黄色のジャケットの動きが収まらない中これですか、と。
フランス・ストラスブールのマーケットで銃撃3人死亡、テロか
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3547090.html
フランス東部のストラスブールで、男がクリスマスマーケットに来ていた人などを銃撃し、これまでに少なくとも3人が死亡、12人がけがをしました。
まぁ率直にいって、またですかといったところ。
この手しかないんでしょうね。ある意味スタンダード、みたいな。
で、思うわけだが、西側諸国の人々が求めるべきテーマは、民主主義以前に、まず、圧制からの脱出でしょう。これに気づかない限り、この見えない「体制」は終わらない。
この圧制支配地域外では相応に自由があるから、そっちはまぁ歴史的な所産を使いながら相応の発展をしていくことになると思うが(防衛が重要になるが)、この圧制支配地域においては日々、自由度が制限されてる未来しかない。
気づかれてないってのがスゴイよなぁとかも思うし、しかし、気づいても誰も自ら進んで行動しようと思わないように、人々がここまでネガティブな感情に支配されるまで圧制は続いたと言えるのかもしれない。
そういうことを言いたくなるのは、この間11月11日に第一次世界大戦の停戦を祝う式典で、マクロンが実にくだらないスピーチをしていて、それを流し聞きしながら、フランスのこの百年は惰眠だったなと思ったから。確実に、100年前のフランス人の方が高いところにいるフランス人だったなと思ったわけですよ。
いろいろ悪いところだらけではあるにせよ、ロマン・ロランがいたフランスだったんですよ。一体全体どうして、こんなプラスチックな、偽物が偽の喜びを語るような、吹けば飛ぶような、別にフランスでなくてもいいフランスになったんだろうなぁと思ったわけ。
GDPしか眼中にない人にとってはたいして悪くないんだろうが、私はそんなものは価値の1つの指標にすぎないと思っているので、がっかりする。
そんな中、ソルジェニーツィン生誕100周年を記念して、モスクワに銅像が建ったそうで、プーチンが除幕式に出ていた。こういう、どんな時にもロシアを語り、正しいことと間違っていることをまぜこぜにせず、その時々の苦難にシニカルにならず勇気ある発言と行動をする人がいて、そして、大事なことにはそれを忘れないようにしようという機運が社会にあるロシアは、様々な苦難にもかかわらず、幸せな国だなと思う。
Monument to Alexander Solzhenitsyn unveiled in Moscow
ソルジェニーツィンは、ソ連に対する「反体制派」だった時代には西側で重宝されたが、アメリカ在住時からアメリカの姿勢やら文明的なものに批判的だった。その後ソ連が終わってロシアに帰り、2002年に「200年を共に」というロシア人とユダヤ人に関する物語を書いたことから、西側勢に嫌われるに至っている。
亡くなった時、the Economistが表紙にして、ものすごい、基地外みたいな批判に満ちた号を作っていた。今思うにthe Economistは無視することもできたはずなのに、無視することすらできなかったんだろうなと思うと感慨深い。
私は必ずしもこの本の中身全部が正しいとは思ってないんだが、ともあれ、巷間「ロシア革命」と呼ばれているものの中に含まれるユダヤファクターを世に知らしめ、かなり決定付けたのはこの本でしょう。
この本は、前にも書いたけどドイツ語はじめ欧州言語にはなっていて、かなり読まれた。その後、ロシア語版から英語版にした人たちがいて今では知る人と知るものとして読まれてると思う。
例えば、アレクサンドル・ソルジェニーツィンが2002年に出した「200年を共に」
(英語圏では Two Hundred Years Together)というタイトルのロシア人とユダヤ人の物語は、未だに英語版はないがドイツ語版は早々に出ていて、それをシュピーゲル誌がかなり真面目にソルジェニーツィンにインタビューして取り上げていたりしたことを私は記憶している。確か2007年かそこらに最後のインタビューをしていたと思う。
ドイツBuild紙によるプーチンのインタビュー
この10年ぐらい、振り返ってみれば、特に欧州方面で本当にいろんなことがあった。
だってマルクスはドイツ人ですから。
プーチンは社会主義というアイデアを好きでもあったと好感している部分を率直に語ってるし、どうしてみんな革命にくっついていったのかといえば、あれはキリスト教会が言っていること(自由、平等、brothers & sisters)に似てたからだろう、みたいな面白いことを言ってもいる。
その意味で、上の本のトーンよりはるかに現実的ですね。ソルジェニーツィンは道徳の人、しかしプーチンはストルイピンを尊敬する政治家ってことでしょうね。