今年の初めに
ガラパゴスランドの知的敗戦
などというエントリーをしたわけですが、年末となってなお一層それだなという気がしてる。
そして、はたと見れば大多数の人間の生活基盤をぶっこわすことに熱中していたとしか思えないのが過去30年の日本の政治だった。
自分で蒔いた種「ネオリベ」を超えられるのか
自分で蒔いた種「ネオリベ」を超えられるのか (2)
結果として、どこからどう見ても凋落いちじるしい日本の現状がただわかる。
で、過去30年はしかし、30年前から始まったわけではなくて、やっぱりどうも敗戦からこっちだろうと私は思い、その1つのマークとして、MRAから片面講和路線に行ったあたりに原因があるんじゃないかと考え出した。
中曽根&戦後政治とMRA
MRAというのは、前にも書いたけど、活動は戦前からあるんだが、日本との関係で最も問題なのは1950年前後。つまり、これは中国で共産党が勝利してしまうことが見えてきた時から、アメリカで大騒ぎとなり、反コミュニストをモットーとするこのMRAが再び脚光を浴びた、みたいな経緯だと思われる。
そのころ一般住民をよそに、エリートを集めて、道徳再武装運動なるものが世界集会をしていた。
道徳再武装運動というのは、Moral Re-Armamentの訳でしばしばMRAと呼ばれている。では一体何を武装しようというのかというと、コミュニズムの進展に対し、我々はクリスチャンの道徳によって対抗する、精神を武装せよ、というのをメソジストの牧師ブックマン氏が1920年代に言い出した運動。
香港とアンチ運動の限界
■ MRA路線の毒
で、このMRA路線というのは、実に広範な毒を振りまいたと言えるんだろうな、など思う。
1つの問題は、この間書いたように、「アンチ運動の限界」という問題。
反・コミュニズム運動に共鳴するというのは、構造として、実を言えば、益体もない新興宗教や占い師にくっついていってしまうような話と同類だと思う。
このへんの運動に参加した人は、そもそもコミュニズムとは何を指しているのか、どんなものに抗しているのか知らずに、我々は反対だという立場を取っている人が大半でしょう。
ある時点Aにおいて、背景事情が共有されている場合には、アンチ運動というのは効果を持つかもしれない。
例えば、今なら、憲法改正を言う安倍を落とさないとならない、という点で「アンチ安倍」といったもの。しかし、全面的にアンチ安倍によりかかると、安倍のやってることならなんでも反対となってしまう。そうすると、例えば、「北方領土」と言わないようにする、とか、中国の首脳と交流するといったものまで反対したくなっちゃう人たちが出てくる。
つまり、目標を定めないアンチ運動というのは得られる便益より害が大きくなる可能性を秘めている。
MRA運動が秘めていた問題はもう1つある。
この運動というのは、適切な歴史的見取りとして、よーするに、ナチ運動なんだと思う。そもそもの初めからブックマンという創設者が「労使協調路線」を布教していっていることからもわかる。
つまり、左翼嫌い。そして、財界が自分で仕掛けないでヒトラーみたいな男に加勢して国民大衆にそう思わせる、という設計。
まとめて言うなら、反一般人優勢社会+ステルス支配、みたいなものか。まぁ、シンプルに言って、ファシストでいいでしょうね。
■ 御用組合作り
その「労使協調路線」のむやみな追及の具体例としては、最近ネットで見つけた東芝の例なんかがなかなか見事ではなかろうか。
【特集】東芝解体
マル秘資料が語る本当の「理由」
https://this.kiji.is/259938081387298817
それは東芝従業員の「監視マニュアル」「思想チェック報告」だった。マル秘、取扱注意と記された数百ページに及ぶ資料。東芝の労使問題を裏側で担う「扇会」という団体が一部の管理職向けに作成したものだ。共同通信は今年7月上旬までに入手した資料や関係者の証言を基にその実態を把握した。
扇会とは、東芝に再就職した公安警察OBらがメンバーとなり、特定の従業員をピックアップ、“問題あり”と見なした人の職場内外での活動を本社勤労部門に通報する組織とされる。1970年代に結成され、その後は名称を変えたが、つい最近まで活動は続いていた。
会社の中に公安OBが入ってきて何をするのかというと、「左派」を監視して、いじめて追い出すこと。
「左派対策は勤労担当と(労組の)一部健全グループによる基礎固めの段階から幹部を中心とした統一体制、すなわちライン管理を強化しなければならない」。つまり管理職と会社に協力的な労働組合員が手を結び、社に批判的とみられる従業員を監視・排除していくという趣旨の文章が記載されている。全国の10工場で働く人のうち「左派」と見なした100人近い従業員の名簿をつくり、氏名、生年月日、住所、学歴、職場での資格だけでなく、集会などにどれだけの割合で参加しているか、その数字まで列挙していることには驚く。
