昨日、アーミン・フサイニーを思い出して本当によかった。今日はお買い物しながらしみじみといろんなことを考えた。
ハマス vs イスラエル9日目:アーミン・フサイニーを思い出してみる
まず第一に、このナチに入れ込んだ男が、ユダヤ人一掃を教唆したことは事実で、あとは資金提供をしたか、つないだかしたあたり(後述)がはっきりすれば、明らかな戦犯として裁かれたであろう。
そうであれば、パレスチナ地域において、この男の一族の威信は低下する。
さらに、この一族だけでなく、そもそも第二次世界大戦中ここらへんの集団は、明確なナチ側として戦争に参加しているんだから、こっちは敗戦側であると位置づけておくこともできた。
他方、ユダヤ人の側は、第一次世界大戦でイギリス側についてユダヤ軍団(Jewish Legion)を作ってシナイ・パレスチナ作戦に参加してる。目的はイギリスが約束してたユダヤ人のナショナル・ホームを作ること。いわゆるバルフォア宣言の趣旨。
そしてWW1でイギリスが勝って、つまり、オスマン帝国が負けて、イギリス委任統治領が出来て、そこに欧州や近隣からユダヤ人が集まってきて、アラブ人と揉め出す。
その後、アラブ人リーダー層はユダヤ人殺しを始める。折しも戦争の時代になって今度もドイツ側にくっ付いてユダヤ人殲滅のために頑張るわけだけど、ドイツは負けた。壮絶に負けた。
であれば、本当はこのリーダー層も負けた、戦犯訴追だ、となるところを逃げた。
この状況でパレスチナに行ってた、あるいは行こうとしてるユダヤ人が、今度こそここがホームだと考えることに何の不思議があるわけ?
今まで一度もそんなことを考えたことはなかったが、とりあえず調べた結果として私はそう結論せざるを得ない。(また違う事実が見つかれば考えを変えるかもしれないけど)
結果的に、適当にユダヤ人多数にはなるけど、土地柄からいって、ビザンチン→オスマン以来の多民族入り乱れた地域になっただけって感じじゃなかろうか。
(オスマンは、1000年以上続いたビザンチンの上に乗ってるから、クリスチャン&ユダヤは普通にたくさん散らばっていて、その上征服して領土を拡張するから、さらにこれらの人口が増えた。そこで、ズィンミーという二級市民みたいな扱いで異民族を抱え込んだ。だから、全体がアラブ一色とかトルコ一色みたいな考えが著しく不都合。)
現地のアラブ人には関係ない、と言ってみたいものはある。が、そう言えるか言えないかは、かなり微妙。もしそうなら、アラブ人のナショナリズムなんて嘘だわな、ってことでしょ。リーダー層はリーダー層、自分たちは自分たちです、みたいな話だから。これでいいなら、日本国民も、リーダー層は敗戦しましたが、私らは関係ありませんと言い出せる。
実際のところ、アラブのリーダー層が都合のいいところで民衆を扇動して、自分の罪は絶対認めたくないので、民に抵抗を教唆してる、みたいな話と解釈できる。今のイランの宗教リーダー層もこれに近いところがある。
■ 親ナチの中東ネットワーク
フサイ二ーを検索していったら、こんな人が出てきた。
フランソワ・ジュヌー (François Genoud)
(1915年10月26日– 1996年5月30日)
著名なスイスの金融家であり、ODESSAネットワークを通じてナチスのディアスポラの主要な恩人であり、中東の過激派グループの支持者
だそうで、ヒトラーの信奉者で、1936年にパレスチナでフサイニーにも会ってる。ドイツ版によれば両者は死ぬまで親友だったという証言がある模様。スイスとドイツの情報機関のために中東をくまなく歩いていた人らしい。
そして戦後も、アラブの解放という大義に拘ってあちこちに資金を投入していた。パレスチナ解放戦線なんかもこの人の手がかかってるっぽい。
ドイツ語版はさらに辛辣で、google翻訳すると
ジェノウドは後にアラブ民族主義に関与し、反ユダヤ主義と反イスラエルのプロパガンダの普及とアルジェリア民族解放戦線への武器の配達に資金を提供した。
さらにはホロコースト否定を熱心にやってた模様。要するに、死ぬまで決して改心しないナチは素晴らしいという考えの持ち主だったようだ。
そして、イランのホメイニがフランスに亡命している間に支えてたそうだ。
やっぱりホメイニはナチ人脈なのか~って感じ。実際、反ソ、反共、宗教復古なんだから、そもそも全体的なナショナリズムじゃないわよ。20世紀中盤にこんな風になるわけないもの。
また、アルカイダの行動を支援していたと言われるAhmed Huberというジャーナリストを支援していたのもこのフランソワだそうだ。
He was closely associated with Ali Hassan Salameh, providing him medical care,[4] and he also bankrolled Ayatollah Khomeini's exile in France when Iran was governed by Shah Mohammed Reza Pahlavi. He was a mentor of Ahmed Huber.[6]
フランス語版はアルジェリアの独立がらみがあるから、さらに詳しい。読むの面倒くさい。
全体的に、狭い意味でのナショナリズムを煽って変革に利用する勢力を作っていたように見える。民族解放戦線という名前が示唆的なのかも。
今日はここまで。
■ 今日の感想
パレスチナ問題というのは、とてつもなくナチくさい話だった。誰なの左翼みたいに言ってた人たちは、と驚く。
そして、WW1からここまでの世界の変動にはいろんなプレーヤーがいるのに、なぜだか一意にユダヤ、ユダヤと叫ぶ人たちが世の中に多数いるのは全く偶然ではないのだなと改めて思う。
前から言っている通り、私はユダヤ陰謀論はイギリスあたりが流しているんだろうと思っていたし、今も概ねそう思う。その意図は、多くのリアルなプレーヤーを隠すため。
だがしかし、それに加えて、マジで反ユダヤという人脈もいる。ホントにいる。驚くほどいる。
WW2の後の裁きがこんなに悪いのなら、当事者間で徹底的に裁いた方が(つまり、襲い掛かったら仕返しされるという古式に則る)よかったのではないかとさえ思うぐらいだ。