森友学園というか塚本幼稚園の問題は1週間はネットが先行して、さてテレビ、新聞メディア、いわゆるマスコミはどう出るのだろうという話だったが、国会の論戦を挟んでマスコミに載り、リークがあったり、鴻池劇場みたいな場があったり、2週間でいつの間にか形成逆転して来た。
安倍ちゃん下ろしとして活性化するだろうことは最初から見えていたし、それはそれで重要なのだが、日本会議の持つイデオロギーを真正面には据えられないのだな、というのも結構見逃せないポイントかもとも思ってみてる。
つまり、あの人たちが主張しているのは戦前の、それも昭和時代に入った頃からのかなり過激な体制こそ素晴らしいという話ですね。で、一方、1945年に敗戦した戦争によって変わった日本の国家体制はその体制を否定している。
これがその例示的なエピソード。
1948年教育勅語等の失効確認に関する決議
よく、ドイツはナチ体制にすべてをおっかぶせているが日本はそれはできないからいつまでたっても私たちに責任が来るんだ、みたいなことを言う人がいるんだけど、それは本当ではないと私は思う。つまり、日本はレジームチェンジしたんですよ、新しい憲法を仕立てたということはそういうこと。
ところがここに、国体は護持されたのだ、という話が同時に走ってる。これが話をややこしくさせた。つまり、簡単にいえば天皇陛下とその周辺は維持されたのだ、という狭義の護持ではなく、基本的に何も変わっていないのだという広義の解釈が成り立つ原因がここにある。
しかし、さすがに日本の支配層も広義を取るつもりではなかったでしょう。天皇陛下は人間宣言なるものをされて、神秘の中から外に出た。
奉安殿も教育勅語も御真影も、国民が頭をたれて、尊敬を傾けなければならないアイテムではなくなった。
これはみんなGHQ占領時代に起きていることなので、これを指して、それらはみんなアメリカが日本を解体したのだ、という主張もわからないではない。
しかし、1945年に敗戦した当時の日本人たちがそれに対して目立った抵抗を示したという話はあまりないと思う。もちろん、神道関係者や国体護持派の人たちは別だろうが。
どうしてそうなるのかといえば、大半の日本人にとって、その「体制」なるものは別に長い長い日本の伝統につらなるものでないことは明白だったからではなかろうか? だって、八紘一宇にしても、国体の本義にしても明治から大正時代に揃えられていったアイテムだし、国家が深く関与した神道の体系も明治維新と共に起動したもの。
明治前半までに生まれてた人たちにしたら、それらのアイテムは日本の伝統というより、おかしなこと考え出す奴らがいたもんだ、という感じの奇抜な新傾向だったでしょう。軍の奴らはけしからん、良からぬことを考えておる、という感じで捉えていた人たちもいたでしょう。
前に、国会議員の一人が、国会でいきなり八紘一宇を出してきたときにわたしはこんなことを書いた。
さてそこで、「建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇であります」と述べる国会議員が現れたというのは、なんか、この人移民の子孫かなんか?というのが私の率直な感想。いやそれ、裏事情あって、みたいな。
「八紘一宇」と外征
移民の子孫か?と言ったのは、要するに、1000年スパンで歴史をみたら、八紘一宇と言いつつ外征に勤しむなんて、それこそ建国以来どの天皇も国是だなんて思ったことないやろ、って話なわけで、一時期のそのスローガンだけを頭から信じてしまう人がいるとしたら、それは、日本についての背景知識、多く語られるもの、語られないが故に実は根が深いもの、それらを総合したものを欠いている人だろう、という意味。
肇国以来の国是
で、日本会議集団みたいな人たちが勃興したきたのは、この成り行きを、アメリカが占領を通じて日本に押し付けた、と読ませたからだと思うんですよね。押し付け憲法論と同じ。
押し付けられたことと奇抜な体制が終わってよかった、というのは同時に成り立つものなんだけど、プロパガンダの常道としてそこを、押し付けられたのは悔しいだろう、日本人の体制が否定されたのだ、怒れ、その押し付けを否定することこそ自立だ、みたいにして流布させていった。
