如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

盲亀浮木のたとえ

2006-05-10 23:19:58 | Weblog
きのう紹介した「仏教百話」から、もうひとつお話を紹介しておきます。

「あるとき大海に、百年に一度だけ海面に浮かんできて首を出すという、一匹の年を経た大きなめくらの亀がおりました。
そしてまた、ある人がその大海に大きな穴のあいた木の板を投げ込みました。
さて、そのめくらの亀がおりよく浮かんできて、しかも板にあいたその穴から首を出すというような事があるでしょうか。」
そのように仏陀が比丘たちに問いかけました。
「あるかもしれませんが、起こるとしても、いつのことになるか見当もつきません。」
と誰かが答えました。それを受けてまた仏陀が話を続けます。
「確かにそのとおりです。
ですが、百年に一度だけ海面に浮かんで首を出すめくらの亀が偶然に、浮かんだ板にあいた穴から首を出すよりも、さらに稀有な事があります。
それは、ひとたび悪しきところに堕ちた者が、ふたたび人身を得るということです。」

このお話を盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえといいます。

人間に生まれてくるという事それだけでも稀有な、幸運なことなのですが、さらに幸運にも、この時代この世界に生まれて仏陀の教えを知る事もできた。
このように稀有な、次にいつ得られるかわからない、まことに貴重な好機を無駄にしてはならない。
そう仏陀は説いているわけです。

(ここで、仏陀をサイババに置き換えさせていただきますが・・・)
人間やっていても、辛いことや苦しいこと、悲しいことや恐ろしいことが多くて、将来は不安だし、うんざりしてしまったりするわけですが、見方を変えれば、とりあえず人間に生まれた事だけでも最高に幸運なわけですし、しかもサイババの教えに接する事も出来た、サイババに会う事も出来たとすれば、ほかに何を望むというのでしょうか。
つまらないことに悩んでいては、せっかく人間に生まれてきた意味がないではないですか。
人生を、人間らしい目的のために有効に使いましょう。

この盲亀浮木のたとえは、そんな気持ちにさせてくれるお話です。

写真は、ブッダ・ガヤーのMahabodhi Temple の金剛座のあたりです。