如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

秋の旅(9)

2007-09-29 18:05:34 | インド旅行記
インタビュー
今朝はいちばんくじの列に並ぶことができた。すごくついていると思う。ここ数日、ほとんど毎回のダルシャンで会場の最前列に並んでいる。何か、偶然以外の法則が働いているのではないかとさえ感じてしまう。
朝のダルシャンが終わってから、日本人のグループに加わることにして、事務所に行った。
それから、はじめてのミーティングに出た。最初にアサトママントラを唱える。それから、今日の言葉、これはサイババの言葉が毎日掲示板に書かれるものを訳しているらしい。それから、今日の実践、これは世話人がサイババの本から選んでいるらしい。それから、連絡事項。それと、人数確認。人数は、重要なポイントで、スワミにダルシャンの時,「HOW MANY?」と聞かれたら即答えられないとインタビューを逃してしまうかもしれない。最後に、ガヤトリマントラを唱えて終わりである。人数は、男性女性併せて20人前後である。メンバーの人数は女性の方が少し多いらしい。
私と同じ宿に泊まっている例の女性達も話を聞きに来ていたが、彼女たちは結局グループには入らなかった。「私たちは、インタビューが目的で来ているわけではありませんから。」と、妙に突き放すように言ったのが印象的だった。

午後のダルシャンでも、いちばん前の列に座ることができた。私はついている。そう云うツキが、グループに入ることによって逃げてしまうのではないかと少し心配していたが、そんなことはないようだった。座った場所は、スワミの入ってくる入り口の正面いちばん奥である。
スワミの歩くスピードはいつもずいぶん速い。ひとつひとつの動作を見ていると、ゆっくり歩いているように思えるし、けっして小走りなどしないのであるが、しかしスイッと行ってしまわれるのである。
そのスワミが今日は私の前に近づいてきて、私に!!「どこから来たのか。」と尋ねた。「日本。」、「インタビューをお願いします。」私の後ろにいたグループの人がインタビューを依頼する。私もインタビューをお願いした。「何人だね。」「19人。」。しかし、話はそれだけで、スワミはもう次に移動している。
インタビュールームに入れる人数はおよそ25人までなのだそうで、そのためにスワミは人数を聞くのである。インタビューを依頼した場合、だめなときには「ウエイト」と言ったり、手で待ての仕草をしたりするのだそうである。やはりだめか、そう思った次の瞬間、先の角を曲がったスワミがこちらを見て合図をした。私にはよく分からなかったが、それがインタビューOKの合図であったらしい。持ち物の座布団や本を抱えて、ダルシャンのじゃまにならないよう気を付けながら、マンディールの建物のインタビュールームの前に向かう。同じグループの女性達も広場の向こう側から集まってきた。
マンディールの建物の前の辺りは学生の座る場所で、信者さん達が座る床の高さよりは1メートルくらい高くなっている。インタビューに呼ばれた人は、男女別々にインタビュールームの前に座って、サイババがダルシャンを終えて戻ってくるのを待つのである。

