真珠湾が話題になる中、孫崎さんがツィッターでこんなことを書かれていた。
真珠湾への道は日露戦争での“勝利”から始まっています.夏目漱石は『それから』で日本を牛と競争する蛙に例えて「もう腹が裂けるよ」と書いています
http://ch.nicovideo.jp/magosaki/blomaga/ar1151830
「真珠湾への道は日露戦争での“勝利”から始まっています」は、孫崎さんの「日米開戦の正体」の中の章のタイトルでもあった。
日米開戦の正体――なぜ真珠湾攻撃という道を歩んだのか | |
孫崎 享 | |
祥伝社 |
で、私はこの文言は、現在の情勢でいえば、なかなか勇気のある一文かも、と言いたいですね。
つまり、従来の日本の定番の解釈から引き離して、ちゃんと源流を見ようとしている。とはいえ、孫崎さんにしても詳述はされていない。伊藤博文がいたら、といった話で全体にお茶を濁してらっしゃると思う。
しかしそれでも、繋げたのはエライですよ。多くの識者は繋げないですから。
が、しかし、その努力にもかかわらず、予想通りというべきか、がっくりと言うべきか、この重要性はほとんどの読者には理解されていないのではあるまいか、と私は思うんですよね。
結局それは日露戦争で開いたよくわからない壮大な気分と、その後「幸いだ」と思って走ったシベリア出兵という名の介入戦争によって、日本がどんなにダメージを受けたかの評価がほとんどないからでしょう。ここがしかし、実はとても重要だと思うんです。ミッシングピースだと思います。しかし、日本の現在には、それを書く人もいないし、想像できる人も少ないということだと思います。そして、私はむしろその空白に気が付き、何かがおかしいと思い始めてここまで来たって感じですね。司馬遼太郎はなぜノモンハンを書けなかったのかという問いに答えるレポートを書いているような気もします。
シベリア出兵は、撤兵を完了させた首相が、
加藤高明は日本のシベリア出兵について、「なに一つ国家に利益をも齎すことのなかった外交上まれにみる失政の歴史である」と評価している[21]。
ロシア弱体化という願望
とまで酷評している話なんですよ。にもかかわらず、その後の歴史ではこのインパクトが共有されていない。
■ インパクト
日本が受けたダメージとしては、まず当時行われた1922年ワシントン会議における日本のある種の敗北、事実上の孤立化があるんじゃないでしょうか。この話は、日本の通常の解釈では、米が日本を敵視して、とかカナダが裏切って日英同盟を離したのだ、みたいなところにのみフォーカスがあたってますが、実際にはもっと日本にとって辛い話だと思います。
で、シベリアでの一件が関係なといとはまったく言えないと思います。撤兵が具体化して進むのはこの会議をはさんで、ですし。
さらに、ある種謎の事態として描かれることの多い、アメリカでの排日移民法(1924年)もこの件に影響を与えているのではあるまいかと私は想像してます。だって時間的、空間的に合うんだもの。
従来の公式見解的には、日本側では一意にアメリカ人の人種差別的傾向に原因を求めている。しかしよく考えるとそれも何か話半分だったりする。なぜこのタイミングなのかに答えてないし、チャイニーズに対して敵意が向いてないことの説明にもなってない。
アメリカの側では、第一次世界大戦前からアメリカへの移民の数が増加し、このままではボルシェビズムが勃興してロシアで起こった革命のようなことになるのではないかという懸念があった、みたいな感じに書かれこともある。(例えば英語版の wiki)
しかし、よく考えるとこの理屈はおかしい。だったらロシア帝国領内から、あるいはその欧州側の周辺からの移民を警戒するのが本筋であって、日本がターゲットになるのはそんなに自然ではないはしょう。
で、ここでこういう事例を想像してみればいいのではなかろうか。
7万の兵隊を引き連れて何年もシベリアに居座って、村を焼き、敵味方も判別せず人殺しをしその土地を自分の支配地にしようとしている軍があって、その上、その軍は少なくとも50,000人もの一般人を現地に居留民として入植させ、帰れと言っても帰らず交戦に訴える。
普通に、来るな、こいつら危険だ、となるのでは?
極東ロシアにおける日本軍の代表的な蛮行はこれか。ここから1945年まで20年ちょっとしかない。平成3年に起こった虐殺事件を私たちは今覚えていないだろうか?
