「許す」ということは
一体どういうことなのであろう。
自分の過ち・・・
大失敗をしてしまった
誰かに酷いことをしてしまった、言ってしまった、
傷つけてしまった
誰かの過ち・・・
誰かの大失敗によって災いを被った
誰かに酷いことをされた、言われた、
傷つけられた
自分か、誰か、がそこにいるわけですが。
私たちは生きていると、
必ずそのようなことに合うと思います。
そこで「許す」とはどういうことなのか。
それは決して
「それで良い」「それでOK」ということではなく、
「今」「ここから」生きてゆくために、
「過去のそれら」にもう「足を引っ張らせない」、
ということだと思うのです。
自分であれ、
誰かであれ、
起こしてしまったこと、
起きてしまったこと、
の事実は変えられない。
でもそれらを「許せない」ことで
誰が苦しむのか。
それは自分自身である、ということです。
前に進めないことが苦しいのです。
いつまでも、
自分を責め続け、
誰かを責め続け、
その重荷を背負い続け、
過去の亡霊に取り憑かれたまま、
そこから自由になれない。
許す、ということは、
その過去の亡霊から自分を自由にすること、
だと思っています、私は。
誰しもが
過ちを犯します。
人間ですから。
そして、
許すことは、しばしば、
とても勇気がいる、
ということも分かります。
それを許してしまったら、
どうなってしまうのだろう。
許していいのだろうか、本当に?
自分の中の罪悪感、恥の気持ち、
もしくは誰かへの怒りや悲しみ、
その中に長くいると、
そこから自由になることが
逆に怖くなるのかもしれません。
でも、重荷はどんどん重くなり、
自由に動けない。前に進めない。
何かしようとすると、
その過去の亡霊が忍び寄る。
「ねえ、前もそんなことなかった?
前もそれで失敗しなかった?
前もそうやって誰かを傷つけたり、
傷つけられたりしなかった?」
「もういい」のに、
「本当に重荷を下ろしていいの?
手を離していいの?」と。
「許す」という挑戦は
人が生きていく上で、
最もチャレンジングなものの一つかもしれません。
少なくとも、私にとっては。
私の場合は「自分を許すこと」です。
そんなテーマに改めて気付かされたのは
昨日のことでした。
中高時代からずっと仲のいい友人が、
2年8ヶ月ぶりにカナダから帰ってきて、
今は大阪にいるので、
久しぶりにZoomでおしゃべりをしたのです。
彼女は双子ちゃんの子供たちと一緒に
カナダにいたわけですが、
子供達の話だったり、彼女自身の話だったり、
これからのことだったりを話してくれました。
私も2年ぶりにLIVEをする話、
この2年間の変化、これからのこと、
そんな話をしました。
そこで、私たち二人の恩師の話になりまして。
先生の話はこのブログでも何度かお話をしたことがあります。
私のLIVEに必ず足を運んでくださる、あの先生です。
2年前のLIVEというのが、
私にとって大きな分岐点となったわけですが、
その時にも先生に励まされました。
LIVEの翌日には必ずお電話でお話ししてくださる先生、
あの時は先生は泣きながら
私に大切なことを伝えてくださった。
その先生との対話からブログも書きまして、
Facebookにもリンクを貼ったのでしたが、
それに対しての先生のコメントがあり、
彼女はそれを読み、とても印象的だったと。
「もう自分を許しなさい」
彼女曰く、その通りの言葉であったかどうかは
定かではないのだけれど、
彼女の中ではそういう意味合いとして、
とても印象深く、今でも覚えているという。
彼女とは2時間近くビデオ電話したのですが、
そのエピソードが私の中で残りまして。
「自分を許す」とは一体どういうことか。
Forgivenessという言葉は、
ここ数ヶ月、オラクルカードでもよく出てくるのです。
その度に私は
「自分を?誰を?何を?」
と未だ、腑に落ちてないのです。
ただ何らかのForgiveness,許しが
必要であるということだけで。
でも、昨日の彼女との対話の中で、
またしても、今度は恩師の言葉を通して、
その言葉が現れた。
「もういいよ。自分を許しなさい。」と。
先ほどにも書きましたが、
「許してない」という状態があまりにも長いとそれが普通で、
自分が、例えば、何かに苦しんでいても、
それが原因だということにも気づけないのです。
自分を許していない。
はい。そうですか。
じゃあ、自分の何を?
