週刊金曜日の記事が面白い。長くて読み応えのある記事だわ。
選挙に行く前に、頭の整理をどぞ、って感じでいいと思う。
緊急対談
衆院選で問われる日本政治の新しい対決軸、リベラル陣営のリアリズムとは
(山下芳生×中島岳志)
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2017/10/14/news-7/
で、現状の各政治グループの位置はこんな風に分けられるだろう、と。
縦軸が、再配分の話。上がリスクを社会化する、下がリスクは個人持ち。
横軸が、価値観の話。左がリベラル、個人の内面には手をつっこまない系、右がパターナリスティック。権威主義的というか、父権制というかで、上からこうあるべしと持ってくるタイプ。
で、こうやってみれば、現在の自民党は右下の第IV象限。希望の党も同様だと。というか、希望の党とか安倍ちゃんの回りの議員には、そもそも基本的人権に反対とか国民に主権などもっての他とかいう人たちがいるので、この図で言えば、第IVの右の右の欄外だと思う(笑)。もう、近代じゃないですから。
で、立憲民主党、共産党、自民党の昔の宏池会なんかはかなり似たところにいる、と。
で、中島氏流の保守の考え方からすると、気がつけば
自分の考えと各政党のマニフェストとの相性診断をしてみると、どれをやっても結果は共産党になるんです。保守の論理を追求すると、内政面では共産党の政策と近くなる。
ということ。
基本的に、日本の共産党はリベラルで保守的な人たちの集団と認識している私からすると、中島さん、おお、仲間だなって感じ。
ここで書いた通り。
ホントの話が書けない・左翼のいない日本
で、現状認識としてこの数字って大事と思ったのはこれ。
山下 派遣労働者は90年には全国で50万人でした。しかし、2008年のリーマンショックの直前には400万人にまで増えていた。「若者が正社員になれないのは、働く意欲と能力が足らないからだ」という自己責任論も盛んに振りまかれましたが、個々の若者の「意欲と能力」の問題にしたのでは、派遣労働のこれほどの急増は説明がつきません。雇用のルールを変えた政治の責任なのは明らかです。
これって、ものすごい増加でしょう。フルタイム雇用で期限が切られていない働き方をし、かつ、雇用を労働法で保護されている人たちがこれだけ減って、社会全体がそれに引きずられていったら、若い人が将来設計できなくなるのもまったく無理はない。
派遣という雇用形態が非常に制限的だった時代を覚えている私としては、その後拡大していったことも覚えている。
で、どうして派遣法がそもそもそんなに制限的だったかというと、基本的には現実に働く人の正当な対価から中抜きして、その上その仲介屋に拘束されるといった昔のよろしくない慣行から労働者を守るためだったとどこかで読んだ。なるほどなとも思い、まさにそうなったわなぁって感じもする。
しかも、現状、大企業はグループになっていて各グループはほぼグループ専用の派遣会社を持っているわけで、これって、例えば20年前に雇用費用として100払っていた分を50で済ませ、残りの50をグループ内の利益にしているということなのだろうか、としばしば考えたりもしている。まぁ50、50は極端だとしても。
そういうわけで、そもそもこの20年間のやたらに伸びた派遣なる働き方に私はずっと疑問を持っている。もちろん完全には否定しないんですよ。短期、単発、中期ぐらいだったら雇用の流動性という観点から重要だし合理性はある。でも、正社員並みの長期派遣なる状態の意味がわからん。
と、このブログとしては珍しいことを書いたけど、でもほんと、なんかものすごくヘンな時代だったなぁこの20年ぐらいといろんなところでそう思う。
