今般のコロナ騒動の中で、時々叫ばれる医療逼迫に関して池田信夫さんが問題点の1つを上手にまとめてらした。
日本医師会が「医療緊急事態」で騒ぐ本当の理由
趣旨としては、感染拡大が問題というより現在の医療機関と国家国民の関係だろう、ってところでしょうか。
日本のコロナ被害は大雑把にいってロシアまで含めたヨーロッパ諸国の10分の1程度。
であれば、総量で見て日本の医療がひっ迫したり、パンクしたりするという事態は考えれられない。
他方で日本の医療の水準は高く、人口あたりベッド数はOECD平均の3倍で世界一だ。コロナで人工呼吸の必要な重症患者は全国で約450人に対して、人工呼吸器は4万5000台。全国的には、重症患者が医療資源の限界を超えることは考えられない。
だがしかし、医療逼迫という声が出る。
1つの理由は、施設はあるが医者の数が足らないこと。
もう1つは、現行の体制に調整機能が備わっていないこと。
大阪で逼迫しているが和歌山には多数のベッドがあるというのなら、患者を移送したらいいだろう、ということができない。
近隣の病院から大阪府に医師や看護師が応援するか、患者を近隣の指定医療機関に移送すればいいのだが、それはできない。医療法では、都道府県知事が医療機関に指示・命令できないからだ。
これをもっと具体的にいえば、公立病院が少ないという話になる。大阪府の病院なら大阪府という行政の一部だからその内部の指示、命令が可能になるが、民間病院に対しては行政内部の問題ではないからそうはできない。
そして民間病院の数が一定の割合だ、というのならまだしも、日本の場合は主流が民間病院。
この背景には、公立病院が少ない日本の特殊事情がある。日本の医療機関数(2014年)は8442と先進国では突出して多く、しかもそのうち公立病院が20%しかない。公立病院の人員配置は国や自治体が指示できるが、民間病院には指示できないのだ。
ヨーロッパでは60~90%が公立病院である。アメリカは22%で日本とほぼ同じだが、公的医療保険が整備されていない。日本のように国民皆保険で国が医療費の7割以上を負担する国で、民間病院がこれほど多いのは奇妙である。
奇妙かどうかはともかく、ざっくり言って日本の医療の仕組みは緊急時に対応できるようにはなっていない、ということですね。
民間病院は経営努力する点ではいいが、感染症のような緊急事態では、行政のコントロールが難しい。
そこで、
この問題を解決する1つの方法は、緊急時には行政が民間病院にも患者の受け入れを命じられるように特措法(新型インフルエンザ等対策特別措置法)を改正することだ。
と氏は結論されるが、同時にそれは多分できないだろう、なぜなら、医師会の政治力は強いから、とされている。飲食店は有無を言わさず有形無形の圧力で廃業させることのできる日本社会だが、医療団体ははるかに強いのでできない、と。
適切な観察の1つだと思う。
■ 総動員からの逃避
でもって、もっと敷衍するなら、国家のつくり方の問題だろうなとも思ったし、nationではなくstateをどう作るかについてnationの側にコンセンサスがないんだろうとも思う。
結果、要するに、日本というのは1945年までのカルト体制に懲りて、上からなんでも命じられて総動員させられることに、拒否反応を持った集団としてここまで来ているとみてもいいような気がする。だから、緊急時の再編成みたいなことが本当にできないんだと思う。
おかしな言い方だけど、戦後、多くの人々は、自由と民主主義へと逃避したんだと思う。カルト体制から。
これはこれでよかったとは思うけど、逃避の体制でnation-stateをまとめることは当然のことながらできない。少なくとも長持ちしない。長持ちしないはずなんだが、結構もった。これは、ある意味、有徳のアナーキズムが機能した稀有な例だったかもしれない、など冗談を言ってみたい気もするけど、実際には、大枠の統治体制を占領軍とその協力者でステルス化していたにすぎない、と言えるような気もする。
だがしかし、見えない統治には限界があり、その「芸」みたいなものももうできない。今ここ、ってところだろうか。
ここからホント、大変だわ。
国家・官僚・天皇が間違ってても「国民は我慢して死ね」だしね。
そもそも少し難しく考え過ぎなのでは?
重症患者が問題なのですから、指定感染症から外してしまえばマンパワーを確保できると思うのですが。
心の痛みも無さそう。本当に不思議な精神。
それにしても、トランプさん、金融緩和を極限まで続け、株価を吊り上げ、一体、何をしたかったのでしょうか?これ、誰かに利益供与ではなかったのかなと、それとも、アメリカを潰すため?
本当に不思議。
こちらではWe're all in this togetherとか、Health care heroes work hereとか、フレーズがまるっきり戦時体制なのだが、どうもこういう「ほしがりません勝つまでは」的言論にアレルギーがある。
個々人の精神性にまで、戦時体制を刷り込む必要があるだろうか。
今のアメリカ、日本の政治に総動員をかけられるだけの力量、ないよね。総動員をかけられる国民の側の問題ではなく、かける為政者側の問題なんじゃないかな?