2003年のイラクでの戦争について、イギリスでは開戦理由の真実とそれが適法だったか違法だったか等開戦当時の首相ブレア氏などを問い詰めたことで知られる。たしか2010から11年あたりがピークだったか。
その結果として、ブレア首相は自分の行為の正当性を述べたものの使った情報に瑕疵があったことは認めざるを得なくなり、全体としてみれば彼と彼の政権を問い詰める委員会を通して、ブレアはこんこんちきの嘘つきとなり、労働党の信用は失墜した。(ついでにいえば、イギリスがシリア問題で消極的な方向に行ったのはもってこの世論の影響が大きいだろう)
ブレアはそれ以来、私が思うにDV被害者のような目をしていると思う。誰が怖いのか知らないけど。
と、そのイギリスでは、イラク戦争で犠牲となった兵士の親族がキーになる立場にいる人らを相手どって訴訟を起こすらしい。真実はまだ明らかになってないぞ、と。
Reveal the truth on Iraq war or we'll sue! After a six-year wait, the families of British victims launch an unprecedented challenge to Chilcot over report delays
http://www.dailymail.co.uk/news/article-3195686/Families-Iraq-war-victims-launch-unprecedented-legal-challenge.html#ixzz3ihsirJ7d
で、その話はともかくこのデイリーメールに出てる写真が怖い。閲覧注意です。開けただけでは大丈夫、スクロールして真ん中あたりが問題。
英兵が火だるまになって戦車(というのかわからんけど)から出てくるところとか、まぁそうだとは思うが・・・という写真がでーんと載ってる。
日本でも、戦争を通してこそ平和がある、突っ込んでいくこと美しい日本の定めとか考えてる人が多いらしいので、こういう写真に慣れておくのもいいんじゃないかと思う。
私はまっぴらごめんですが。
■ 私たちが兵士を戦場に送るわけですよ
でもって、私は、まっぴらごめんな上に、現代の日本人でここまで覚悟している人はそういないだろうなぁとも思ってるから、なお、自分の国が直接攻められる戦闘以外に兵士を出すなんてやめるべきと深刻にそう思ってる。
イギリスは嘘八百並べた政権とメディアにつられて戦争に突っ込んでいったわけだけど、その突っ込んでいった時のバカみたいな騒ぎは、はたで見てても怖いほどだった。イギリスのタブロイドが意を決するとどうなるか、それは日刊ゲンダイが高級紙に見える、って感じだからねぇ・・・。
で、そうやって戦場に行った兵士が死んで帰ってきた時の社会内の動揺、そしてある種の自己嫌悪も大きかった。
私はその当時カナダに住んでいたんだけど、カナダはイギリスものはやはり非常に近しいところがあるので、よく報道されていた。ついでにいえば1日遅れでホンマもののあの下品なタブロイド紙も都市部では買えたので買ってみたた(もの好きな私)。
で、そのカナダはイラクへの戦争には行かなかったが、アフガニスタンには行っていた。そこでも兵士は死んで帰ってくる。国営放送は、棺が空港に到着し軍や遺族の人たちに引き渡されるその様子を毎度、つまり何十回も放映していた。
その様子は、みなさんこんなことが起こりました、大変で~す!みたいなおバカで無責任な調子ではなくて、若いとちゃらちゃらしたアナウンサーではなく落ち着いた声の初老の局を代表する看板アナウンサーを使ったおごそかなものだった。へんな言い方だが、私はそのトーンに心を打たれてさえいた。
なぜトーンを落とした厳粛な調子なのか。それは私たちが送った兵士の死を迎えているから、つまり死地に落とし込んだのは私たちだという理解が背中にあるからだろう、などとも考えた。
そう。兵士を死地に送り出したのが我々であるのなら、闘いの性質によっては、我々は泣く立場ではないのではないのか、などとも思った。
そして、ここに開戦責任、なぜそんな戦争に入ったのか、入ることを許したのかという問いが来るのだろう、と。
■ 軍人と国民の関係がフラットであれば
別のある時には、アフガニスタンでの戦争を解説する番組で、リベラル系の識者が(偽物識者じゃないですよ)陸軍中将だったかにインタビューをしていて、この戦争はどのぐらい掛かるのかという話となった。中将は、1世代ぐらいの覚悟をするような戦争だと言った。英米の1世代は約25年。インタビュアーは、ちょっとひるんで、何と言ったかそこまでする必要があるんですか、という意味のことを尋ねた。
するとその中将は、それは私たち軍人ではなく、あなたたち-私たちですが-カナダ人が決めることですと言った。
いや~、なんと民主的で正しい軍人さんなんだろうと私は感心し、そのせいで今でもこうしてその場面を覚えている。
と、そんなこんなを語れる場になっていれば、そしてイギリスがそうであるように悪ノリした後にもしっかりと正常に戻った頭が寄ってたかって騙しはダメだべー、と語れるような場があるのなら、まだしも、自分の国を直接に守るための戦争ではない戦争に加担することもあり得るのかもしれない。つまり、私たちが納得して、ここは私たちの代表者を死地に落とすとしても、ここは私たちの価値のために戦ってもらうべき、という場合だ。
しかし、あのイラクでの戦争のような言いがかり中の言いがかり、無責任中の無責任、無慈悲中の無慈悲な行動にさえ、我が国の首相は国会の場で幾度も幾度も悪いのはサダム・フセインですを繰り返している。そして、そもそもメディアに、ここに政治家の判断があり、それはどうやら誤りであるということを糾弾する姿勢がない。
そもそも我が国においては、責任ある立場の軍人が国民の前に現れることすらない。
こういう状況で他人の喧嘩に入っていくのは、相手となる国と国民との将来の関係のみならず、自らの価値を貶めることになる確率が高いのではないかと私は思う。
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