Sputnik Vの評価が高まったというより、普通に見る人たちが出てきたことが今週のなかなか大きな事件だった。
日本は本当にカッコ悪いことに、なんとかしてロシアを貶めようとロシア人さえ信じないワクチンとかいう設定で、ゴールデンタイムにテレビ番組まで作っていた。
世の中にはアメリカ製ワクチンと国産、中国産しかないという枠組みを作って勝手にプロパガンダにまい進していた。
ドイツもアメリカも確かに、狂った記事をわんさか書いていた。ワクチンが出る前は、ロシア人の死亡率が低いことが気にいらないといって、西側メディアが騒ぐという浅ましいことこの上ない状況だった。日経新聞が持ってるFTももちろんその仲間。
また、何度も書いてるけど、なんでもかんでもコロナ死亡者に含めてる西欧州のやり方はへんだろうという批判にも、西側主流メディアは答えず、きっとロシアのデータは不正確、とかいう騒ぎを作ってた。
だがしかし、他方で、イギリスやアメリカのウィルス学者などは最初から設計的にはスプートニクVに合理性あると言っていて、その意味で、馬鹿マスコミとは別のストリームも確実にあった。
日本にほぼ全くないのはこのストリームですね。
異論をつぶしてしまって全体になろうとする奇妙な傾向を持った集団こそ私たちだなと思うし、ロシアが絡むとさらに狂う。
ここらへんは振り返ってみた方がいいと思う。しみじみ。
■ 1960年ポリオ問題
で、ロシア弱体化願望、ロシア蔑視の果てが第二次世界大戦の結果であるとも言えるわけだけど、その病にも似たロシアはまかりならなん思想は戦後も続いていた。
1960年あたりに起きたポリオワクチンを巡る問題はそういう読み方をすべき問題じゃないかと思う。
日本がソ連からポリオワクチンを緊急輸入したという話は、地味ながらも結構知られているのではないかと思う。私自身も、輸入したという話だけはどこかで見て知っていた。
緊急輸入したとだけ聞くと、たまたま無かったので輸入したぐらいにしか見えないわけだけど、ネット上にあるものを読むと、事態は、ソ連からの輸入などまかりならん、と当局者が突っぱね、それにもかかわらず、ポリオの流行は収まらず、そこでお母さんたちが世の中には有効なワクチンがあるのだと知り、署名、陳情が相次ぎ、お医者さんたちも加わって当局者を動かし、輸入にこぎつけたという話であるようだ。
しかし、日本の当局者がそんなことぐらいで動くのだろうか・・・という疑問もちょっとあって、さらに探していくと、実のところ、最初は、ソ連なんかから輸入できるか~という日本にとってある意味安心の(笑)の反応でたびたび話がワヤになる中、国産化を試みることなり、製薬会社が作ってはみたものの、失敗し、かつ、流行は収まらず、1960年には、患者約5600人、死者319人ぐらいとなり、ここで、ソ連から1000万、カナダから300万人分の生ワクチンを輸入するという決断をした、ということらしい。
立命館大学の方が詳しい論文を書いてらっしゃる。
ポリオ生ワクチン獲得運動に見いだされる社会的な意義
で、この疾患は、死者ももちろん問題だけど、要するに巷間小児麻痺と呼ばれる状況をもたらすわけだから、お母さんたちが騒ぐのは実に実に実にまったく無理もないし、まったく親として人として心配して陳情でもなんでもするというのは正しいでしょう。心配した人たちにものすごく同情するし、行動した人には尊敬を向けたい。
にもかかわらず、ソ連なんかから買えるか、の次の対策も上手くいかなかった。
伊藤によれば、厚生省がソークワクチンの輸入を初めて許可した1959年に、厚生省から許可を受け輸入に当たったのは、千葉血清研究所、塩野義製薬、新日本実業の三社であった(伊藤 1962)。1960年になるとポリオが各地に発生し、社会的関心も高くなると接種者の数も多くなった。原価約60円前後のものが国産ワクチン保護政策のため厚生省の指示で小売価格400円まで価格調整され、業者にとっては大きな利潤となった。
その後、メーカ輸入希望業者が増え、輸入権を巡る業者の争奪戦の結果、山ノ内製薬、台糖ファイザー、日商の三社に入れ替わったという経過がある。国産化は、厚生省の許可を得た武田製薬や千葉血清研究所など6社が多額の資金を投じて生産を開始した(伊藤 1962)。しかし1960年9月、千葉血清研究所が生産した初の国産ソークワクチンは抗体量が低く、検定で不合格とされた(上田 1967)。
