8月15日は国民向けの敗戦のお知らせがあった日に過ぎず、実際には9月2日が敗戦の日、正式な日本の降伏の日。
にもかかわらず70年間この日を、このお盆の最中の日を敗戦の区切りとしたことは、日本人の敗戦認識に大きな影響を与えただろうとは、白井聡さんが目覚ましく指摘されたこと。言われてみるまでわからなかったわけでもないが、言われてみて気にするようになってしみじみ、この「策略」は実に見事なものだったのだとあらためて思う。
で、このようにして8月15日を親戚のおじちゃんとかおばちゃん、祖父母等々と、スイカを食べたり海水浴の話をしながら何十回も過ごしてきたわけだけど、今年は、今までと違う日だなという気がした。
なんとしても戦争だけは回避せねばと考えてくれるリーダーたちがしかるべき地位にいないことの不安、なんでしょうね。
どうしてこんなことになったんだろうなぁと、もうすでに気分は敗戦そのものなのだが、おそらくなんとしても戦争だけは回避せねばと考えてくれるないリーダーたちは、あたかも自分たちが上り調子の日本にいることを想定しているのだろう。
しかし、よくよく考えてみればそれはいつのことなんだろう? 日本会議の人たちは第一次世界大戦後日本が強国になった頃を最高と考えているようなのだが、その頃は実はシベリア出兵という世紀の愚行によって、一戦争分をまったく無駄に使い、得ることなく兵を帰国させ、いたずらにロシア人とおそらく朝鮮人の対日感情を悪化させていた。
このへんで書いた通り。シベリア出兵は日本の近代史を語る上でどうやらタブーになっているようなんですが、これを入れてみると、話が繋がることが多いんです。
「真珠湾への道は日露戦争での“勝利”から始まっています」
で、ということは、一体いつが強い日本のピークだったのだろう? 日清戦争に至るまでの朝鮮における日本軍はどこの盗賊だよという風情だし、日露戦争は借金漬けだし、シベリア出兵は大失敗だし、関東大震災があって大恐慌があって、それでも対外戦争にかける情熱さめやらずで満洲事変を引き起こして、以降はずるずる。
考えてみると、ずっと自転車操業だったって感じだと思うんですけどね。どこを見て戦前は~とか言っているのだか不明だ。結局、日本会議って単なるバカか妄想派なのだろうか?
いずれにしても、どうしてこんなことになっているかといえば、私も含めて大人たちが、こういう一群の人々の否定に失敗したからですね。最高に無責任な、とんでもない人たちをあたかも責任者のようにして、その上彼らの言論にひっぱられていった成り行きはなんとも情けない。
ホントの話が書けない日本 稲田編
戦争というより武力で物事を決着させる、という根深い因習めいたものを決着させられなかったのも問題でしたね。とすっかり感想戦に入ってますが(笑)。
武力は、一時的に帰趨をはっきりさせるために有効だが、全体として見た時には正統性や住民感情、歴史背景といったものが揃ってないと「勝ち」ってないんですよね、戦争には。
日本人の考えているのは、多くの場合、武力で物事を決着させる、「戦闘」battleのレベルなんだろうと思うのよね。そこでの勝ち負けに執着する。そして、そう、warとbattleの区別がついてないし、invasion(他人のところに入り込む=侵略)と、入られたから防御するdefenseの区別もつけずに、戦争は悪いことです、とかいう非常に緩い言語習慣も問題でしたね、ほんと。
というわけで、これからは、問題点を洗い出し、その上で、先を見越して、で、今後どうしたらいいのかを考えることにしたいと思う。不安にかられるよりも、ずっと良い。
架計、森友問題にからみ、安倍の取り巻きが「お友達」と称されるが、これを「友人」と言わず、幼児言葉の「お友達」と称するところに、世の中の空気が安倍の幼児性を無意識のうちに感じ取っているのではないかと思う。
反論ということじゃないですが、戦後幼稚になったというのは議論のあるところじゃないですかね。私は戦前の方がさらに幼稚だったと考えます。
要するに、国際情勢についてあまりわかってないうちに武器もたされて強くなった錯覚をしたところが躓きの石で、戦後はむしろいろいろと交際範囲が広がって見えるところも増えた。ところが、そうでないドツボにはまったままの一群がいた。いわば熟成した幼児性みたいな集団(笑)。ここに大勢の人がつられた、というのげ現時点ではなかろうか、など思います。