100年前の今日11月11日、連合諸国とドイツ帝国の間で休戦協定が結ばれ、これをもって事実上第一次世界大戦が終結した。
ということで今日はパリで催しが行われ、各国首脳が集うのでまた何か興味深いニュースが出て来るでしょう。
そんな中、ロシアのアレキサンドル2世が暗殺された時の血にまみれたシャツや本人の身のまわり品がフランス政府の介添えでロシアに戻ったという記事がとても興味深い。このあたりからthe Westというか英シオニスト vs ロシア帝国の血なまぐさい歴史が始まったのだよなぁというところ。この時点ではまだアメリカは英シオニストの天下ではなくて(というよりしっかりした国でもなくてというべきか)、ロシア帝国はニュートラルどころかむしろアメリカに加勢していたりする。前に書いた通り、ロシアとアメリカには意外な接点がある。
それはまた別途書こうと思うが、東アジアに生きる私としてはひとしお興味深かったのは、中国と第一次世界大戦の話。
前に書いた通り、中華民国は第一次世界大戦の欧州戦線にかなり多数の人間を送ってる。
上海条約機構サミット、山東省青島で行われる
こういう成り行き
英語版には背景事情として出てた(ここ)。中国は1917年協商側で参戦、山東などのドイツ権益を条件に14万人の兵を英国軍の一部として出した。
だから、
その後、終戦に向かってアメリカのウィルソン大統領が民族自決とかいうもんだから、中国人は大喜びでこれで山東省は返ってくるとぬか喜びする。
しかし日本が戦時中に中国当局と結んだ合意があり、さらに日本はイギリスとフランスのサポートを得ていたので、ウィルソンらが最初は相当がんばって中国の肩を持つものの、最後は英仏日に押し切られ、日本の利益が確定した。
そして、イギリスや米についてたって駄目だ、となってソ連に急接近するグループがチャイナに登場する。
だから、日本で多く見られる、民族自決みたいなことを言い出すもんだからとか、コミンテルンが焚き付けるから抗日になった、ソ連に惹きつけられたみたいなのは、事実関係としてはちょっと表面的すぎるでしょう。いくら資金や人を投下したって大量の人間を惹きつけるには相応の何かがなければできないですよ。
実際兵隊出して、顧維鈞みたいなインテリを使ってアメリカと協力しようがダメで、という事態を前にして、こりゃもうソ連だ、植民地主義は粉砕だ、反帝国主義だ~みたいになっていったという方が断然リアリティがあると私は思う。
と書いたこの成り行きにとって重要な、14万人の中国人が欧州戦線に出ていたことは、予想通り、欧州でもほとんど忘れかけられていた事実だったらしい。というか、世界の教科書のアウトラインを強制しているに等しい米英が無視してたんでしょうね。
ということで、現在、ロンドンでその忘れられていた中国人労働者たちの写真展が行われているんだそうだ。ちらっと検索すると夏にも英の他の場所でやっていたので今月が初めてではないが、今年が初めて、ではありそう。
Feature: Photo exhibition in London commemorates WWI Chinese Labour Corps
http://www.xinhuanet.com/english/2018-11/08/c_137590262.htm
写真展には、それらの大量の中国人を欧州側で対処していたイギリス人将校のお家に残されていた昔の写真のガラス版が残っていて、それを現像したものが含まれているんだそうだ。
Some of the photos shown on the exhibition were provided by John De Lucy. His grandfather, Lieutenant William James Hawkings, was a British officer in the First World War and was in charge of a Chinese labor force.
