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軍政下だと思えば不思議もない

2015-09-08 22:18:10 | 太平洋情勢乱雑怪奇

数日前に読んだ、あいばさんのお話が興味深かった。

安倍ちゃんの政権がいくら強くても持って2年とか3年しかない。それなのに多少でも反旗を示さずにいる自民党議員は一体なんなんだろう、というお話。

●二年弱で消滅するのかな?自民党 人ごとながら情けない

常識的に考えると、安倍晋三の政権が最長に持っても、たった二年しかない。このたった二年が、今の自民党の国会議員連中には、一生のような重みがあるらし い。仮に、42歳の議員であれば44歳になるだけで、議員人生全体からめれば、どうにでも挽回可能な期間のはずだ。その二年が堪えられないほどの長期に感 じるのは、これはなぜだろう?そこが、どうしても不可解だ。次期選挙では、必ず落ちると確信しているような行動なのだから、不可解になるのは当然だと思 う。しかし、現に自民党の国会議員は衆参合わせて405人もいるのだが、20人の反乱も起きないとは、まか不思議だ。
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/80f5cb1bfa44ef094c919539d5242447

 

確かにそうなんだけど、でも、今の日本はマッカーサー以来の軍政下の最末期だと考えればあんまり不思議もないような気がしたりもするんですよ。日本は軍政下なんだという見方は、後述するように山本七平氏の本に詳しい。

つまり、こういうスキームじゃないかと思う。(これは山本さんの本じゃなくて私の整理。誤解なきよう。)

  • 現地政府は基本的には、現地民によって支持されるというより、その上の軍政施設者によって選ばれ、力を与えられている。
  • 従って、現地政府というものは、結果的に、意図しようとすまいと現地民に嘘をつきながら政治を行う。
  • だから、現地民がおかしいじゃないかと反乱すればするほど、つまり自らの権限が脅かされると思えば思うほど、その上の軍政設置者に顔を向ける。


だから、現在の自民党の議員さんたちは、別の見方をすれば、国民の多数から見放されている、疑問視されていることに気付いている(無自覚の群れメンタリティーの人もいるだろうけど)、だからこそ、その上のマスター階層に従う、というスキーム。

(現在、白井聡氏がたどり着き、宮台さん、孫崎さんなんかが支持している「永続敗戦論」は、この軍政下モデルを歴史的観点から解析して、同じスキームを構築しているのではなかろうか。意図せざる変奏という感じ。)

ある異常体験者の偏見 (文春文庫)
山本 七平
文藝春秋

山本七平氏がGHQ以来日本は軍政下におかれていると考えれば話はわかりやすいだろうと述べているのはこの本。

で、なんで氏は、軍政下だと簡単に全く明白にわかるのかといえば、山本氏を含む少なからぬ陸軍将校たちは実地に東南アジア、フィリピンで軍政を敷いた側にいたからだという。だから論理的にこれは軍政と呼ばれるべきだ、とかいう話じゃなくて、見たらわかるやろ、俺らと同じことやってるんやん、というお話。上手い下手はあっても、軍政が軍政である限りなんにも変わらん、と60年代、70年代の日本の状況を見ながら氏はそう喝破されていた。

で、氏によれば、軍政の肝は、軍政下の国民と現地政府を分けて、占領軍側が民衆の味方であるという図式を確立することにあるように見える。逆にいえば、不都合があればそれは現地民の政府である、問題を解決するのは現地民の政府であるという構造の確立で、軍政設置者は後ろにいて、民衆と比較すれば圧倒的に少数である現地民の政府を支配する、ということだろう。

