ユーラシア側はなんだか大きな話をしているのだが、東の端の方では、またまた慰安婦問題で雲行きが怪しいようだ。
慰安婦合意の見直し勧告 国連委、日韓両政府に
【ジュネーブ=共同】国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会は12日、韓国に対する審査報告書を発表し、従軍慰安婦問題を巡る2015年の日韓合意について「被害者への補償や名誉回復、再発防止策が十分とはいえない」と指摘、両国政府に合意見直しを勧告した。
報告書は、両国政府は被害者への補償と名誉回復が行われるようにすべきだと強調した。
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO16347340T10C17A5000000/
で、これって一体何なのかというと、私が思うに、慰安婦問題をきっかけにしてはいるものの、朝鮮との過去についてもう少し透明性あげてくんないかな、と国連の委員会が言っているという話なんじゃなかろうか。
でもって、そうするとネトウヨが、国連は反日~、とかになるけど、多分この委員会だけがそう思っているわけではないのではなかろうか。東アジアの過去100年ってほんとに透明性低いですから。
半年前に書いたものだけど、だいたい現状こんな感じなんじゃないの、と思えるし。
と考えてくると、第二次世界大戦終結あたりから「冷戦」をはさんでかなり強権的に作った体制を修正して、もっと長続きするような平和的バランス・オブ・パワー体制に移行しようとするのなら、極東のあり方を整理しようと考える人たちがいても不思議ではない。
プーチン訪日:日本の合意形成スキームを表示するイベントだったかも
そういえば、こんなのもあった。
関東大震災「朝鮮・中国人虐殺」の政府関与「見当たらず、遺憾の意表明予定なし」 政府答弁書閣議決定
政府は12日、大正12(1923)年の関東大震災の際に起きたとされる朝鮮人、中国人の「虐殺事件」への日本政府の関与について、「調査した限りでは、政府内にその事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」とし、「遺憾の意を表明する予定はない」とする答弁書を閣議決定した。
民進党の有田芳生参院議員が質問主意書で、平成20年に政府の中央防災会議の専門調査会が過去の災害教訓をまとめた報告書に、日本政府が「朝鮮人虐殺」に関与したことを示す記述が含まれていることを指摘し、事実関係をただした。
これも、折からネット上では、朝鮮人の虐殺はなかった、むしろ朝鮮人が日本人を襲ったのだ~とかいう話が出回っていることから、ひょっとしたらいずれ問題になっていくんじゃないかとかねがね心配している。つか、そうならそうでいっそ楽しみ!とかも思うけど。私は明治朝日本に対する期待値低いですから。
でまぁ、なかった論に飛びつくネトウヨもせめてまずこのへんを読んだらどうなんだろうか。
関東大震災 (文春文庫) | |
吉村 昭 | |
文藝春秋 |
で、この問題は朝鮮というより中国人の問題の方が日本にとっては結構痛いはず。いや、もちろん、どっちもそうなんですよ。しかし、外交的にはということ。
というのは、当時、朝鮮人は日本にとって内国人なので、うちのことはうちでやる、的に主張することがある程度は可能だった。どこの国も植民地じゃろくなことしてないし。が、しかし、中国人は外国人なので、日本国政府はもしそこに事件があるのなら中華民国に対して納得のいく説明をしなければならなかった。
が、してない。そして、過去の記録では、少なくとも王希天さんに関して問題があることを日本政府自身も気付いていた節は見える。見えるんだが、発禁停止だったか何かで新聞を押さえつけて忘れ去ることにした。
しかし、戦後になって、王希天さんは関東大震災時に日本の陸軍の将校に殺された、というのが加害者本人による供述と、そこにたどり着くまでの当時の新聞等の文書によって、おそらく事実であろうと考えられるようになって、その反論はないのではないかと思う。そのうちネトウヨ隊が何か発明してくるかもしれないけど。
wiki 王希天
関東大震災と中国人――王希天事件を追跡する (岩波現代文庫) | |
田原 洋 | |
岩波書店 |
ということなので、現在の日本の対応如何では、こっちが引っ張り出されることになるのかも。そして相手は中国になる、と。
■ シベリア出兵こそミッシングピース論再び
で、この関東大震災時に起こったおそろしい話を描いた本は何冊か読んだけど、でも、思えばそれらの本では、朝鮮との関係で三一独立運動をあげる人はいるが、シベリア出兵を絡めて来たものはほとんどなかったという点をちょっとメモしておきたい。
シベリア出兵ではなくて米騒動として、国内では労働者一般の不満の高まりと絡めて、国の側はそもそも民衆の暴動を恐れていたんだ、みたいな展開は読んだし、それはそうなんだろうと私も思ってる。
つか、明治政府って日露戦争あたりから後の統治に失敗してたんじゃないか、という視点を持って眺めるのもいいのではないかと最近思ってる。一つには産業構造の変化によって、貧しいが農民というポジションの特質として食べ物を自給できる可能性のあった人々を大量に、なんでもかんでも賃金次第にしてしまったため、物価動向によっては不満が暴発に代るポテンシャルを常に抱えることになった。これって、先進国がみんな通った道ですね。で、明治朝政府はこれを外に棄民していってみたり、なんだりかんだりしたんだが、結局これを最後まで解決できなかったんだと思う。
そっちの話はともかく、しかしながら、関東大震災を巡るある種の暴発の物語にシベリア出兵という大失敗という補助線を引いてみると、明治朝政府の特に陸軍が陥っていた混乱は通常考えられているよりずっと大きかったんじゃないのかな、と思う。
シベリア出兵がタブーになっているという話はこのへんで書いた通り。
「真珠湾への道は日露戦争での“勝利”から始まっています」
加藤高明内閣が沿海州からの撤兵を決定したのは1922年6月。(まだ全部の撤兵ではない)
関東大震災が1923年9月1日。
そして、1919年3月1日からの三一運動がこの間にあるわけで、朝鮮人に対して強い憎しみまたは不安視、危険視する傾向にあった日本人は通常考えられているよりずっと多かっただろうと思う。特に、軍プロパーと在郷軍人において。ネトウヨの口先大将の話じゃなくて、実際の戦闘での対立なので、そう簡単に氷塊しない。
しかも、当時の唯一の情報源新聞は、好き勝手に盛り上がったことを書くのみ。
発生当時の新聞の論調は圧倒的に運動に対し批判的で、紙面には「朝鮮各地の暴動」、「鎮南浦の騒擾」、「三・一暴動」(さんいちぼうどう)、「三・一鮮人暴動」(さんいちせんじんぼうどう)といった字句が踊っていた。(wiki)
一方のシベリア出兵については、当初は書いたがそのうち検閲が入るようになる。
今日はまとめる余裕がないですけど、こうやっていろいろ並べて書いてみると大正時代の出来事が実のところ今に至るまで未解決で引きずっているんだなぁと感慨深い。そして、シベリア出兵について、今もって日本史の専門家の人たちが沈黙していることが、それによってこれが結構な謎なことがわかるばかり、って感じ。
そしてもう一つ。一般にネトウヨと言われているある種のムーブメントは、ひたすら大日本帝国陸軍を庇っているようだ、というのもポイントなんでしょうね。多分、それは戦後の自衛隊の成り立ちとも関係するんじゃないかと考え出すと、さらに理解が進むような、面倒なようなといったところ。