アウシュビッツ解放の話はもう書いたのでこのエントリーには特に考察みたいなのはない。
感染症とデマの流布には早期対応が有効であるわけだが...
「ホロコースト」犠牲者の4割はソ連市民
単純に、
1945年1月17日:ソ連赤軍ワルシャワ解放
1945年1月27日:ソ連赤軍アウシュビッツ解放
と並べたかった(笑)。これはベルリンまで行く!
で、今日は#HolocaustRemembranceDay のタグでいろんなtwitterが出ていた。
その中で拾った写真を見て、こういうアプローチこそ必要だったと思った。
そもそも、第60軍のライフル師団がヴィスワ=オーデル攻勢の途中で、つまりソ連軍がドイツ軍と戦いながら西へ西へ押していった中でポーランド南部において強制収容所が解放されたんだから、バリバリに元気な、活動量の多い兵隊がゲートを開けたことが印象としてあるべきだった。
ゲートを開けてる元気な兵隊。
そりゃゲートがあいたら嬉しい。
それに対して、こういう写真で「1月27日、アウシュビッツが解放されました」といった表現で慣らされてきたのが間違ってたと思う。これじゃ誰がどうしてそうなったのわからない。
また、これでも話が見えない。
思えば、こんな悲劇を前に解放作戦が喜ばれていないという事態はとてもおかしい話だった。
1945年1月27日、ソビエトの兵士がドイツ軍の掃討作戦中に強制収容所を解放しました、と書き、今日はこういう写真を見せるべきでしょう。
白衣の人はソ連の医療班の人でしょうね。
■ ポンペオとは違ったボリス・ジョンソン
この間、アメリカのポンペオが、イスラエルに行ってまでアウシュビッツを「兵士」が解放したと発言して(ソ連と言えなかった)、ちょっとした驚きが走ったばかりだったけど、イギリスのボリス・ジョンソンは自分で書いた文章で、
赤軍の第322狙撃師団がアウシュビッツに近づくにつれ、ナチは自分たちの犯罪を隠蔽するためにガス室と遺体焼却炉を破壊した
As the Red Army’s 322nd rifle division closed in on Auschwitz, retreating Nazis destroyed the gas chambers and crematoria in a desperate attempt to cover up their crimes.
と、微妙ではあるけど書いている。
まぁその、ポンペオ、ペンスは相当困った人たちだから、あそこと一緒ではないという意思表示である可能性もある。
ここらへんは今日の政治。
■ 関連記事
スプートニクに少し写真があった。
https://sputniknews.com/multimedia/202001271078149357-auschwitz-liberation-75-th-anniversary/
先日のコメント欄にあった,毎日新聞の杉浦千畝の記事の話にしても,ナチスによるユダヤ人迫害は独ソ戦の時に始まったというミスリーディングをして,杉浦がビザを発行したユダヤ人がソ連の迫害を避けたという結論に持って行っています。
ドイツがポーランドを占領した 1939 年においてすでにアインザッツグルッペンによるユダヤ人殺害が始まっており,ユダヤ人がそれから逃れるために隣国リトアニアに駆け込み,そこで,戦火から遠い国へのビザを求めていたわけです。当然,ソ連は戦火から遠い国ではなく,ソ連に逃れるという選択肢はあるはずがありません。それをソ連に非があるかのような論の根拠にするのは悪質なプロパガンダでしょう。
歴史修正主義は今がチャンスとばかりに活動を強めています。
ポーランドの人はウシャンカではなくて角帽が来てほしかった、というのはとてもよくわかります。
この願望、そうであったらよかたのにという素朴で、そして正統な思いが、しかしながら、ポーランドエリートの反ソ/反露活動(畢竟、英米の紐付き)の温床になっているのも嘘ではないと私は思います。そうだろ、ソ連は望まれないのに来た侵略者だ、といった具合です。
また、反ソ/反露活動を引っ張ってるのはポーランドに住むポーランド人というより、アメリカ、カナダあたりに行って政治勢力と化したポーランド出身者だとも思います。ウクライナも同様です。
いや、それはちょっとどうでしょうか。ユダヤ人で、反ソ工作活動をしていた人以外の人にとってソ連は安全だったと思います。だから、ポーランドからたくさんの人がソ連領内にあえて逃げた。
杉浦問題は、日本の工作の後処理の問題だと思います。そしてその日本は防共協定(対コミンテルンのpact)を結んで大っぴらにドイツと一緒にソ連を攻めようともちかけていた(ポーランド、イギリスにも防共協定をもちかけたが断わられた)。
その状況から考えるとそもそも当時日本領事館がユダヤ人にとって安全に見える、というのは一般化できない話ではないのかと思えます。
性急な書き方をしてしまいました。「ソ連が戦火から遠くない」と書いたのは,このポーランドに接した地域のソ連のことを指しておりまして,おそらくユダヤ人はやがてこの地域が戦場になることを察知していたのだろうと私は思っています。彼ら独自の情報があったのかもしれません。そうなればドイツ軍にどのような目に合わされるか,日を見るより明らかです。幸い,ソ連には戦火から遠い極東にユダヤ人自治州がありました。そこで多くのユダヤ人が州都ビロビジャンを目指し,ピロビジャンのユダヤ人の人口はこの時期に大きく増えています。
杉原(名前を間違って書いてしまいました)の話はいろいろ美談にされているけれど,おっしゃる通り,工作の最前線で働いていた人間だという文脈で捉えるべきでしょうね。
いえ私の書き方も性急でした。お返事ありがとうございます。
そして、私も間違ってますね、杉原でした ^^
ビルケナウだと思われます。
これを使ったのは、今年見た75周年関連についてのアメリカ、イギリス発の記事でこの写真がよく使われていたため、こんな例ではという意味で使いました。