですが、
その元々の性格と、母と自分を比べる、で
結果、自分を窮地に追いやった。
(追いやってきた)
他の誰も私を責めることはないのに。
私は自分を責めてきたのだと思います。
『愛されるためには何かを差し出さなければならない』
というのは、私が「私で在る」だけでは十分ではないから、
愛されるためにはプラスアルファ何かをしなければならない。ということ。
1月2日以降、感情が溢れ出した時に、
急に私は「家族に愛されていないのではないか」と思い始めたのです。
子供達にとって、私は「十分な母親」ではないのではないか、と。
だから、子供達に愛されていないのではないか、と。
ひたすらGiving(与える)という母親像に押し潰されながら、
自分が思うようにGivingしていないという思い込み。
だからreceiving(受け取る)も上手にできていない、ということ。
そして、それは夫に対しても。
私は自分のものは自分で何とか買うようにしていますが、
その他の「食」「住」は夫の経済力に頼っています。
ですから、その分、頑張らなければ、
家のことをできるだけちゃんとやらなければ、
という考えがいつも深いところにあります。
(どこまで実際できているかは別として、「考え」がある)
それは主婦的な立場の人たちは多かれ少なかれ感じることかもしれません。
また生まれた時代もあるのかもしれません。
「お金」を出してもらっているけれど、
私は「十分であるだろうか」と。
でも・・・
お金、を出してもらってるから、頑張るのか?
私が十分かどうかは、出してもらったお金への代価によるのか?
家族だから、私は私の役割をやる、ではダメなのか?
このことに関して浮上したものは、
夫と私の問題ではなく(なぜなら、このドラマは私の中だけで展開されているからです)、
私が育った時代や環境が根っこにあるということです。
それは「私と家族(実家)とお金」のお話になります。
今年はそれについても掘り下げることを決めました。
これもまた、そこを何とかしないと前に進めない、
そんな、やや根深い課題なのですが、そろそろ向き合う時です。
これはエモーショナルな部分も多々ありますが、
お金についてちゃんと知る、という実用面もあります。
そういうことも見えてきた『1月2日事件』(もはや事件か!)。
結局のところ、
大きくまとめると、
母親として、とか、妻として、というよりも、
深いところに「私は十分ではない」「だから頑張らなければならない」
という、そんなものをずっと持ってきたのかしらね、私は。
それは自分の人生のどのエリアにも影響を及ぼすわけで、
「受け取れない」もそうだったり、
いつまでも自分を認めてあげられない、ということも起こる。
でも、それは全て「私の思い込み」であること。
その思い込みを自分の世界に投影し、投影すれば、
その思い込みどおりの事象が当然、展開される(ように見える)。
その思い込み(もはや「重い込み」)は私が生き生きと前に進むことを阻むもので、
正直、邪魔なわけで、全くもって役に立たない。
おいおい、小さい亜由子がまた泣いてるよ。。。
ブログを通して、
思えば随分と私の「スったもんだエピソードと、その後の成長」を書いて参りましたが、
特にここ3年くらいはかなりギウギウに色々なことが起きて、
昨年末には「いっやあ、かなりきつい一年だったけど、何とか乗り越えたし、
だからもう来年は・・・!」なんて時に、
年明けにドッカーーン!でしたから、
正直、本人も
びっっっっ・・・くり。
でも、事件からの2週間。
色々なことに改めて気づくことができたし、
気づける、ということは、その先へ行く道も見つけられる、ということ。
気づけても、その先への道が見えても、
実はその新しい道へ一歩踏み出すという行為が、
最も難しい。
「私は〜ではない」「私は〜できない」ということへの「罪悪感」を捨て、
「私は十分ではない」
から
「私は十分である」
へ。
そのたかだか2~3文字の変更が、怖くてできない。
「十分ではないから、愛されるために常に頑張っていなければならない」が心地いいわけですから、
自分が十分である、ということを認めるということは、
あった車輪がなくなっちゃうような、バランス崩してどうなっちゃうか分からない状態というか、
「愛されるための頑張り」が必要でなくなるということは、
じゃあ、えっと・・・、その空いたスペースをどうすりゃいいんだ?
ってなっちゃうのです。
でも、私はそのスペースを空けることにしました。
そのスペースには「自分に優しくすること」を入れることにしました。
この2週間はひたすら、そんなことに向き合ってきたと思います。
そういう意味ではすごく忙しかったのです(笑)。
家族は私が、例えば、食事を作ってくれるから、
洗濯をしてくれるから、お掃除をしてくれるから、
私を愛してくれてるのではない、ということ。
それは自分が子供だった頃のことを思い出せばよく分かる。
私は母が美味しい食事を毎日作ってくれたことに感謝こそすれど、
「だから私は母は愛している」ではない。
波乱万丈の人生であり、我が家族に多大なる悲しみをもたらした父だって、
「だから私は父を愛していない」ではない。
完璧な人間も、両親も存在せず、
たとえそこに怒りや悲しみがあったとしても、
絶対にそれだけではなく、
また美しいことだけでもない。
そして、きっと両親にとっての私もそうだったはずだ。
プラスアルファ頑張ったから私を愛してくれたのではない。
どんな娘であろうと、彼らは私を愛してくれたであろう。
(それは自分が親になって分かる)
全部ひっくるめての無条件なのだ、結局。
それを私は自分に向けてやれないだろうか。
小さい亜由子は未だ「条件付き」だと思ってる。
その子を救えるのは私だけだ。
あなたは十分であり、
あなたは愛されている。
もうそれだけでいいではないか。
誰がなんと言おうと。
そうやって、この2週間、意地悪な私が何かを言い出して、
胃がキリキリする度に、私は立ち止まって、
「待った!」をかけ、「私は本当はどうしたい?」と聞く練習をしました。
いつも先回りして、あれしなきゃ、これしなきゃと
自分を焦らせるのも、意地悪な私。
自分の頭の中の言葉に「〜しなきゃ」が出てきたら要注意。
そんなコツも分かってきました。
「あった車輪」がなくなったのだから、
新しい走行の術を学んでいかなければなりません。
もちろん、今度こそ軽やかにスイスイ行けるように。
まだ練習中ですが、続けようと思います。
『前編』『後編』に分けるほどのものだったのか、と思いつつ、
今年もこのような稚拙な文章、無駄に長い、
(アップしてから気づく誤字脱字の多さたるや)
そんなブログを続行させて頂こうと思っております。
今年もどうぞ、気長に、
50次元過ぎても成長を諦めたくない私と
お付き合いいただければ、
この上ない幸せでございます。
2023年初ブログ、これにて「完」!!!
(長過ぎるだろ)
感謝と愛を込めて
AYUKO
まずは春に向けて走行中。
*聴くブログ!?「Soul Quest Sound Blog」という
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(最近、ちょとだけリニューアルしました。
音楽もここからSoul Musicのスタイルへと絞っていきます)
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