多くの人は日本についての背景知識のない日本人になりおおせているので、そうだそうだ、になっちゃった、って感じか。
だけど、今回、あの幼稚園の状況を見て、そしてそれを推進している人たちを見て、どうやら多くの人たちはあまり好意的に捉えてはいない模様。それはそれで安堵するのだが、しかし、これではいかんのじゃないのかなと思うんですよね、私は。
つまり、八紘一宇に代表されるアイデア、天皇を中心として外征に勤しむことこそ肇国以来の国是だなんてな話は、GHQをきっかけにしたか知らんが日本人のマジョリティーが否定したのだ、と落ち着かせないとならないと思うわけです。
つか、実際そうなんですよ。戦争時代が終わって人々は結局のところ、ホッとしてたんだから。で、昭和の時代に生きていた人たちはそこに疑いをさしはさむ余地はなかった。リアルタイムの目撃者たちが主流だったから。
ところが、平成になるとそれが忘れ去られて、国会議員が八紘一宇と言いだしても違和感、危機感を抱く感性を持った人たちが激減した。
だもんで、日本会議イデオロギーが抱える問題を指摘して、それを否定する、という形式が今回も取れないんだろうかとちょっと残念に思ってみたりはする。戦線は丸見えなのだが、それを潰しに行く人がいない状況。
でも、同時に、積極的に肯定する人たちも多くはなさそうだとも見えるので、全体としてはまぁいいのかな、って感じ。なんとなく後退しちゃおう、みたいな温い温い日本で果たしてどこまで行けるものやら。
私は断固、あのレジームは日本人によって否定されるべくして否定されたのである、という点をはっきりさせるべき派です。
で、まぁ今から思うと、昭和の時代についでに明治維新まで遡ってこの奇抜なレジームを否定できなかったことが悔やまれる。明治はよかったけど昭和は悪かった、では足らない。昭和の敗戦は明治という革命レジームの結果。
そしてもう一つ。八紘一宇的なものが温存される時というのは「外征」を求める心情を醸成していると思うんです。前にも書いたけど、こういう心理メカニズムだと思うから。
例えば、九州を攻められたら、九十九里浜への敵の上陸が目前に迫っているのだとしたら、人は何を置いても防衛に向かうだろう。必要なのは有能な指揮官であって、そこに思想はいらない。しかし、日本が大陸において置かれた状況はこれとは大きく違う。この「無理」を肯定または支持するためには思想が必要だったということなのではなかろうか。
「八紘一宇」と外征
危険極まりない話。まぁ今風にいえばネオコンだし、別の角度から見れば永久革命を求めるトロキスト過激派のようなもの。そういう点からも、戦前の体制という茫漠たる言い方ではなくて、教育勅語を柱とした八紘一宇を語って外征を志す考え方を日本人は否定した、という事実を残すべきと私は考えます。
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その言い方を回避したい私がいたりはするわけですが、ぶっちゃけていえばまぁそれに近くなくはない何事かなわけですね、実際。ローレライさんのおかげで勇気がわきます(笑)。ありがとう!
北朝鮮、韓国とも現在情勢が不安定ですし、天皇皇后両陛下がベトナム訪問をして残留日本兵家族と懇談していることからして、どうにもきな臭いことです。
この残留日本兵というのは、黒龍会の後継団体とも言われる、中野学校系列の方が多いと思うのですが、この中野学校系列の方というのは、これまた国家神道とは少し違うが一定の価値観を持って取り組んでおり、それはおそらく今も尚、「続いている」のです。第二次世界大戦は終わったが、大東亜戦争は終わっていないのです・・・。
いつまで続くのだろう。
そういうことを国民はあまり知らないが、安倍首相をはじめとする田布施連中や天皇家などはよく知っているわけです。
ともかく、稲田大臣が政治家になる前に例の幼稚園の顧問弁護士をしていたという話が出てきているし、安倍政権は維持が難しいのではないか。アメリカからクレームがついているのではないだろうか。
また、築地移転や今回の小学校の土地移転の話で、「私物国家」の現実をまざまざと見せつけられ、たいそう幻滅しました。