と、なるのです。
いや、もちろん過去の大失敗なんていっぱいあるけど、
どうもそういうことではないのではないかと。
彼女と話しながら、
もしかして、と思ったことがあります。
それは。
彼女は「私たち似てるところあるよね」から始まり、
「長女だからさ」
というところへ進み・・・
長女だからかどうかはともかくとして、
(確かに「長女気質」というのは実際あるとは思いますが)
私はね。
いつも「何かをしていなければならない」
「自分から動かないといけない」
というのが確かにあります。
何においても、まずは自分が動かないと「いけない」と。
行動力というのは、
私自身、自信を持って「あります!」と言える能力だと思っていますが、
そこに「〜しないといけない」」が前提にあるとなると
ちょっと話は変わってくる。
今日も少しそれについて考えたのですがね。
「何かをしていなければならない」
「自分から動かないといけない」
「何もしない、できない自分ではいけない」
「ただ在る、だけではいけない」
「だから、自分を証明しなければいけない」
つまり、そうじゃないと
自分は認められない、
愛されない、
受け入れてもらえない、
そういう恐怖感が根底にあるのではないか、と思いましてね。
「〜しないといけない」という英語で言う「Must」というのは、
自分が自分に課した重荷です。
それは決してポジティブなものじゃない。
先生がコメントでおっしゃった
「自分を許しなさい」
というのがこれに繋がるものかは分からない、
けれど再び私は「自分を許すこと」と
向き合わされている。
もしも、先生のお言葉を拝借するのならば、
「いつも何かをしなければいけない、
いつも自分から行動しなければならない」
と、
自分を痛めつけるのをもうやめなさい、
ということかもしれない、と。
「もういいんだよ、
何もしなくたって、あなたはいいんだよ。
そのままで愛され、受け入れられるんだよ。」
と。
「何かをすれば」「行動をすれば」
という条件など必要ないのだ、と。
自分に対しての「愛されるための条件」というムチから
手を離して、そのままのあなたを許しなさい、と。
常に
「獲りにいかないと欲しいものは手に入れられない」
「自分が動かなければ誰も動いてくれない」
「待っていても誰も私のところには来てくれない、
だから、自分から行かなくちゃ」
って。
もちろん、自分が望むものを獲りに行くexcitement、
自分から行動して結果を出す充足感、
誰かが何とかするのを待っていないで自ら動くという積極性、
それは良い。
でもやはり、それらが「〜したい」ではなく、
「〜じゃないといけない」と、
他に選択肢のない、ひたすら自らに課すものとなると
それは自然なものではないのです。
そして、それってね。
ある意味、自分の周りに壁を作って
孤立化させているのですよね。
人が入ってきてくれるスペースを空けてない、
ということでもあるのです。
自分を信頼し、
人を信頼していたら、
本当は自分の動きも人の動きも
とても美しく循環するはずなのに。
それを信頼できないから、
スペースをいつも自分で埋めてしまう。
先回りして、
自分にとっての最悪の事態、つまり、
「私は取り残されて一人ぼっち」を避けるために、
人が入ってきてくれるのを待たないで、
自分から動いてしまう。。。
つまり、
Giving(与える)という仮面を被って、
Receiving(受け取る)から逃げる、
そういうパターン。。。
彼女が言ったのです。
「本当はただそこで咲いてればいいのよね。
お花みたいに」と。
お花はそこにただ美しく咲いている。
誰が通りがかろうが、かからまいが、
関係ない。
移動することはできないけれど、
問題ないの。
だって、ミツバチが勝手に来てくれるもの、
甘い優しい香りに誘われて、
ただ、そこに咲いているだけで。
そして、来てくれたミツバチに、
自分の密をgivingするの。
陽が差し、雨が降り。
でも、お花は徹底して、
お花であるのよね。
そしてそれに対して
何の疑問もなければ、
不安になることもない。
お花って、Receivingの天才だわ。
私にとって「自分を許すこと」というのは、
お花を見習うことだと思うのです。
そこで咲いてりゃいいの、とりあえず、笑。
それ以上のことを「何とかしなきゃ」って思わなくていいの。
その「何とか」は他の誰かの役目であり、
その役目を奪い取っちゃダメなの。
私、という花は、(皆さんもそうよ)
条件無しで存在している。
それぞれの光を放ちながら、
ただそれだけでいい。
「そのまんまじゃダメだから、
何とかしなさい」
という習慣化されたムチは
随分と古くなり、ボロボロになり、
もうお役目は終わるのです。
「自分を許しなさい」
という先生の言葉は、
昨日、長年の友人を通して、
もう一度私のところに巡ってきて、
ああ、そうか。
もう、自分を許していいのか。
と、ようやくその「意味」が
腑に落ちそうなところです。
LIVEの公式告知&予約開始のお知らせです!