以下にナイスなパッセージを拾ってみる。

占領地統治は、どのような外観を飾ろうと結局は「軍政」である。軍政はどいういう形態をとろうと、もちろん何もかも軍人がやるというわけではない。軍隊には行政能力はなく、治安の維持という警察の機能ももたない。これはよく誤解されるが-。いわば常に「面」は支配しえないのである。一個師団といっても一万五千人にすぎず、ちょっとした球場のスタンドすら満員にできない数である。これを民衆という大会にばらまいても何の威力も発揮しえないから、占領地の「原住民の政府」の背後にあってこれを威圧統制し、同時に民衆を間接的に威圧するという形になる、が、同時に自分はなるべく姿を現さない。これがいわば軍政の基本型で、この基本型においては、マックも日本軍も同じである。

軍政と民主主義とはもちろん絶対に相いれない。「原住民の政府」がいかに民主的外見を装っても、最終的な決定権は「軍」が握っているのであって、投票が握っているのではない。ところが戦後の日本は、軍政と民主主義の両存・並立という非常に奇妙な形で出発した… (p.223 - 224)

 

「ある異常体験者の偏見」はずっと昔に買ってそんなに熱心に読んだわけではなく、さらに、埃まみれであやうく損壊しそうになった状態で発見されたことが示すように私は大事にもしていなかった。いやしかし、今こそ読まれるべき本って感じですよ、これは。

帝国陸軍についてはこっちの方がはるかに詳しいけど、「ある異常体験者の偏見」は、軍政下におかれた日本とか日本軍が責任者なく人を動かせる話法とか、いろいろ分析があって現在にとって有益。より空気の研究に至る道すがらの実地観察みたいな感じか。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
山本 七平
文藝春秋


ここらへんは、きっと40年前にもそう思われたんだろうし、おそらく1990年近辺にもそう思った人がいたような気がする。あと何十年後かにもう一度、となった時には、「日本か、なにもかもが懐かしい」状態になるんだろうか。いや、これは誰にもわからないけど。

■ おまけ

もう一つ面白かったところを引用。

現地に入っていく占領軍の基本はどこがやっても同じだとの説明部分。

「占領政治・宣撫工作」の基本図式は、日本軍がやろうと米軍がやろうと同じことである。まず「民衆はわれわれの敵ではない」と宣言する。  (中略)

(中略)第一「お前は敵ではない」と宣言しなければ「対話」はできない。では敵ではないのならなぜこの国へ侵入してきたのかと、なぜわれわれに干渉するのか、となると「それは、百年にわたり東亜を侵略した米英帝国主義者からアジアを解放するためで、従ってお前は私の味方であって、米帝国主義者や一握りのその手先は日比共同の敵である。従ってその敵と戦うためお前たちの協力を求める」という言い方しか出来なくなるのである。

相手はその言葉をどこまで本気で聞いたがわからないが、一応「うけたまって」おれば、何しろ敵ではないと言われたのだから、自分が安全なことは確かである。何しろ相手は武器をもっているから反論はできない。(後略) (p.228~229)

日本国内のうかつな「保守派」がいう、日本は米英の摩の手からアジアを解放するために戦ったのだ、といった言明が、どのぐらいアジアの他の地域で、うさん臭く聞こえ、場合によっては反発されるかの理由がここにあると思う。

つまり、大東亜共栄圏がらみの言明は、現地に武装した集団として入り込むために宣撫工作員となった日本人が大量に使用した文言、説明なわけです。

それを、日本国内で現在読む人たちは、その言明の当否を問題にし、場合によれば正しいじゃないか、と語る。しかし、他方には、それが武力集団の甘言だったと個別具体的な状況込みで記憶している人たちとその子孫がいる(反発した人は生きてない可能性もあるわけだしね)。ここにギャップが出るのは無理もない。


■ まとめ

満蒙は日本の生命線

 


 

日本人と「日本病」について (文春文庫)
岸田 秀,山本 七平
文藝春秋

 

日本人とは何か―神話の世界から近代まで、その行動原理を探る〈上巻〉 (PHP文庫)
山本 七平
PHP研究所




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1 コメント

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『ヨーロッパもアメリカ軍政』 (ローレライ)
2015-09-09 10:20:08
『NATO』も『ヨーロッパを占領中』で『EUに民主主義なんかない』のが現実でしょう。
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