戻ってきたスワミはそこにいる私たちにとても親しげに接してくれた。最初に女性達が同じグループなのかどうか確認をした。そして、待望のインタビュールームへ。
聞いていたとおり、6畳くらいの部屋である。先に入っていたインドの男性2人と我々のグループで20人くらいであるが、それで部屋はいっぱいになってしまった。部屋の隅にスワミの座るイスがひとつあって、我々は、床に詰めて座っている。私は部屋の入り口に近い、スワミから離れた場所に座った。とても、前の方に座る気持ちにはならなかった。この部屋に入れるだけで十分と思った。傍観者には傍観者の位置がある。
まずインド人のふたりに言葉をかけて、何が欲しいかと尋ね、指輪をひとつ取り出して与えた。ごく自然に、しかしこれから出すぞという雰囲気のうちに、あっと言う間に出してしまう。
そのインド人のふたりが部屋を出たあとは、我々のグループだけである。インタビュールームのドアの開け閉めは、スワミが自ら当然のことのように行う。部屋の天井のファンのスイッチも自分で入れる。
私はもう何も考えていない。部屋に入る前には、何を聞こうかなどとあれこれ考えたりしたのだが、この部屋の中では、まさにこの時を至上の時として味わい尽くすしかなかった。以前どうだったとか、今後どうなるとか、そう云ったことは、つまらない事であった。大切なのはこの今であって、いかに密度高くこの時を味わい尽くすかであった。スワミは「How are you?」と一人一人に、声をかけられた。ある女性は夫が信仰を持たず肉食を続けていることを改められないか尋ねた。しかし、明確な回答はなかった。ほかの女性には結婚して家庭に入ることを奨めたりもしていた。そう云われた人の中には、「私にはスワミがいる。私が愛しているのはスワミだけである。」と言う人もいた。もちろんそれは笑顔での会話であるが。
髪を少し染めた若者が指輪を出してもらった。私はそれをできる限り集中して見たつもりであったが、気づいたときにはもう指輪がスワミの手にあった。右の手の平を下にして少し動かしたのはいつものやり方である。ビブーティを出すときと同じである。物質化しているとき、サイババがその手のひらに集中していることは確かである。しかし、それ以上の事は何も分からない。それより驚いたことは、出て来た指輪がいかにも出来たてと云った感じに虹色に光を放っていたことである。どんなすばらしい宝石でもあんなには輝かないだろうほど輝いていた。もちろん、宝石を輝かせるためのスポットライトのようなものはこの部屋にはない。
仕事のことを尋ねた男性もいた。スワミは大丈夫と答えていた。
私はといえば、口に出す言葉が見つからなかった。インタビューに呼ばれたら質問しようと考えていた事がなかったわけではないのに、スワミをを前にするとどの質問もつまらない事に思えてしまった。そして私は、「風邪を引いています。」と言った。確かにこの旅で私の困っていることは風邪のことであった。しかし、その事を言うためにわざわざ日本から来たはずはないし、スワミにしても、私の心の中の混沌を感じていたに違いない。しかしまた、今になって考えてみれば、そのときの「風邪」というのは、案外私にとって本当に最大の問題であったかもしれない。アシュラムには世界中の風邪が集まってきていたし、私はバラナシ以来ずっと風邪気味であった。そのために体力を落とし、マドラスでは休息しなければならなかった。風邪は万病の元、健康でなければ何も始まらないのである。
それから、スワミは、女性全員にビブーティを出した。8人くらいの一人一人にビブーティを出し続けたのである。しかし、男性には回ってこなかったため、てっきり男性の方にも回ってくると思って準備をしていた私はちょっとがっかりした。それから、年輩の女性にスワミの着ているのと同じオレンジ色のローブを与えた。それをポイっと放り投げて与えたのもフランクな感じで悪くはなかった。
それから、もうすぐに日本に帰るという夫婦を奥にある別室に連れていって祝福した。聞いた話では、別室ではスワミはもっと個人的に祝福し、抱きしめてくれたりするそうである。
最後に、スワミは袋詰めのビブーティを全員に手渡した。人の間をスワミが歩いて一人一人に手渡してくれるのである。手渡しながら、声をかけてくれる。私に「風邪?」と問いかけてくれた。「はい、でも、問題ない。」「そう、問題ない。」そう言ってくれた。それは、私の中の混沌に対する答えでもあったように思われた。
私は最高に幸せな気持ちだったし、あらゆる質問に対して、スワミの答えが聞こえてくるような感じだった。

全部で30分くらいのインタビューが終わって、部屋から出ても余韻が全身を包み込んでいるのが分かる。インタビュールームは異次元空間につながってるんじゃないかとさえ思えた。部屋に入ってスワミがドアを閉めた瞬間から、インタビュールームは部屋ごと4次元空間を旅して、スワミがドアを開けた瞬間にアシュラムに帰ってきたような感じだ。ものすごく密度の高い空間、あるいは空飛ぶ円盤に乗せてもらった感じである。
インタビューが終わって、広間に戻ってから、バジャンが始まった。もちろんいつもと同じバジャンなのであるが、インタビューを終えた後でのバジャンは全く違っていた。感動がこみ上げてくるのである。スワミに向けて合わせた手を離すことができないような感じ、高揚して歓喜によって目が異様に輝いているのが自分でも分かる。インタビュールームは暑くなかったのに、気が付くと全身にだいぶん汗をかいている。異常なほど大きな感動の波に飲み込まれて、充実した感じに酔っている自分を感じながら、バジャンが終わってからもしばらく広間に座っていた。
宿に戻る頃には、それでも落ち着いてきたが、幸せな気分はずっと続いていた。

