11月4日は、ロシアのUnity Day。団結の日、結束の日、といったところでしょうか。
この日は1612年に、動乱期にあったロシア(モスクワ周辺)にポーランド軍が襲い掛かったところを、ロシア側が押し返したことを記念している。プーチンは、その時の英雄であるノブゴロドの商人クジマ・ミーニンと、義勇兵を率いたドミートリー・ポジャールスキー公を顕彰した碑に花をささげた。
で、この日に際してプーチンは、
団結と愛郷心は、常にロシアの人々が苦難の時に耐え、大きな開発目標を達成するのに役立ってきました。母なる大地に対する思いやりと、揺るぎなく、かつ誠実な友情、そして、外からの圧力を絶対に容認しないという強い意思、これらはロシアという国家の支柱であり、私たちの遺伝的かつ文化的なコードです。
Unity and patriotism always helped the (Russian) people to endure during times of hardship and to accomplish large-scale development goals. Tender care for the motherland, unwavering and sincere friendship, and utter unwillingness to acquiesce to any pressure from abroad – these are the pillars of the Russian statehood, our genetic and cultural code," Putin said, according to RIA Novosti.
https://sputniknews.com/russia/201711041058821173-genetic-cultural-code-cornerstone/
と語ったそうだ。
ロシアという国家の支柱はロシア人の国であることだ、みたいなレトリックは取らないわけですよ、ネトウヨ、とか言いたいものがありますね(笑)。
ロシアという国家を支えようとする心持ちを、文化的コード、文化的規範だと捉えていることによって、いわゆる民族ロシアしかロシアとは言わない、みたいな民族に引っ張られる方向を拒否しているわけでしょ。(ロシアを愛するものはみんなロシア人だ、でもあり、マザーロシアを支えるソビエト市民とかいうのと重なるから新しい話ではない。)
だからこそ、
大混乱の時に、「人々はカオスと無秩序に対して立ち上がり、内部の対立と外からの脅威に対処し、国の威信と独立を保ちました。」
「母なる大地への忠誠心が、様々な階層、民族グループ、宗教的信念を持った人々を結び付けたのです」
という言辞がそれにつづき、それによって、こういう各種宗教の人、そしていろんな顔をした人たち(つまり小さな意味での民族が異なる)をも包摂した存在としてのロシアを保とうとしている、と。
ついつい、こういう顔した人とか、(別にナリューシキンさんに罪はないが)
こんな雰囲気だとか、だけをロシアだと言いたくなることへの戒めでもあるでしょう。まぁかわいいんだが。
ということで、unityって大事。そして、あらためて、現在のロシアの欧州部は、ポーランド、ポーランド&リトアニア、そしてスェーデン、次にドイツによる侵略を拒否した人々の土地なんだわなと思うし、それを拒否した人たちがロシア人だとも言えるわけですね。ノルマン系、スラブ系、イラン系、トルコ系、モンゴル系みんな混ざってロシアだというのは何も最近開発された話じゃなくて、ロシア欧州部という、ある種文明の通り道みたいな場所においてはそれがデフォでしたってこと。
で、そんなことがつい近世のお話なのに、何を根拠にポーランドだのスェーデンは、いつまでもいつまでもロシアの恐怖を語ってんだよ、って感じ。この人たちは本当に恥ずかしい人々だと最近は、多少の憎悪と憐みさえ感じることがある。だって、この人たちが自己の拡大欲求を取り下げられないために、これを利用する the West 総合本部がいつまでもいつまでも偽のお話を書いているから戦争が起こるわけでしょ。あんたたちの拡大欲求こそ主たる戦争要因だと誰か指摘すべきなのに、それを煽ってきたのが過去100年ぐらいのアカデミズム&ジャーナリズム。
恥を知れよ、ほんとに。
■ オマケ
で、この話は多分、これの続きだと思う。
ヨーロッパ1000年のロシア恐怖症
そしてもう一つ。上の経緯で団結したロシアはロマノフ朝に繋がっていく。
その頃、つまり1600年あたりには、チャイナには清王朝が生まれ、日本に徳川政権が生まれる。
これらには共通点がある。それは、みんなどちらかというと商業優位ではないこと。これは多分偶然ではないのだろうと思うものの、どこから考えていいのかとっかかりがまだ見えない(私にとってだが)。