イワノフカ事件(1919年)
この介入戦争が本当に凄いと私が思うのは軍の蛮行の数々だけではなく、自分の領土でもなんでもないところに兵を出すのみならず、そこに一般人を居留させようと連れて行っていたらしいところ。
1920年までに、三井、三菱といった財閥はウラジオストク、ハバロフスク、ニコライエフスク・アムール、チタに事務所を開設し、5万以上の民間居留者を連れて行った。
by 1920, zaibatsu such as Mitsubishi, Mitsui and others had opened offices in Vladivostok, Khabarovsk, Nikolayevsk-on-Amur and Chita, bringing with them over 50,000 civilian settlers.
https://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_intervention_in_Siberia
私はこれをwikiの日本のシベリア介入の項目(英語版)で初めて知りました。
出典はこの本らしいです。
Soldiers of the Sun: The Rise and Fall of the Imperial Japanese Army | |
Meirion Harries | |
Random House |
この本の内容を私は知らないし、表紙から見るに、ネトウヨがそんな本は反日だ~と叫びそうな本だな、とは思いますので、ひょっとしたら大げさだということもあり得るとは思います。全然わかりません。
しかし、居留民がいたというのは本当でしょう。
私はこれにずっとひっかかっていたんです。あっちの事件でもこっちの事件でも日本人の居留民が出てくる。なぜそんな危険なところに一般人がいるの?と思っていたわけです。
これは、後の日中戦争でもそうですし、代表的なところでは満洲の開拓民もこの範疇というべき居留民かもしれないですね。満洲開拓民をコサックのような強い集団にしようとしていたという話が何年か前のNHKスペシャルで放映されていました。
満蒙開拓団
明治朝日本の軍は、民間人を危ないところに投入して既成事実を作るというのがデフォルトの戦法だったんでしょう、多分。
これは時間軸を100年とか300年として考えればわからないことはないです。大陸の民族国境ってそんな具合に動いていたわけですから。しかしながら、昔とは比較にならない近代兵器の時代に、短期的に、そこに住んだことさえない人を「騙って」投入するというのはどう考えても、私には著しく無体な行為としか思えません。
で、お話戻って1924年排日移民法ですが、想像してみるにこんな経緯もあり得るのでは?
1917年のロシアの革命に反対したいわゆる白軍、白系の人たちが世界中に移民として散らばったことは知られている。その人たちは赤軍を憎んでいただろうが、それは、多くの場合、ロシアを憎むというのとは異なる。ということは、日本人がどれだけ白軍を支援しようとも、村を焼きシベリアの人たちを殺すといった行為を聞けば、そして居座ってなんとかしてロシアの領土を切り取ってしまおうとしていることを知れば、まず間違いなく反・日本人になるのではなかろうか。少なくとも、どこまで行っても好意的にはなるまい。
ということで、そのような人がアメリカにたくさん行った、話が届いた可能性は否定できないのではないでしょうか。報道で知った人もいるでしょうし。それによって欧州の大戦で不穏になっていたことと重なって増幅していった、と。
■ ミッシングピースを入れてみる
で、シベリアでの蛮行を入れてみれば、満洲へのこだわり、北進論が生まれ、その満洲を拠点にするという発想から華北工作、中国人の反発、日中戦争、ノモンハン事件へと、日本とロシア、ソ連との関係に筋の通った(良いというのではない)繋がりが見えてくるのではないでしょうか。前に書いた通り。
満洲事変に至るまでの議論の中であんまり目立たないけど重要だったのは、このまま行くと革命で弱体化したロシアが力を取り戻してしまう、という危機感の末にこの行動があったってことじゃないかと思う。
革命の混乱が修正され国力が向上する前にロシアを叩いて、取れるところ取ってしまえという考え方があった。どうしてこんなことを考えるようになったかといえば言うまでもなくそれは一回自らがシベリア出兵なる大規模な介入を行って、ロシア領内から領土を切り取るか、どんな方法であっても極東部分を日本のコントロール下に置こうというかなり壮大なことを考え行動を起こしたから。
ロシア弱体化という願望
で、私たちは過去70年どころか過去100年、なんとかしてここを無視した解釈を作り上げては歴史を書いてきた、という感じですね。満洲事変から、では甘かったということです。
ロシア破壊願望をやめられない日本
■ オマケ1:それなりに準備してたはずが・・・
上で、満蒙開拓団についてのNHKスペシャルをリンクしたけど、その数年後だったかそこらへん、なにせ2000年代のどこかでは、NHKでシベリア出兵の話もやっていた。ロマノフの金塊運びを日本軍が手伝った(少なくともそういう恰好になった)話。タイトルが思い出せない。(追記:列国の野望 シベリアを走る/2004年NHK)
これらは何を意味するのか?