(傍線は私が引きました)
日本にとって都合のいいアメリカあたりからの輸入分は数が少なく、そのため、国産の4倍、5倍の値段で取引されていたそうだ。
つまり、ただでさえ怖いポリオに加え、貧乏人の子どもはワクチンを打てないのか、という状況まで来ちゃってたということですね。そこで、国産化も失敗。
ということで、万やむを得ず、大量緊急輸入から、びっくりするほど緊急に全国一斉投与を実施したという流れであるようだ。
■ 安保の裏
これは、思えば、安保闘争のまさに真っ最中に起きていた事件。
ということから想像してみるに、国産化失敗で流行収まらず、世間では金持ちしかワクチンを打てないとささやかれ、という状況を放置したら、やっぱりソ連だわ、社会主義だわ、という方向に持って行かれる、それは不味い、という判断から、大量購入でむしろイニシアチブを取って一斉投与して不安を鎮めた、という感じではなかろうか。
しかし、日本の当局者にこんな大胆で戦略的な決断ができるとは到底思えない。まず、ソ連から買うという判断ができないでしょう。いやいや政治的リスクありますから、とか、体制の方が重要だというのがわからぬか、とか言い出す人が引きも切らずいると思う。
また、日本人がやるなら、やったとしても、初回10万人分で様子を見る、とか発想すると思う。逐次投入は軍の十八番じゃない。
ということで、伊達判決の時と同様に、アメリカ様の日本対策の人たちが、お前ら何が起きておるのかわかっておるのか、このままいったら民心が離れ親ソ派が増える契機になるんだぞ、と判断して、ソ連からでもどこからでも買え、安心感を与えるために大量に買ってとにかく騒ぎを鎮めろ、となったのではなかろうかと想像する。
こんな大胆な判断なら、国民的アピールのためにやってもよさそうだけど、政治家が主導してないところからも、後ろの調整があったと考えるべき一件なのでは?
もちろん、どうあれ、誰が判断したのであれ、長引かなくて本当によかった。そして、作って輸出してくれたソ連の人たちにも感謝したい。
その後の私たちがポリオの恐怖を知らずに済んだきっかけは紛れもなくここなんだろうと思う。だけど、それが1年でも2年でも前にできたらもっとよかったでしょう。確実に死ななくてすんだ、障がい者とならなくてすんだ人、つまり行政当局の判断の甘さの犠牲になった人はいた。
■ 来歴って重要
この話って1960年当時の日本を知るのにとっても重要な話だと思う。
厚生省の判断はゆるゆるだし、製薬業界には技術がなかった。ウィルス性疾患に対する研究予算は小さかった。お医者さんたちのものの考え方も、今日スタンダードでは到底受け入れられない人もいた。
疾病の流行が明らかになっても、大したことはない、交通事故で死ぬ人の方が多いんだ、みたいなことを言う世相もあったらしい。
笑ったのは、「赤いインチキ薬」。
一方、日ソ協会、共産党、総評などがソ連のガランタミンを要求していたことに対して、「共産党が赤いインチキ薬を持ち歩いている」(久保 1961: 71)との噂も広がった。
インフルエンザぐらいならともかく、ポリオでもこうなんだなぁと思うと感慨深い。スゴイでしょう、これは。
ちなみにガランタミンはソ連で開発され今でも使われてる、ジェネリックもある薬。笑えない。
だったら青いアングロ薬を持ってこいって話なんだけど、どうしてアメリカ様は大量に持ってきてくれなかったんだろう?
思うに、アメリカでは既にピークを過ぎていて、1960年当時生産してる製薬会社が少なかったから? 日本人のために急遽製薬会社を動かす気もなかったとも言えるけど。
あとは、日本の当局者がご懸念には及びません、我々も国産の産業がありましてとか言うので任せていたら、失敗しやがって、となって慌ててソ連から買えとなった、とか。
ともあれ、そんな時代を経て、医療に対して今ぐらいのところまで来るには、それに抗した人たちが多くいたわけだから、その功労を称える意味でも、こういうことは記憶されるべきだと思う。
多くの人がその時々の逆風にもかかわらず屈せず、人々のための医療の仕組みを建てました、という話になっていければいいわけだから。
日本の製薬会社もワクチン開発に乗り出している。
韓国の製薬会社も同様だ。
アメリカ・イギリスの製薬会社が特段優れている訳でもないのに何故これほどまでに大騒ぎするのだろうか?
