1945年9月2日は日本が連合国に降伏した日。
きっと何かニュースがあるかなと思うけど、その前に、もう3週間も前の話だけど、今年の8月10日に、在日ロシア大使館の人が8月のソ連軍満洲侵攻作戦についてサマリーをアップしていたのでそれを記録したい。
1945年8月9日、ナチス・ドイツの東側の同盟国であった日本との戦争で鍵となる戦いとなった、赤軍による満州戦略攻撃作戦が開始された。その一日前の1945年8月8日、米国と英国という、ヒトラーに抗する二つの連合国に対する義務をはたすべく、ソ連は在モスクワ日本大使に、宣戦布告の文書を手交しました pic.twitter.com/cEhgsPqVx7
— 駐日ロシア連邦大使館 (@RusEmbassyJ) August 9, 2020
1945年8月9日
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🔹満州作戦の目的は、日本陸軍最強の部隊であった関東軍の壊滅と、中国北東部(満州)、朝鮮北部の開放で、それにより第二次世界大戦を早急に終結せしめることでした
🔹 ソ連軍の猛攻により日本人は追い詰められ、日本軍の部隊は防戦を余儀なくされ、反撃に転じることはできませんでした pic.twitter.com/ukHyzhsAsb
関東軍が壊滅し、本土での軍事経済上のベースがない状態で、日本は現実的な威力と戦争を継続する可能性を失ったのでした。敵側は合計8万4000人が戦死し、64万人(!)以上が捕虜となりました。目的は達成されました。
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❗満州作戦は、第二次世界大戦中の赤軍の作戦の中でも非常に成功したものでした。 pic.twitter.com/EqGRz4tD1n
満州作戦は、赤軍の作戦の中でも非常に成功したもので、その構想、規模、動き、そして結果において、際立っている
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ソ連軍司令部はその規模において前例のない、国の西側から東側へ、1万2000キロにもなる戦力の移動を果たし、長距離にわたる策略と、陸軍、海軍、空軍の連携という、価値ある経験となった pic.twitter.com/uVjcvZyhkC
これはもう、日本では100年たとうが200年たとうが、どういう経緯だったのかを語る人はほとんど出てくる可能性はないので、ロシアが自分で言って最低でも、立場を明らかにし、可能なら議論の足しにしようという考えでしょうね。
内容については、日本以外のところで通説として受け入れられている穏当なものだと思う。このへんで私も書いたことがある。
関特演と1945年ソ連満洲侵攻作戦
この件で、ロシア以外のところで最も頼りにされているのはこの1冊であろうと思う。
アメリカ陸軍指揮幕僚大学を出た軍事史家デビット・グランツさんによる書物。
The Soviet Strategic Offensive in Manchuria 1945:"August Storm"(1945年満洲におけるソビエトの戦略的攻撃:8月の嵐)
大使館さんは「ソ連軍の猛攻により日本人は追い詰められ、日本軍の部隊は防戦を余儀なくされ、反撃に転じることはできませんでした 」とかいう穏当な言い方をしたけど、実際にはもっと盛大に負けている。
前にも紹介したけど、著者グランツさんによる関東軍司令部に対する講評はこのようなもの。
関東軍は1941年のものではなくなっていたが、それでも多くの評者がいうほど効果がないというものではなかった。停戦の噂もあっただろうし、実際降伏したわけだからそれは影響しただろう。しかし大部分の損害はそれ以前に起きている。
日本の司令部はソ連の行動に対し、自信過剰、自己満足、混乱、ペシミズムのいずれから来るにしてもぞんざいに優柔不断に対応した。ソビエトに対する日本の自信過剰、自己満足は、満洲侵攻の前から、何年も、あるいは何十年も続いていた。
1939年のノモンハンの敗北は日本の司令官たちを驚かせたが、もっと驚くべきことには、そこから彼らはほとんど何も学んでいなかったことだ。
おそらく、ソビエトが1939年と1940年にフィンランドで負けたこと、1941年にドイツに負けていたことが、日本の自己満足と自信過剰をよみがえらせたのだろう。
対戦車兵器もないし、機械化もされていない、ソビエトの中戦車T-34に匹敵するようなものもない。関東軍の装備は1939年とたいして変わりがなかった。最低でも、この準備不足は、自己満足と自信過剰を表す尺度だっただろう。
日本の対ソ戦略は、1939年の経験からもう一つ学びそこなっているか、無視した。それは、ソビエトは不可能に見えるようなことをやろうとする強い傾向があるということだ。モンゴル東部の荒れ地を満洲への大規模侵攻のための足場として使ったことがその例だ。(注:西正面の侵攻の場所の選定のこと)
日本は、それが自己満足からなのか自信過剰なのかはともかく、ソビエトを過小評価するという伝統的な傾向を示した。この過小評価が関東軍の運命を決した。理由はどうあれ、日本の司令官は自分の軍を台無しにした。上層部は混乱し、方面軍と軍令は矛盾し、結果的に多くのユニットが戦闘から離れ、他は使いつくされてしまった。
関特演と1945年ソ連満洲侵攻作戦
で、この作戦により、朝鮮北部、満洲から日本軍が排除された。これをロシアと北朝鮮は「朝鮮の解放」と呼ぶわけだが、日本、韓国はソ連によって日本軍が居座っていた満洲、朝鮮から追い出されたという事象を無視する。したがって、日本と韓国は、朝鮮の独立について根拠の不確かなことを言うしかなくなっているのが現状。
朝鮮の解放と朝鮮戦争レジーム
北朝鮮は冷戦後半はソ連と反目していたように見えるので、何を言っていたか私はよく知らないのだが、現在は、この「朝鮮の解放」のためになくなったソ連軍兵士に敬意を払っている。
北朝鮮:朝鮮の解放のために戦ったソ連を語る
中国は、冷戦中期から中国がアメリカと組んでムジャヒディーン支援組になっていたので、ソ連に悪意をもちまくりだったわけだけど、最近になって、習近平政権は2015年にモスクワのパレードに行った頃からソ連が果たした役割を見直してる。
再び歴史的なモメントを迎えた中露 by 習
いずれにしても、ナチスドイツと大日本帝国は同盟国として、東西からソ連を挟み撃ちしていたが、最終的に負けた。ここを見ないでおこうというのは、日本国内でだけ通じる了解事項でしかない。
いい加減、極東軍事裁判の中身を見直したらいいと思う。日本はこれを受け入れて、そして独立したわけですから。
東西挟み撃ち体制が見たくなかったらしい
■ オマケ
このtweetについてる嵐のような馬鹿コメントを見るにつけ、陸でソ連に、海でアメリカに負けたという単純極まりないことを捏造しまくっていい加減に教えてきたツケはデカすぎる。
当時の「鬼畜米英」ってのはなかなか的を得た表現だったのかもしれないけど、ハメられたのか?欲をかいたのか?戦争に突入して多くの人が亡くなったり悲惨な目にあった。
広島と長崎に原爆も落とされちゃって、もうソロソロやめとけよ!ってな感じでソ連に蹴散らされてやっと打ち止めになったってわけですかねぇ…
シベリア送りは、渡りに船だった。
それにしても、鳩山一郎さんが努力しなければ、抑留者はどうなっていたのでしょうね。そのまま見捨てられたのでしょうか?