花巻東を巡る一連の騒動は高野連の対応がまず問題視されるべきと21日に書いた。
高野連は自分たちがルール上きちんとしたジャッジをすることが困難であることを理解しているがために、むしろああいう政治決着をしたのだろうということ。
いってみれば、高野連の行政指導みたいなもので、きっちり違反を指摘できないので、裏から相手方に接触して、(本当はできそうにないのに)ダメならお宅はアウトですからと脅しているという構図にみえる。自粛しろよ、と。
問題を整理すると、この「カット打法」問題は2段階に分かれていると思う。
■ カット打法は邪道か否か問題とジャッジの難しさ
一つは、カットして対応するという戦法は普通に野球の中に存在している一方で、高野連を主軸とした一群は、これは「邪道」だと考えていること。
この是非がまずある。そして、高野連は後述する昔の一件をきっかけに、邪道説を取った。
しかし、問題は解決しない。
二つ目は、このカット打法なるものをどこでそれと判断するか。
「自分の好む投球を待つために、打者が意識的にファウルするような、いわゆる“カット打法”はそのときの打者の動作(バットをスイングしたか否か)により、審判員がバントと判断する場合もある」
と定義してみたものの、普通にスイングしてカットしていればば邪道と判定できないと言っているようなものなので、カットの仕方がスイングではなくバントになってるよ、という場合にスリーバントと判断できるとしたに過ぎない。
では、例えば今回の千葉選手のような場合、スイングでないと判断するのか…。
http://www.youtube.com/watch?v=PIxkjbV_U2w&feature=youtu.be
この動画を見て、バントアウトを宣言するというのは審判には結構きついっしょ。
だから、このルールを拡大解釈して、または、法の趣旨を読んで、打者がスイングしていても審判はそれをカット打法の特例解釈として、行為はスイングでありながらもバントと見做してスリーバントアウトの処置を援用するぞ、と高野連は脅してみたりする。
が、しかし、堂々巡りだが、それを現実に審判にやらせるというのは簡単ではない。2。3球カットして好みの球を待って打つ行為は通常の行為である現在において、2アウトからの球をスイングしてファールになった場合に主審はそこでアウトを宣告できるのか?
いやいや、スイングじゃなくてバントっぽい形でバットにあてたらダメだ、バントかスイングで判断して、というのだって簡単ではないケースはある。殆ど片手とか、手がばらばらになっちゃったけど来た球を打つしかなかった、なんていう非標準スイングも、これまたよくあるからだ。形が崩れたらアウトにする?
そういうわけでこの話は全然簡単でない。
とはいえ過去にこの高野連の特例を適用されてスリーバントアウトになったケースが2例か3例あるみたいなのだが、それらについて、審判は相手投手の状況などを見ているようにも思う。いわば紳士ルール適用みたいな(ま、大きな審判裁量なのだが)。
そういうわけで、高野連は、例えば、どういう場合に「スイングをバントと見做す」という特例解釈を適用するか、という特例適用のための条件を設定するのも一つの手だと思う。
相手チームにピッチャーが一人しかいないとか、けが人が出てるとか、試合が立て込んでて時間がないとか(じゃ延長するなって話にもなるけど)、気温が35度を超えてるとか、今日はやっちゃいけない日と指定するとか、お前は危険チームだとか(@_@;)…。
もっと明瞭なのは、高校野球新規特例ではファールは一打席あたり5本(3本でも2本でも)までとするというもの。
いずれにしても、打者が高校生らしいプレーをしているとか、フェアプレーの精神だとかいった、審判に大きな裁量を与える状態を放置するよりも、余程ましだと思う。
ただ、うるさいバッターが出てきたら
1. ピッチャーが早めに三振取る
2. 根負けしないで何球でも投げてフライでも三振でもとにかく終わらせる
3. 3ボールになったら歩かせて次打者に集中する。できれば塁上の牽制アウトを狙う。
という現状の方がずっといいと思う。
■ 昔は判断していた高野連
この問題は今にはじまったことではなく、上記の特例は、昔の事件の中から生まれたものだった(特例自体も曖昧だとしても)。
ハイライトとなったのは約40年前の出来事。
夕べ、なにか確かあったはずと探していたら、ネット上の野球ファンの方が保存してらっしゃる当時の記事を発見した(注1)。どなたの記事なのはちょっと分からないのですが下でリンクして使わせていただきます。
そして、今朝になったらサンスポがその件を書き出した。
カット打法“禁止” きっかけは巨人・阿部の父「バントだ」
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/08/22/kiji/K20130822006463840.html
1972年の夏に、東洋大姫路の前原選手が、地方予選からカット打法で有名になって、そのまま甲子園に出場した。
前原選手は、一回戦で当たった習志野の捕手・阿部(巨人・阿部慎之助捕手の父)に「バントだ」とアピールされる。
次の打球も同じように行為したため、郷司球審から「フォロースルーをするように」と警告され、警告後はカット打法はせず、2打数無安打で四球もゼロだった。という経緯。
この記事では触れられていないが、当時の記事を読むと(注1)、郷司さんは、すでに地方予選を見た段階から、こういう打ち方はいかん、と自説を持っておられ、一方前原さんはこれはこれでありだろうという考えを持っていた。その意味で、お互いに哲学というのがあって、その上で、郷司さんは審判としての権限を正しく行使して、甲子園の初戦でしっかり、これはアカンという方針でいくぜ、と前原さんに伝えていたわけだ。
だからこそ、当時の前原選手は、今回の取材に対して、
▼前原正弘さん(59) 彼の悔しさはよく分かる。あの打法は選球眼やバットコントロールが大事で誰もができるものではない。私と同様、小さい体で何ができるか努力してレギュラーになった。高野連にはもう少し大きな目で見てほしかったし、準決勝の前に警告するのもどうか。私が郷司さんに注意されたのは甲子園初打席ですから。
と語る。ここが非常に重要なことだと思う。
ついでにいえば、バントやないかい、とアピールした側の習志野の阿部選手も、
▼阿部東司さん(58) あの時はバッターがグリップを握った時、右手と左手が離れていてバントのように打ったから審判に言った。今回の千葉君は両手を離して構えていたけど、振る時には両手がしっかりくっついて打っていた。だから、この子はあの時と似てるけど、ちょっと違う。問題ないと思って見ていた。
と語っている。関係者にルールの詰め方が共有されている様子が示唆されている。
今回あらためて当時の記事を読ませてもらって思うに(注1)、当時の審判さんたちのカット打法邪道説は当時としてみても「何を言うとんねん」という感じの反対もあったようなのだが、それに対して、審判さんたちは、自分の哲学をしっかり持って、しかも、ここが大事なことだが、選手とコミュニケーション(お話するとかいう意味ではない)を取っているのが素晴らしい。いきなり問答無用で相手をルール破りであるかのような扱いをするような処置にはなってない。
審判も間違う。審判は正義ではない。しかし、審判は審判だ、だから審判はその権威を使い、学生はそれ従う、という構図だと思う。
お互い考えが異なっていることを知りながら、最初の試合でしっかり注意するという態度がほんとに素敵だ。
また、このへんの出来事をきちんと記事にしているマスコミも今より数段素晴らしい。
どうしてこんなことになっちゃったんだろうと改めて驚く。
※注1 ルールを変えた男
http://set333.net/ru-ru06fauru.html