冒頭で書いたロシア皇帝の血まみれのシャツもそうだけど、皆さん物持ちいいですね、ほんと。100年なんてすぐ、といった感覚で生きてますねこの人たちは。大変結構。
■ 御用学者は用意はいいだろうか
で、
上海条約機構サミット、山東省青島で行われる
でも書いたけど、日本の中では、第一次世界大戦と共に起こった、中国の五・四運動と朝鮮の三・一運動を、なんというか、不当、勝手、気まま、いい加減、総じて言って適当な評価をして、自国内にだけ通じる話にこしらえて100年やってきたと言っていいと思う。
大日本帝国にとって不利な状況だろうが、他国人にとったら別の解釈があるわけだから、最低限両論併記で教えるか、ニュートラルに身もふたもなく書くかする勢力がもう少しいたらよかったのになぁと思わずにはいられない。
第一次世界大戦時の欧州の混乱を「天祐」と考えた日本は、これによって、
実際には、
・中国は抗日
・ソ連はその後介入戦争で日本を敵視。バイカル湖以東を日本にすると無駄に壮大なことを言うんじゃない。
・ドイツはイギリスにくっついて利権を取って行った日本のやり方を快く思わず、後に中独合作時代が来る
・アメリカは1922年のワシントン会議をきっかけに日英同盟を廃止に向かわせる。
という具合に、英仏と仲が良くても近隣は向かうところ敵だらけになった。
上海条約機構サミット、山東省青島で行われる
という具合なのに、なぜだか日本国内ではもれなく大正時代といえば大正デモクラシー、結構良い時代でした、みたいな話があふれてる。
そこで切るから、シベリア出兵、五四・三一を受けた後の関東大震災のほとんど自爆テロみたいな国内というのにも理解の道筋が見えないと言えるのではなかろうか。
関東大震災←五四&三一&シベリア出兵
第一次世界大戦の終結と共に、日本政府は、国内の労働運動の高まりというより、外地での植民地独立運動の高まりに手を焼き、これが国内に延焼することを恐れ、結果、国内にイスラム国みたいな妄想集団を作ってしまって制御できなかった、というのが妥当な言い方ではなかろうか。
空っぽの国体明徴運動と日本の「悩み」
考えれみれば朝鮮の独立運動に対する日本の弾圧というのは、インドに対するイギリスのやり方を思わせる無茶ぶりだったなぁとかも思うし、人数がとても少なくなってから鮮人だの匪賊だのという言い方で彼らをテロリスト扱いして追い詰めたやり方は、イスラエルがパレスチナ人をモノ扱いしてるのと非常に似てる。
逆にいえば、日本にとっては思い出したくもない一連の出来事ということなのかもしれない、とも思う。
でもまぁ、ここらへんを崩して、こうであって欲しい日本史、こうであるはずだった日本史じゃなくて、しっかりとした出来事ベースの日本史を書かないと次の世代の日本人は困るばかりでしょう。
100田の「日本国記」を批判するのもいいけど、ではしかし批判する側の歴史認識が事実ベースかというとそれも違う。そうだからこそむしろ、日本会議的な暴発を生み出す余地を残したといえるかもしれない。
■ オマケ
このエントリーを書いて思うわけだが、どうしても朝鮮は植民地にしてない、侵略なんかしてない云々という言辞に意味不明なほど頑迷に拘るある種の固着点というのは、結局朝鮮再びなのか、など考えてみたい。
つまり、五・四&三・一の運動、わけても三・一独立運動を潰したことを認めたくない、朝鮮に独立運動などない、あってもそれは匪賊の戯言だ、という大日本帝国の態度は当時のもの。
しかし、それをまだやっているというのはいかにもおかしい。そうであるなら新しい目的があるはずだ。
何を目的としているのかというと、朝鮮族は日本の支配に抗して新しい独立を果たしたのだ、という南北朝鮮の主張を潰すことではなかろうか。
特に、北朝鮮のそれは、金日成が日本側が朝鮮の匪賊、鮮匪とか呼んでた人々の中のヒーローだという建付けなので(全部本当なのか一部脚色があるのか不明なところはあるにせよ)、日本側は、日本が独立運動を潰した経緯というのを出来る限り大したことないものとして、つまり北朝鮮は夜郎自大なことを言っている、としたかった&したい、のかも。
何のためにこんなことをしているのか。