質の悪い政治ショーを毎日見せられているようだ。
日本とか韓国で自前のワクチンが出来上がった時に
どういう反応が出てくるのか興味津津だ。
次の衆議院選挙の際に野党の政治家が選挙公約にロシアのワクチンの輸入を叫べばいい。
これは案外受けるかもしれない。
それでも,ロシア人は,ポーランドやバルト三国と日本を完全に区別をしているのがよくわかります.これらの国は反露が国是であり依って立つところ,それを取ってしまったら何も残らないと言って良いでしょう.日本はまだ,骨の髄からの反露は一割ぐらいだと思います.私の周りに説明した経験からそう思います.
RIA Novosti が外国の記事を紹介している INOSMI というページがあり,そこに Sputnik に勤務しているロシア在住の徳山あすか女史が JB Press に投稿した記事が紹介されていました.
https://inosmi.ru/social/20210131/249030389.html
このたび作られた,ルジェフの戦いの記念碑を訪れ,今なお遺体の発掘作業が続き,新たに埋葬されるシーンなどが紹介され,いかにロシア人にとって大祖国戦争が身近なものであるか,ということが書かれていました.この記事はロシアのメディアのあちこちに紹介され,コメント欄はいずれも好意的なもので満ちています.
興味深かったのは,冒頭に書いたことと重なりますが,INOSMI の konstantinhab という人のコメントで,「日本人は違う.ポーランド人やエストニア人のように斃れた兵士の墓の上で踊ったりしない.」という文章でした.もちろん,この兵士とはソ連の兵士のことです.
確かに日本はバルト三国やポーランドのようにならないでしょう.しかし,イギリスの手先にさえならなければ,もっと違った歴史が我々の間にあったのに,と残念でなりません.
ところで,このルジェフのモニュメントは,すぐにフレンケリ作曲・ガムザトフ作詞の「鶴」を思い出させました.この「鶴」は日本とのゆかりが深く,ガムザトフが広島原爆資料館を訪れた時の衝撃―佐々木貞子の千羽鶴―をもとに作ったものです.徳山さんには是非そのことを書いて欲しかったところですが,書かれてはいませんでした.そして,やはりこの記事を紹介している別のサイトのコメント欄で,そのことが指摘されていました.
ロシア人は日本人のことを良くわかっていると思いました.
一部のロシアの人たちが持つ日本に対する善意や良いイメージには感謝します。
しかし、日本の国是もまた反ロシアですよ。極東から攻めるための橋頭保ですから。
そして日本人はこれを変えられてないし、変えようという気もほぼない。
ですので、大方のロシア人は誤解していると思います。しかし最近は、大祖国戦争は西だけが問題なのではないという言明がしばしばなされるようになったし、ナチの凶悪犯がアメリカに逃れたのと同様に、関東軍の狂人集団はアメリカに拾われて戦犯を逃れた、といったテーマが盛り込まれたドキュメンタリーをRTが流してました。徐々に、ちゃんとした歴史を見ようとしているようで、私はこれを歓迎します。
そうやって初めて本当に知り合いになれると思ってます。
ありがとうございます.
私も RT の 731 部隊のドキュメンタリーを年初に見ました.ふと思い立って,ロシア語版の RT でも同じものは流したのか,と探したところ,ありました.そして,1000 を超えるコメントがついていましたので,この 2 日間,読んでおりました.日本に関して書かれているところはそれほど多くはなく,検索で探さなければならないほどでした.むしろ大部分を占めているのは,アメリカのうす汚さについての批判でした.正しい理解だと思います.
さて,日本については「日本に対する良いイメージがなくなってしまった」と「アメリカに原爆を落とされたのはその報いで当然だ」というもののどちらかでした.後者はともかく,前者はそれはそれで良いと思います.いくらヨーロッパのどうしようもない連中よりはましとは言え,731 すらきっちりと反省をしていないことははっきりと認識してもらうのは必要なことです.
そのこととは矛盾しているのですが,私が周囲の人々に話すときには,ロシアが日本を評価している,ということから説き起こしています.実はこれが非常に効果的で,いかに日本人はロシアが反日国家であるかという刷り込みを受けているかということの証明になるわけです.そうすると,日本の新聞テレビの偏向ぶりに気がついてくるという感じで変わってきます.しかしこれがどうしても通用しない人々がやはり 1 割はいる,というのが印象です.
ただ,これを続けていると,ミイラ取りがミイラになるおそれがあり,それがいみじくもブログ主様が指摘されたことだと思います.こうして見ると,日本人もロシア人もお互いに本当のことは知らない,一方は過小評価,一方は過大評価なのかもしれません.そのことに気をつけて,引き続き様々な人々に説明をしていきたいと思います.