とうことで、
中島 そうなんです。小池さんはリスクの個人化や規制緩和を促進してきた。生活保護の受給に厳しい発言を行ない、自助を強調してきた。それなので、現在「安倍vs.小池」と言われていますが、これは〈ローマ数字4〉という狭いコップの中の争いでしかありません。パターナルかつリスクの個人化が極まった〈ローマ数字4〉の一番下のラインに位置する日本を〈ローマ数字2〉の方向に向かわせるためには、〈ローマ数字2〉の軸をしっかり作ること、つまり野党共闘ということになる。
となるのも無理はない。
■ 社会権の否定
で、上でリスクの個人持ちというのは、要するに社会権の否定なんだと思う。
社会権はヴァイマル憲法の文言が有名だけど、これってつまり、へんな言い方だけど、資本主義体制を維持するための、大大大金持ち+特権持ち軍団と数しか頼りにならない労働者集団とのある種の手打ちなんだと思うんです。
どういうことかというと、資本主義というのはそれ以前のどこでもだいたい多くは農民で、領主と領民がそれはそれなりに暮らしていた仕組みと抜本的に異なるわけでしょ。
人は自由に土地を離れ、職を持ち、自由恋愛をして、どこにでも行ける。これは一面では自由万歳だが、職がなくなったら死ぬしかないかもしれない状態に陥るとも言える。
で、それでもまだなんとなくトルクルダウンが成立していればいいが、そうはなかなか問屋は下ろさない。身分制秩序も強固だったりするから教育も均等化しない。法の運用も属人的だったりする。その上、戦争によって多数の人が混乱し、疲弊し、マジで食えない状態が本当に来た。それが第一次世界大戦の成り行きとしてのロシア革命、ドイツ革命に繋がる。
別の言い方をすれば、労働者階級(というよりプロレタリアというべきか)になんらかの妥協をしなければ、だったら全部生産手段を労働者主体の政府が国有化するからな、という脅しがリアルになった、ということ。ソ連があったからこの脅しが視覚化されたには違いないが、そもそもその前の50年から100年ぐらい、資本主義体制に入った国は順次労働者の待遇改善せな、いやそれはやりすぎ、だったら戦争、いやそんなの、等々混乱していた。一般に、帝国主義がどうしたという点だけがハイライトされるけど国内問題的にも結構行き詰まってる。
第二次世界大戦の後、イギリスがいち早く「ゆりかごから墓場まで」とかいうスローガンの下社会保障制度の充実をいち早く敢行したのも、ここもまた意味不明な戦争を始めた結果として(1939年にドイツに宣戦布告をしたのはイギリス。逆ではない)、経済も財政もボロボロになったことから、こうでもしないと労働者の怒りと不信から体制を守り切れないと思ったからじゃなかろうか。宥めないとならない、と。
ロシアの場合は、そこまで資本主義がもたらす問題に悩んでいないわけで、ここは大資本によるレジームチェンジというファクターは特に大きかったというべきでしょうが、そうであっても、ロシアを含む欧州諸国のトレンドとして、資本主義を導入していくごとに、社会秩序、法秩序が崩壊していって、こうなったらどうにかして一般人と妥協しないとレジームが持たないという状況があったからこそ、巻き込まれたとは言えるでしょう。
と、そこから幾星霜。すっかり豊かになった気がした人々は、どうやってそれらの権利が手中にあったのかも忘れ、ソ連が失敗したことに事よせて各国の民営化を皮切りに跋扈してくる資本様にあらがうことすら忘れて、社会権? そんなのってみんなが絆を大事にすれば大丈夫よ、みたいなことを言っていたらすっかり一身を守る権利さえ剥奪されそうな時代になっていた、みたいな感じか。
■ で、なんでこんなに保守なのか
で、わからないのは、日本の場合、なんでこんなに「保守」なのか?
