秋の旅をプログに載せる作業は、やり始めると、結構はまってしまいます。今日は、お彼岸の中日で、おまけに雨模様なので、気兼ねなくやってしまいました。
プログに乗せた記事の元になっている記録には、もっといろいろなことが書かれていたり、逆に書かれていなかったりしています。
あるいは、事実よりも論理が優先してしまっている内容の場合もあります。つまりストーリーに整合性を持たせるために、事実の解釈や場合によっては自分自身の気持ちまで、創作していたりします。本人は事実を偽るつもりはないのですが、論理的な言語脳は事実よりも論理の美しさを愛する傾向があるようです。それで、実際に価値判断を誤ることもあります。論理というのは価値判断に適しているように思えますが、論理には全体を鳥瞰して意味を考える力はないのかもしれません。
さらにその記録の元になっている本当の旅日記には、物の値段や、駅の名前、列車の出発時刻、出来事に対するその時の正直な感じ・感情などが、書かれてあります。
記事ではなるべくあっさりと書いてありますが、実際の旅では、もっとうんざりするようなたくさんのトラブルがありました。そういうトラブルに慣れて、それが当たり前になって、それも旅の一部として意味のあることなのだとわかるようにならないと、こういった旅は続けられないんだと思います。
旅は人生の縮図のようで、普通の日常に比べて密度も変化も大きいから、それで学びも多いということなのでしょう。
それから、どんな場所でも、そこに実際に行ってみないとわからないことがあるから、それで旅をするのかもしれません。
旅を思い出すときに、具体的に何を思い出すかといえば、結局その場の雰囲気です。空気感、風の匂い、その土地の人々の出す心の波動、その土地の神々の霊気。そういったものを求めて、旅をしているのかもしれません。
話は変わります。
最近の腕時計の夜光はずいぶん明るく光ります。しかも文字盤全面が光っている。これはあたらしく開発された(といってももうだいぶん前らしいが)夜光塗料のおかげらしい。現在は、夜光塗料とは言わずルミブライトと呼ぶらしい。
昔の夜光塗料には放射性物質が若干含まれていたという話も聞きます。それと区別する意味も含めてルミブライトと呼ぶらしい。
その、昼間でも薄暗い場所であれば光る腕時計をぼんやり見ていたら、子供の頃、駄菓子屋さんに、夜光で光るガイコツのオモチャが売られていたのを思い出しました。手のひらサイズでプラスチックで出来ていて、それほど高いものでもなく、何度か買った記憶があります。単に夜の暗闇でガイコツが青白く光って見えるだけのものなのですが、子供の頃にはそんなものになぜか惹かれました。
そのガイコツを思い出したら、それに続いて、やはり子供の頃に遊んだへび花火のことが思い出されてきました。へび花火というのは火をつけるとニュルニュルニュルと長くのびる花火です。花火といっても昼間に遊ぶものですね。
夜光のガイコツからへび花火へという連想がなぜ起きるのかわからないのですが、あるいは、それらが夏の玩具であって、同じ季節に遊んだためかもしれません。
へび花火から続いて思い出されたのは、ねずみ花火、ロケット花火、2B弾。どれも、結構刺激的なものだし、花火の分類からは外れたもののようですが、こういったものが記憶には強く残っているようです。
それから、どんどんどんどん子供の頃の記憶が芋づる式に出てきます。おもしろいですね。そういった記憶は、いつでも思い出せるというわけではないのですが、何かのきっかけで連鎖反応を起こすとよみがえってくるのですね。
プログに乗せた記事の元になっている記録には、もっといろいろなことが書かれていたり、逆に書かれていなかったりしています。
あるいは、事実よりも論理が優先してしまっている内容の場合もあります。つまりストーリーに整合性を持たせるために、事実の解釈や場合によっては自分自身の気持ちまで、創作していたりします。本人は事実を偽るつもりはないのですが、論理的な言語脳は事実よりも論理の美しさを愛する傾向があるようです。それで、実際に価値判断を誤ることもあります。論理というのは価値判断に適しているように思えますが、論理には全体を鳥瞰して意味を考える力はないのかもしれません。
さらにその記録の元になっている本当の旅日記には、物の値段や、駅の名前、列車の出発時刻、出来事に対するその時の正直な感じ・感情などが、書かれてあります。
記事ではなるべくあっさりと書いてありますが、実際の旅では、もっとうんざりするようなたくさんのトラブルがありました。そういうトラブルに慣れて、それが当たり前になって、それも旅の一部として意味のあることなのだとわかるようにならないと、こういった旅は続けられないんだと思います。
旅は人生の縮図のようで、普通の日常に比べて密度も変化も大きいから、それで学びも多いということなのでしょう。
それから、どんな場所でも、そこに実際に行ってみないとわからないことがあるから、それで旅をするのかもしれません。
旅を思い出すときに、具体的に何を思い出すかといえば、結局その場の雰囲気です。空気感、風の匂い、その土地の人々の出す心の波動、その土地の神々の霊気。そういったものを求めて、旅をしているのかもしれません。
話は変わります。
最近の腕時計の夜光はずいぶん明るく光ります。しかも文字盤全面が光っている。これはあたらしく開発された(といってももうだいぶん前らしいが)夜光塗料のおかげらしい。現在は、夜光塗料とは言わずルミブライトと呼ぶらしい。
昔の夜光塗料には放射性物質が若干含まれていたという話も聞きます。それと区別する意味も含めてルミブライトと呼ぶらしい。
その、昼間でも薄暗い場所であれば光る腕時計をぼんやり見ていたら、子供の頃、駄菓子屋さんに、夜光で光るガイコツのオモチャが売られていたのを思い出しました。手のひらサイズでプラスチックで出来ていて、それほど高いものでもなく、何度か買った記憶があります。単に夜の暗闇でガイコツが青白く光って見えるだけのものなのですが、子供の頃にはそんなものになぜか惹かれました。
そのガイコツを思い出したら、それに続いて、やはり子供の頃に遊んだへび花火のことが思い出されてきました。へび花火というのは火をつけるとニュルニュルニュルと長くのびる花火です。花火といっても昼間に遊ぶものですね。
夜光のガイコツからへび花火へという連想がなぜ起きるのかわからないのですが、あるいは、それらが夏の玩具であって、同じ季節に遊んだためかもしれません。
へび花火から続いて思い出されたのは、ねずみ花火、ロケット花火、2B弾。どれも、結構刺激的なものだし、花火の分類からは外れたもののようですが、こういったものが記憶には強く残っているようです。
それから、どんどんどんどん子供の頃の記憶が芋づる式に出てきます。おもしろいですね。そういった記憶は、いつでも思い出せるというわけではないのですが、何かのきっかけで連鎖反応を起こすとよみがえってくるのですね。