インタビューの翌日。グループのミーティングでは、みんな昨日の余韻をまだ楽しんでいるようであった。昨日指輪をもらった人に、その指輪を見せてもらった。リングは黄銅色でそれに白色透明の3ミリくらいの石が載っている。昼間の明るい日差しの中で見せてもらっているためか、昨日インタビュールームではじめて出てきた時のようなきらめきは感じられない。もらった人はサイズが少し大きくて緩いと言っていた。これから太るので大きめのものを出してくれたのだろうかとか、次に呼ばれたときに調整してもらえばよいとか、いろいろな事を言われていた。スワミにもらった指輪は死ぬまではずすべきではないという人もいた。だとすればなかなかたいへんである。グループには以前に指輪をもらっている人がいて、それも見せてもらった。リングは同じような材質だが、石は透明なグリーンだった。

秋の旅(8)

2007-09-29 12:15:05 | インド旅行記
グループ
プッタパルティに入って1週間目である。日本から持ってきた本もだいたい読み終わった。
気温は高め。窓を開けて天井ファンをゆっくり回しておいて、クルタ・ピジャマでちょうどいい感じ。日本から持ってきて、ここまで着てきた長袖のポロシャツは暑くて着る気にならない。日本で考えていたときは、日焼けとか蚊に刺されるとか考えて長袖を選んだけれど、インドにしろ、バンコクにしろ、カトマンドゥにしろ、風通しの良い半袖シャツがよい。それから帽子は必要だ。気温は暑くても何とかなるが、直射日光に頭をさらしていると、どうも頭が痛くなったりするし、疲れるのが早い。

メディテーションツリーに行ってみた。2月にはオレンジ色の実が付いていて鳥が集まっていたが、秋のこの時期は静かだった。メディテーションツリーはアシュラムの南の丘の中腹にあって、気根を持った大木が良い木陰を作っていて、名前の通り瞑想したり本を読んだりするのに適した場所だ。
ところで、私は瞑想というのがどうもよく分からない。私は体が固くてあぐらをかく事すら苦手であるから、座禅などできるはずもない。したがってそう云った指導を受けた経験がない。基本的には、良い姿勢を保ち、余分な力を抜き、腹式呼吸をし、何かに集中すればよいのだろうけれど、その何かがいまいちよく分からない。呼吸自体に集中してみることもあれば、身体を包む光を思い浮かべてみることもあるが、たいがいそのうちに眠くなってしまう。メディテーションツリーの下で居眠りをしたことはないが、ダルシャンの会場でスワミを待ちながら船を漕いだことはあった。

宿に、日本人5人のグループが入った。男2人に女3人。年齢はまちまちである。リーダー格の男は私と同じくらいの年齢。インドに長くいて、フリーマーケットを巡って日本に輸出するような仕事をしているらしい。彼は普段プーナにいるのだが、4人に頼まれてインドの案内をしていると云う。彼は何度かプッタパルティーに来たことがあり、他の人は初めてらしい。もうひとりの男性は頭を丸坊主にしているが、音楽関係の仕事だという。女性達の方は、エジプトに行きたい人とか、イスタンブールに行きたい人とか、日本の両親から病気が重いので帰って来いと言われて里心が付いてしまった人とか、いろいろである。彼らのインドでの旅の主題はアシュラム巡りだそうである。他にもそう云った「アシュラム巡り」の人は結構いるらしい。リーダーはプッタパルティーよりプーナの方がずっと良いから、ぜひ行ってみてはどうかという。ヨガの修行の設備だとか、周辺のレストランとかお酒を飲む場所とか環境が整っていて、自由な雰囲気であるらしい。
しかし、現在のプーナには『和尚』はいない。
そのリーダーも「もしインタビューを望むなら、例の日本人グループに属するのがよい。」と言ってくれた。