そりゃ多分、もう一度南北共に日本の、あるいは日米の支配下に置こうとしていたからではなかろう? そもそも朝鮮に共産主義かぶれがいたことが問題を複雑にしただけで、最初はいろいろあっても朝鮮は日本と運命共同体だったのです、みたいなストーリーラインにしておけば、南朝鮮を主体にアラブの春やら「ヨーロッパのピクニック」的に朝鮮半島に動乱を起こす際に、悪かったのは共産主義者なんです、で終われる、と。
こうやってみれば、まんま東西ドイツ統一シナリオですね(笑)。90年代だったらできたかも。
ところが、北朝鮮は踏ん張り、ついには、金日成は昔から知ってますという人たちがパイプライン持って登場しちゃった。
私のこの仮説が正しいとしたら、ロシアが近年になって金日成の昔のフィルムを出して来たのは、古いフィルムもありますよなどという思い出話ではないでしょう。
ラブロフの北朝鮮訪問 & 73年前の金日成
独立百周年祝いの行進にファシスト、というのはもうなんというか、多くのポーランド人にとって惨い話。
ファシストグループは自然発生したわけではないでしょう。イスラムの傭兵問題と同じだと思います。
バンデラ主義者(およびその派生)を放置してきたどころか積極的にまた登用したEUおよび米の指導者層は、ふざけすぎ。
ポーランドの人たちの心が折れないことを祈ってます。
散歩行程上の森の中に,第一次欧州大戦で斃れた兵士の無名戦士墓所がある.無名というのだから無名かと言うとそうではない.「無名に等しい」という意味なのだ.碑銘には認定戦死年月日,所属部隊名,階級それに姓名が記されている.当時は独露の激突だったから,ドイツ人の姓名,ロシア人の姓名が多い.高位顕官有名人の眠るワルシャワ市内の壮麗な墓地よりも,小屋根を載せた木製十字架でずっと墓らしい墓だ.質素な墓が最も美しいと感じさせる.
金日成が日本に対する抵抗運動の象徴なのだろう、というお話、私も多分そうなんだろうな、と思ってます。
ただ、ここに正統性があるなしを日本人が言い立ててもまったくナンセンスなので後は朝鮮の人たちの問題と思ってます。オーストリア継承戦争式に介入できるほど日朝間には蜜な関係はないですから。
またよろしくお願いします。
興味深いお話をありがとうございます。
オハ-ノグリキ狭軌鉄道は、1953年オハ・ノグリキ間完成、2006年に廃線となったとwikiにありました。このマイナーなトピックがwikiにあるというのは、不思議というか何かあるのかなと思ってみたりもします。
過去150年ぐらいいろんなことがあったわけですが、多くの人が楽に行き来できるようなエリアになるといいな思ってます。
父が渡った1938年当時満州では、まだまだ反満抗日運動が盛んで、父の属する「義勇軍」は鉄道警備などで、東北抗日連軍と対峙していました。その部隊長の中でも金日成将軍ははとくに有名な存在で神格化され、周保中や楊靖宇 以上の大物だったそうです。
私は少し興味を持って調べたことがあるのですが、戦後の金日成は年齢的に若く、父が話していた金日成将軍とはちょっと違うような気がしますが、日本に対する抵抗運動の象徴ですね、白頭山神話もまあ日本の国生み神話みたいなものだと理解しています。
大日本帝国の亡霊に見切りつけて前に進むべき時は完全に来ているし、前に行ける組織もいくつもあります。しかし政府と一体の某財閥は石油利権へ思いっきり投資してしまったから引くに引けない状況と。
いや、ロックフェラー系石油を売ってくれるのは全然構わないし、実際私も普通に利用してるが、ロシアガスパイプラインに接続をしようとしている競合他社の妨害はしてほしくないですね。戦中の因果が祟って前進するには莫大な賠償が必要なのは戦中の因果がある組織だけ。そして半島の過去のやらかしたことから逃げたい気持ちもわからんでもないから、あっちはあっちで北海道ルートの半島を通らないパイプラインを扱えばよく、パイプラインに参入出来ないって話じゃない。
リヨンの話知りませんでした。ということはあっちの英仏はお話はすんだと。
朝鮮を含む大陸側はとにかく日本に用心するにこしたことはないです。日本人としては中露にはこの件では俄然頑張ってもらいたい。そうすれば再びバカなことをしないですむから。