AYUKO Soul Quest LIVE
10月28日(土)@大塚Welcome Back
Open:18:15 Start:19:00
Charge:¥4000 (+1ドリンク)
約2年ぶりとなる今回のLIVEから
オリジナル曲をお届けして参ります。
最後の航海への出航!
ソウルフルなAYUKOワールド全開のLIVEへ
是非、お越しくださいませ!
AYUKO SAITO (Vo)
Kaz Nihonyangi (Keys)
Izuru Asami (Gtr)
Shigeki Umezawa (Bass)
Toshiyuki Kasuga (Ds)
and
DJ AKKY as a special guest DJ
ご予約はWelcome Back HPの
「予約フォーム」からお願いいたします。
*ご予約されますとお店いから予約確認メールが
届きます。受信ドメイン制限をされてる方は
ご注意くださいませ。
大塚Welcome Back HP
メンバー一同、皆様のお越しを楽しみにしております!
ついに(?)英語のブログを始めました。
「英語、OKよ!」という方がいらっしゃいましたら、
是非そちらも覗いてみてくださいね。
AYUKO Soul Quest Blog (English)
*聴くブログ!?「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
このブログのカテゴリー「Sound Blog」から是非どうぞ!
クリックしてすぐに聴けるようになっています。
私のオフィシャル・ページを
どうぞご訪問くださいませ。
(最近、ちょとだけリニューアルしました。
音楽もここからSoul Musicのスタイルへと絞っていきます)
プロフィール(なのでラストも少し変わりました)、経歴、ライブ情報、
それから私の歌も試聴(ミュージカル曲はもうないよ〜)できます!
https://www.ayukosaito.com
Instagram https://www.instagram.com/ayuko.is.here/
Twitter https://twitter.com/AyukoSaito
↓私の過去のlLIVE映像などはYoutubeでアップしています
https://www.youtube.com/channel/UCZiH2XUoIk7XVpWLuowKDUA
一体どういうことなのであろう。
自分の過ち・・・
大失敗をしてしまった
誰かに酷いことをしてしまった、言ってしまった、
傷つけてしまった
誰かの過ち・・・
誰かの大失敗によって災いを被った
誰かに酷いことをされた、言われた、
傷つけられた
自分か、誰か、がそこにいるわけですが。
私たちは生きていると、
必ずそのようなことに合うと思います。
そこで「許す」とはどういうことなのか。
それは決して
「それで良い」「それでOK」ということではなく、
「今」「ここから」生きてゆくために、
「過去のそれら」にもう「足を引っ張らせない」、
ということだと思うのです。
自分であれ、
誰かであれ、
起こしてしまったこと、
起きてしまったこと、
の事実は変えられない。
でもそれらを「許せない」ことで
誰が苦しむのか。
それは自分自身である、ということです。
前に進めないことが苦しいのです。
いつまでも、
自分を責め続け、
誰かを責め続け、
その重荷を背負い続け、
過去の亡霊に取り憑かれたまま、
そこから自由になれない。
許す、ということは、
その過去の亡霊から自分を自由にすること、
だと思っています、私は。
誰しもが
過ちを犯します。
人間ですから。
そして、
許すことは、しばしば、
とても勇気がいる、
ということも分かります。
それを許してしまったら、
どうなってしまうのだろう。
許していいのだろうか、本当に?
自分の中の罪悪感、恥の気持ち、
もしくは誰かへの怒りや悲しみ、
その中に長くいると、
そこから自由になることが
逆に怖くなるのかもしれません。
でも、重荷はどんどん重くなり、
自由に動けない。前に進めない。
何かしようとすると、
その過去の亡霊が忍び寄る。
「ねえ、前もそんなことなかった?
前もそれで失敗しなかった?
前もそうやって誰かを傷つけたり、
傷つけられたりしなかった?」
「もういい」のに、
「本当に重荷を下ろしていいの?