多分、今まで隠れていた話をそろそろ少しづつ出さないと、近隣諸国と関係できない、辻褄のあった歴史を書くにも無理がある、といった判断がNHK、すなわち日本国のどこかにあったのではなかろうか?
なにせ、タイムラインはこんな
1917年を見直す時になるのか2017年
だし。
ところがそこから、かなりの急旋回で日本会議式の冗談みたいな歴史観が日本社会に襲いかかることになった、と。このへんは、日本の中にも暗闘があったってことでしょうね。そういえば、チャンネル桜が登場するのもこの流れで見れば、そういう趣旨だったてことなんでしょう。つまり、日本会議式歴史観をひっさげた人々は、表面にはあまり見えない流れに抗していた反動派だったということじゃないっすかね。
■ オマケ2:孫崎さんCIA問題
そういえば、最近またそんな話を目にしましたが、私は、多分そうかも、ぐらいにしか思ってないです。日本の官僚さんの中で相応の地位に付く人でアメリカの強い影響にあるネットワーク内にいない人なんているわけない、と思ってるから。
問題は、それにもかかわらず何ができるか、だと思うんです。
むしろ、強い立場にいるからこそできる何か、ってのがあるんだと思うんですよね、志があれば。
いずれにしても、書いてあるものを丸ごと信じるという態度ではなくて、全体としてこうなんだがそれにもかかわらずこの部分が明らかになったという点でこの本は価値がある、みたいな読み方を私はします。
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NHKスペシャル取材班 | |
新潮社 |
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祥伝社 |
だから移民するしか無かった。
東北では餓死者は出るし娘は遊郭へ売り飛ばされた。
そんな時代ですよ。
シベリアでもアメリカでも満洲でもハワイ、ブラジルでも移民を受け入れてくれる所にはどこでも出た。
別に軍の方針では無い。
貧しかったからです。
今のメキシコ人や中国人が海外へ出たがるのと同じです。
日華事変を含む第二次大戦への道が日露戦争の勝利(判定勝ち)を起点にしているというのはその通りのように思います。「ロシアが攻めて来る」という危機感は江戸時代からありましたが、明治でより顕在化し、満州事変以降ではソ連への備えを万全にするつもりが、いつの間にか仲間であるはずの中国との戦争になってしまい、三国同盟はソ連を取り込んでアメリカに対処するつもりがいつの間にかアメリカと戦争になってしまいました。
日露戦争に勝った(と思っていた)のに、ポーツマス条約での「もらい」が少ないと日本国民はデモを起こしたりしていた位ですから、どこかで「もう少しもらってもよいでしょ。」というおごった思いが昭和の時代まで続いていたことと思います。そのややひねくれた感情がその後のソ連との関係につながっていたように思います。
戦後も日本としてはソ連との平和条約締結を望んでいながら「仮想敵国」として長年対立することになり、現在も領土問題で和解して「エネルギー・パイプライン」で両国をつなげて発展の足がかりにしたいのが本音なのに、また敵対する方向に向けられたりしています。
ロシア(ソ連)としては、多分日本がロシアを思うほどには日本などどうでも良い相手としか見ておらず、損をしない程度に適当にあしらっておこうという相手なのではないかと愚考します。むしろロシアにとってはトルコや中国の方が重要で手強い相手ではないでしょうか。
おっしゃるお話はしばしば聞かれるある種の定説だと拝察します。ここに欠けているのは、私見では、日本には日本の壮大な欲があったことに対する認識だと思います。
壮大な欲の追及の結果失敗したのですから、それはそのように見て、今後に生かす方が私は建設的だと思います。
棄民政策というかどうかはともかく、食えなくなったらどっかに送り込む、という姿勢の始まりは蝦夷地開拓でしょうね。
主に賊軍とされた各藩で食うに困った人たちが送り込まれたわけですから。
どうも明治朝日本って、最初っから「同胞」みたいなアイデアが根底に存在しない人たちなんです。なんだかとてもへん。
「その時歴史が動いた」ではないでしょうか。漫画版のみでしか見たことがないのですが。
それそれそれですよ。松平さんの声を覚えているから、その時歴史が動いたの中の1つだったのは間違いないと思います。
週末探してみます。ありがとう!