欧州、ロシアとかで起きていることは、主要メディアはそうは書かないが、現実には大資本、ディープステートへの抵抗運動でしょう。ロシアの場合は「西側」というディープステートの持ち物みたいなものと戦ってるため、多分そうであるからこそ、アメリカにも欧州にもロシアに注目する人たちが多いという見方もできる。
だから、上で私がだらっと走り書きしたようなモードがまたまたやっていたという気配があるわけね。成功するか否かはまったく関係ないとしても。
このへんで書いた話。
サンダースと不滅の連隊と1世紀
バーニー・サンダースなんて、ルーズベルト時代を引き合いに出して、
社会主義的だというと悪口になってなんでも拒否反応をする人がいるが、私たちが住む社会、わけてもアメリカ以外の先進国の多くが採用している社会政策は1930年だったらみんな社会主義政策だ。最低賃金を言うことも、最低労働時間を訴えることもかつてはみんな社会主義者だと言われていたものだ。しかし私たちは少しづつ達成してきたのだ、云々とやっていた。(サンダースに盛り上がりはない by NHK)
とか言って、だから、我々はもっと進む必要がある、大学は無償で、働く人が一生懸命働いても食うに精一杯で終わりなんておかしい、ちゃんとした労働とちゃんとした賃金が必要だ、あれはこうでこれはこうすべきで、と要するに非常に左翼っぽいとも言えるし、改革派的だとも言える。で、それが故に若者に受けていた。
日本の場合、なんでテーマが保守なんだろう?
ただ、各国とも従来の右も左もだんだん互いに似てるところを発見して連携してきてる傾向が見えるが、この部分は日本でも似てる。保守派と自任していた人たちが、清和会の破壊行為を媒介として、共産党と接近してきたりしてるわけでしょ。上の記事にある、ずっと自民の票田だった農協の人たちが共産党を全力で応援していたとかいう現実がある。
が、それでもやっぱりテーマが「保守」。これはつまり、敵を作らないという発想なのだろうか? ここのところは結構謎だ。
■ 乗ってるプラットフォームがわかってないのか日本?
一つ上で書いたのは、いわゆる左派的な人がいない日本の不思議なのだが、この要因として、あくなき反共があるのではないのかと思ってみたりもする。
つまり、資本主義体制に住んでるんだからそれを語る言葉が必要なのだが、例えば、
搾取とかそういうクラス(階級)が、といった言葉を使うとマルクス主義者であるかのように言われちゃう
→避ける
→現在の問題点を追及できなくなる、今ここ、みたいな感じ。
それに対して、アメリカなんか最初から問題込みの世界にいることは百も承知二百も合点だからなのか、人々は毎日、1%の奴らが~と罵り、その際、exploit(搾取)も別に忌避された言葉ではない。それどころか、例えば、milk for profitsは、利益のために搾り取る、とか言ってるわけだし、suck(吸い上げる)なんて言葉はほとんど日常語(お行儀の悪い言葉だが)。
そう、自分たちの立ち位置を知りつつ、人々は常に、big guys(デカい奴ら)とかbankers(銀行屋)が俺らをだまくらかそうとしているに違いないといった態度で立ち向かってるわけだから、無数のサンダースを待望する人々が常に存在しているようなもの。
それに対して日本はというと、現在私たちが乗っている危険なプラットフォームを語る言葉さえ、そういえば失せているのではあるまいか。これはいかんでしょう。
そういえば、元東大経済学部教授の西部邁氏が、ジャパ公ときたら、資本主義がわかってない。資本主義というのはモトデがあって商売してみたいなそんな可愛い話じゃないんだ。資本第一主義とか、資本優先主義とでも言うべき事態なんだ、それがどんなに恐ろしいことか、まるでわかってないのに、は~い僕は資本主義体制で~すとか言ってんじゃねー、というようなことを再々述べていたのはこのボケた現状に対する痛罵だったのだな。(私は何を今更そんなことを始終力説しているのだろうと思っていたが、これはOSの問題だったということなんですね、多分)
やっぱりそこに行きますよね。でもサウジも微妙だと思いますが。また考えないとだわ。
天野さん、
一般人にとってはそうですが、法人税は減税されているし、長い目でみると一番目をひくのは所得税の最高税率の低減だから、全体として再配分にまわす原資の縮小が目標とされているということでしょうか。
simpleさん、
朝走り書きした時言葉が思い出せませんでした。そう。人身売買、博労型を根絶するために、前の前の世代の人たちは結構な労力を注ぎ込んだものとみえます。
やっぱり権利を天から降って来るかのように思った、or 思わせたのが間違いだとしみじみ気付く今日でした。