手を離していいの?」と。
「許す」という挑戦は
人が生きていく上で、
最もチャレンジングなものの一つかもしれません。
少なくとも、私にとっては。
私の場合は「自分を許すこと」です。
そんなテーマに改めて気付かされたのは
昨日のことでした。
中高時代からずっと仲のいい友人が、
2年8ヶ月ぶりにカナダから帰ってきて、
今は大阪にいるので、
久しぶりにZoomでおしゃべりをしたのです。
彼女は双子ちゃんの子供たちと一緒に
カナダにいたわけですが、
子供達の話だったり、彼女自身の話だったり、
これからのことだったりを話してくれました。
私も2年ぶりにLIVEをする話、
この2年間の変化、これからのこと、
そんな話をしました。
そこで、私たち二人の恩師の話になりまして。
先生の話はこのブログでも何度かお話をしたことがあります。
私のLIVEに必ず足を運んでくださる、あの先生です。
2年前のLIVEというのが、
私にとって大きな分岐点となったわけですが、
その時にも先生に励まされました。
LIVEの翌日には必ずお電話でお話ししてくださる先生、
あの時は先生は泣きながら
私に大切なことを伝えてくださった。
その先生との対話からブログも書きまして、
Facebookにもリンクを貼ったのでしたが、
それに対しての先生のコメントがあり、
彼女はそれを読み、とても印象的だったと。
「もう自分を許しなさい」
彼女曰く、その通りの言葉であったかどうかは
定かではないのだけれど、
彼女の中ではそういう意味合いとして、
とても印象深く、今でも覚えているという。
彼女とは2時間近くビデオ電話したのですが、
そのエピソードが私の中で残りまして。
「自分を許す」とは一体どういうことか。
Forgivenessという言葉は、
ここ数ヶ月、オラクルカードでもよく出てくるのです。
その度に私は
「自分を?誰を?何を?」
と未だ、腑に落ちてないのです。
ただ何らかのForgiveness,許しが
必要であるということだけで。
でも、昨日の彼女との対話の中で、
またしても、今度は恩師の言葉を通して、
その言葉が現れた。
「もういいよ。自分を許しなさい。」と。
先ほどにも書きましたが、
「許してない」という状態があまりにも長いとそれが普通で、
自分が、例えば、何かに苦しんでいても、
それが原因だということにも気づけないのです。
自分を許していない。
はい。そうですか。
じゃあ、自分の何を?
と、なるのです。
いや、もちろん過去の大失敗なんていっぱいあるけど、
どうもそういうことではないのではないかと。
彼女と話しながら、
もしかして、と思ったことがあります。
それは。
彼女は「私たち似てるところあるよね」から始まり、
「長女だからさ」
というところへ進み・・・
長女だからかどうかはともかくとして、
(確かに「長女気質」というのは実際あるとは思いますが)
私はね。
いつも「何かをしていなければならない」
「自分から動かないといけない」
というのが確かにあります。
何においても、まずは自分が動かないと「いけない」と。
行動力というのは、
私自身、自信を持って「あります!」と言える能力だと思っていますが、
そこに「〜しないといけない」」が前提にあるとなると
ちょっと話は変わってくる。
今日も少しそれについて考えたのですがね。
「何かをしていなければならない」
「自分から動かないといけない」
「何もしない、できない自分ではいけない」
「ただ在る、だけではいけない」
「だから、自分を証明しなければいけない」
つまり、そうじゃないと
自分は認められない、
愛されない、
受け入れてもらえない、
そういう恐怖感が根底にあるのではないか、と思いましてね。
「〜しないといけない」という英語で言う「Must」というのは、
自分が自分に課した重荷です。
それは決してポジティブなものじゃない。
先生がコメントでおっしゃった
「自分を許しなさい」
というのがこれに繋がるものかは分からない、
けれど再び私は「自分を許すこと」と
向き合わされている。
もしも、先生のお言葉を拝借するのならば、
「いつも何かをしなければいけない、
いつも自分から行動しなければならない」
と、
自分を痛めつけるのをもうやめなさい、
ということかもしれない、と。
「もういいんだよ、
何もしなくたって、あなたはいいんだよ。
そのままで愛され、受け入れられるんだよ。」
と。
「何かをすれば」「行動をすれば」
という条件など必要ないのだ、と。
自分に対しての「愛されるための条件」というムチから
手を離して、そのままのあなたを許しなさい、と。
常に
「獲りにいかないと欲しいものは手に入れられない」
「自分が動かなければ誰も動いてくれない」
「待っていても誰も私のところには来てくれない、
だから、自分から行かなくちゃ」
って。
もちろん、自分が望むものを獲りに行くexcitement、
自分から行動して結果を出す充足感、