午後に、例の日本人のいる事務所に話を聞くために行ってみた。場所は、ウエスタンキャンティーンの前の道を、まっすぐ北に行った突き当たりである。事務所の開いている時間は午前10時から午後2時までと、午後6時から8時までらしい。その時間、メンバーが交代で事務所を開けている。
説明に当たってくれた人は、とても親切で、好感が持てる。
この日本人グループは、バラバラにアシュラムにやって来てバラバラにインタビューを希望する日本人が多いので、「日本人は、まとまりなさい」とスワミが言われて、それでできたのだそうである。その事もあり、グループのリーダーはスワミ自身であり、実際のまとめ役の人は世話人と呼ばれているらしい。インタビューを主な目的としているグループであるから、活動の方は自由参加が基本らしい。主な活動は、毎日午前11時から、ミーティングを30分くらい行う事と、午前午後のダルシャンにグループで参加することである。その他に、セバのできる人は各自の許す範囲で奉仕活動に参加してもらう。そんなところである。
このグループは個人でアシュラムに来た日本人が集まったものなので、直接オーガニゼイションとは関係がないようである。だから、日本にあるオーガニゼイションで活動している人もいるし、参加していない人もいる。
話を聞いたものの、私はまだ決めかねていた。ひとりでいた方がよいのではないかという思いが、まだあった。

彼らの話を聞くかぎりでは、サイババの日本人に対する期待はずいぶん大きいらしい。期待と言うよりも預言的な言葉であるらしい。しかし、あるいは、この言葉はどの国の若者にも同様に言っているのかもしれない。スワミにビジョンを見せてもらえば、それにむかってがんばろうという気持ちになるものである。
確かにサイババのアシュラムの中でも、日本人の行動は他の国の人々に比べて多少特異な感じではある。簡単に言えば、楽しむと云う意識に欠けているというのか、堅いというのか、要するにしたむきでまじめな感じである。しかし、それらは欠点ではなく美点だとは思う。

 「サイババに呼ばれた人以外、アシュラムに来ることはない。」「あなたがアシュラムに来たのは、サイババがあなたを呼んだからである。サイババが呼ばなければ、サイババに会いに来ることはできない。」そんなことをスワミが言ったと云われている。それに対していつも私の心に浮かぶのは「イスカリオテのユダもイエスが自らの使徒にしたのだ。」ということである。神の価値観は人間のそれと必ずしも一致しないのである。その事を承知していなければならない。
 スワミに呼ばれたという表現は少しばかり優越感を与えるのだけれど、別に優れているから呼んだのではないのである。心貧しい人だから呼んだのかもしれない。私も心貧しい人である。心が飢えているから、神のような存在を求めるのだと思う。現実の人間社会の疎外感にうんざりして、何かに生きている意味や自分の存在価値を見いだしたい、そんな人が心貧しい人である。まあ、それでも、サイババが呼んでくれたことに、その人は意味を見いだしたわけで、間違いなく呼ばれたのである。それは間違いない。

秋の旅(7)

2007-09-29 08:12:32 | インド旅行記
手紙
宿の一階の道路に面した部分のふた部屋は食堂と雑貨屋さんになっている。食堂はメニューもない、詰めて座っても10人くらいのものだが、イタリア風の食事ができるので、適当に繁盛している。しかし、値段は少し高い。インドで150円のスパゲッティは高級料理に属する。
愛想のないおじさんとおばさんでやっている雑貨屋さんには、日用品なら何でも揃っている。ここで手に入れた粉末の洗濯用洗剤はすぐれものだった。それまでは入浴用の固形せっけんを洗濯にも使っていたが、洗濯用洗剤はやはり全く違うのだ。その粉末洗剤を少しの水でバケツに溶いて、それに衣類を浸して30分待ってから、少し洗えばあら不思議、汚れがきれいに落ちてしまうのである。旅で汚れた鞄も靴もみんな洗ってしまって、すっきりする。
 
だいぶん体力が回復してきたようだ。ダルシャンの雰囲気にも慣れてきたし、手紙を書いてみようと思う。春に来た時には受け取ってもらえなかった。受け取ってもらえなかった理由は、自分で考えてみて何となく分かった気がする。今回はどうだろうか。今回は、日本語で書くことにした。拙い英語で書いたところで心が伝わるわけはないだろし、サイババは日本語も理解するという話だから問題はないだろう。何よりも大切なのは、手紙を書く時の私の気持ちであり、手紙を渡すときの私の心の持ちようなのである。
 