そんなことするぐらいなら、大金詰んで追い出した方が遥かに健全だっただろうなとさえ思う。だけど、永久に追い出すことは不可能なんだと思う。なんでかっていうと、普通にみんな、いろんなところで疑問を持って、改善しようとする、それがたまたま「左派」と意気投合する、というケースは常にあり得るから。
常にあり得るから、常に脅しをかけておかないとならない。
これはつまり恐怖支配の確立ですね。であれば、そんなあなた、社内の風通しが良くなるわけもなく、
また、時間と共に、恐怖支配の一端を垣間見た人たちは、上に逆らうのはあまりにもリスクが大きすぎる、となっていく。御用でいいよ、御用で、となる。
透明性やらクリエイティビティを求めようというのが土台無理となる。
■ コーポラティズム
で、これはつまり、前から言われていた、労組問題における「インフォーマル組織」というやつだろうと思ってネットで検索したら、そんな記事が結構出てきた。
それはそれとして、その中で興味深い記事を発見。2016年のロイターの記事。
ノーベル経済学賞受賞者で米コロンビア大学教授のエドマンド・フェルプス氏が、
<コーポラティスト的価値観が阻む自己変革>
日本経済が有する問題は、あまりに強いコーポラティスト(協調組合主義)的な価値観に基づいて発展してきたことである。それは、諸制度を形づくり、今もまだ行動を左右し続けている。
コーポラティスト的な価値観を打ち破らずして、日本が自己を変革できるとは私には思えない。このコーポラティスト的な価値観には、家族のつながりや利害関係の持ち方、物質主義、順応主義、社会的保護などが含まれる。
草の根レベルのイノベーションの浸透に必要なダイナミズムが構築されて初めて、日本は繁栄できるだろう。
https://jp.reuters.com/article/view-edmund-phelps-idJPKCN0UW0TX
コーポラティズムは必ずしも「協調組合主義」ではないのではなかろうかという気もするが、対立させずに協調を強調することによってものごとを決する仕組みとする、という意味では一応あっているのかもしれない。
いずれにしても、戦後、むしろアメリカ(西側)に追従しようとしてMRAを介して、企業内の「左派」を敵視して、企業内に異論は存在させない、そして国の中には異論は存在させない、とでもいった恰好で発展してきた日本の進展を考えれば、アメリカ人に、これじゃダメだろ、と指摘されるというのは実に皮肉で、そして楽しい。
■ 種と畑問題
どうしてこうなっちゃうのかというと、種と畑の問題って気がする。
つまり、自分の意見を言うのが悪いなんて一般に思ってない集団が「協調主義」を取る場合と、そもそも土壌が恐怖支配だった集団が「協調主義」を取る場合では、結果が異なる、みたいな感じ。
同じ種でも蒔く土壌によって結果は異なる。
日本の場合は、戦前の体制がカルト支配だったわけだから、そこからの解放を求めることは当然に起こり得たし、むしろ人間的にそうであるべきでしょう。旧来の支配者層、エリート層への疑念、不審はあって当然だった。
この流れがいわゆる「左派」と結びつく。反ファシズム、反支配者層、反エリート層といった発想の行き着く先だから、まぁそうなる。
その対応としてエリート層が取った手段が、MRAなどを通して外国のお金持ち勢の力をあてこんだ「協調主義」だった、ってところでしょうか。
そうであれば、民族にとって当然必要だった「解放」は半端となり、より以前のカルト支配恐怖政治の上にさらに協調を説く人々が勢力を持ったことにより、全体として、上の学者さんの言葉を借りれば「草の根レベルのイノベーションの浸透に必要なダイナミズムが構築」できる可能性を潰していっている、といったところでしょうか。
■ オマケ
ネガティブな状況の中での小さなポジティブとしては、中曽根が亡くなったことでMRAなんかの話がしやすくなるのではなかろうかという気がする。松下政経塾がアホの巣窟だというのもわかったしね。
また、国際情勢もアフガン問題が解体されていく流れなので、冷戦期みたいな発想ではもうダメ、ということなっていくでしょう。
だがしかし、日本の中では言論関係者がとりわけボケているから、やっぱダメかなという気もする。
いずれにしもて、今まで教わってきたことばっかりじゃ足らないんだよ、という発想を持って視界を広げていくよう行動することが、後の世代にとって良いことを残すことになるだろうと私は信じてる。