誰かが何とかするのを待っていないで自ら動くという積極性、
それは良い。
でもやはり、それらが「〜したい」ではなく、
「〜じゃないといけない」と、
他に選択肢のない、ひたすら自らに課すものとなると
それは自然なものではないのです。
そして、それってね。
ある意味、自分の周りに壁を作って
孤立化させているのですよね。
人が入ってきてくれるスペースを空けてない、
ということでもあるのです。
自分を信頼し、
人を信頼していたら、
本当は自分の動きも人の動きも
とても美しく循環するはずなのに。
それを信頼できないから、
スペースをいつも自分で埋めてしまう。
先回りして、
自分にとっての最悪の事態、つまり、
「私は取り残されて一人ぼっち」を避けるために、
人が入ってきてくれるのを待たないで、
自分から動いてしまう。。。
つまり、
Giving(与える)という仮面を被って、
Receiving(受け取る)から逃げる、
そういうパターン。。。
彼女が言ったのです。
「本当はただそこで咲いてればいいのよね。
お花みたいに」と。
お花はそこにただ美しく咲いている。
誰が通りがかろうが、かからまいが、
関係ない。
移動することはできないけれど、
問題ないの。
だって、ミツバチが勝手に来てくれるもの、
甘い優しい香りに誘われて、
ただ、そこに咲いているだけで。
そして、来てくれたミツバチに、
自分の密をgivingするの。
陽が差し、雨が降り。
でも、お花は徹底して、
お花であるのよね。
そしてそれに対して
何の疑問もなければ、
不安になることもない。
お花って、Receivingの天才だわ。
私にとって「自分を許すこと」というのは、
お花を見習うことだと思うのです。
そこで咲いてりゃいいの、とりあえず、笑。
それ以上のことを「何とかしなきゃ」って思わなくていいの。
その「何とか」は他の誰かの役目であり、
その役目を奪い取っちゃダメなの。
私、という花は、(皆さんもそうよ)
条件無しで存在している。
それぞれの光を放ちながら、
ただそれだけでいい。
「そのまんまじゃダメだから、
何とかしなさい」
という習慣化されたムチは
随分と古くなり、ボロボロになり、
もうお役目は終わるのです。
「自分を許しなさい」
という先生の言葉は、
昨日、長年の友人を通して、
もう一度私のところに巡ってきて、
ああ、そうか。
もう、自分を許していいのか。
と、ようやくその「意味」が
腑に落ちそうなところです。
LIVEの公式告知&予約開始のお知らせです!
AYUKO Soul Quest LIVE
10月28日(土)@大塚Welcome Back
Open:18:15 Start:19:00
Charge:¥4000 (+1ドリンク)
約2年ぶりとなる今回のLIVEから
オリジナル曲をお届けして参ります。
最後の航海への出航!
ソウルフルなAYUKOワールド全開のLIVEへ
是非、お越しくださいませ!
AYUKO SAITO (Vo)
Kaz Nihonyangi (Keys)
Izuru Asami (Gtr)
Shigeki Umezawa (Bass)
Toshiyuki Kasuga (Ds)
and
DJ AKKY as a special guest DJ
ご予約はWelcome Back HPの
「予約フォーム」からお願いいたします。
*ご予約されますとお店いから予約確認メールが
届きます。受信ドメイン制限をされてる方は
ご注意くださいませ。
大塚Welcome Back HP
メンバー一同、皆様のお越しを楽しみにしております!
ついに(?)英語のブログを始めました。
「英語、OKよ!」という方がいらっしゃいましたら、
是非そちらも覗いてみてくださいね。
AYUKO Soul Quest Blog (English)
*聴くブログ!?「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
このブログのカテゴリー「Sound Blog」から是非どうぞ!
クリックしてすぐに聴けるようになっています。
私のオフィシャル・ページを
どうぞご訪問くださいませ。
(最近、ちょとだけリニューアルしました。
音楽もここからSoul Musicのスタイルへと絞っていきます)
プロフィール(なのでラストも少し変わりました)、経歴、ライブ情報、
それから私の歌も試聴(ミュージカル曲はもうないよ〜)できます!
https://www.ayukosaito.com
Instagram https://www.instagram.com/ayuko.is.here/
Twitter https://twitter.com/AyukoSaito
↓私の過去のlLIVE映像などはYoutubeでアップしています
https://www.youtube.com/channel/UCZiH2XUoIk7XVpWLuowKDUA