翌日のダルシャンで、サイババは、私の手紙を受け取ってくれた。幸せな気持ちでいっぱいになった。こんなにうれしい気持ちになったことは久しくなかったように思う。とにかく手紙を受け取ってもらえたのであるから、春に来た時に比べれば大進歩である。知り合いになった日本の人に「まるで子供のように喜んでいる」と言われたが確かにそんな気分であった。

アシュラム内には二階建ての立派な売店があって、アシュラムの生活に必要なモノから、みやげ物までひととおり揃えることができる。その一階にあるパン屋さんとアイスクリーム屋さんには、いつも列ができている。
それから人気があるのはココナツ売場である。1個5Rsのココナツが飛ぶように売れている。

アシュラムには、日本人のグループがある。春に来た時、ホワイトフィールドからプッタパルティーに移動するのに同乗させてもらったバスを仕立てたグループだ。他にも日本人のグループはあるようだし、私のように個人的に動いている人間もいる。
そのグループの人と知り合いになったので、アシュラムの事など教えてもらうついでに、そのグループの人のいる宿舎に案内してもらった。場所はアシュラムでもいちばん北側に並んだ建物の一階であった。そこは、寝泊まりする場所ではなく事務所風になっていたので、日本人グループが事務所を構えているのかと思ったが、そうではなく、そのあたりの建物の管理の取り次ぎを彼らがまかされていて、そのための事務所なのだそうだ。しかし、出入りするのはやはり日本人が多い。奥の部屋には布団や座布団、折りたたみの座椅子などの中古品のストックが保管してあり、薬や日本語のサイババ関係の本もあった。
ほとんどの日本人は普通の観光ビザでインドに入国しているから、半年しか滞在できないわけだが、私が春に来た時に見かけた人も何人かいた。インドの夏はさすがに暑いので、秋から春にかけてやって来る人が多いのかもしれない。
この時期のプッタパルティの気候は、軽井沢の夏の感じである。アシュラム内は良く整備されていて、緑も多い。その木立が野鳥の住処になっていて、朝晩はうるさいくらいである。

手紙を受け取ってもらったこともあって、順調な感じである。生活のリズムも安定してきた。ラジオもテレビも新聞もない生活も悪くない。
インタビューに呼ばれたいと思う。サイババの所に来るからには、誰しも思うことではある。しかし、現実にはそれほど簡単のことではない。1週間も経つとそのへんの状況はだんだん分かってくる。私が個人でインタビューに呼ばれる可能性はほとんどないだろう。それは、私の気持ちの問題でもある。私が、インタビューに呼ばれることを確信しており、それが、自身のおごりや傲慢によるものでなく、私心がなければ、スワミは私をインタビューに呼ぶだろうが、自らを振り返れば、私はほど遠いところにいるのである。
たとえば、会場に集まる3000人の信者から毎日30人をインタビューに呼ぶとして100日かかるわけだ。もちろん、誰でもかまわず均等に呼ぶわけではないから、連続して何回も呼ばれるグループもあれば、何年通っても呼ばれない人もいる。しかし、外国人の場合には、グループ単位でインタビューに呼ばれることが多いのは事実のようである。
この日本人グループの場合にも、ある程度の間隔でインタビューを受けているらしい。しかし、3ヶ月呼ばれないこともあるという。
スワミの生誕祭が近づくと催し物があったり有力な信者が来たりして、一般のインタビューの機会が少なくなると云う話も聞いた。

私がインタビューの機会を得るためには、この日本人グループに入れてもらうのがベストであろうと思う。それでも私がグループに入ることを躊躇しているのは、やはり、自分がサイババの信者であるという自覚がないためなのかもしれない。
私の場合、信仰というのは、純粋に個人的なものだと云う気持ちが強い。それを、何教の信者であるとか、誰それの信者であるとか、宣言することには無理を感じる。神はただ神であって名前もなければ姿もない。私は、神前で柏手を打ち、道端のお地蔵さんに手お合わせるが、それは、そういった具体的なモノをヨリシロにして自分の内にある何かと交流しているように感じる。
しかし、サイババは生きている人間である。正直なところ、最初は、サイババに向かい手を合わせる事にさえ抵抗を感じたのである。人は全て平等という考えからすれば、手を合わせて人を拝むという行為をして良いものだろうかと不安になったのである。
しかし、手を合わせてみると、それは相手に対して自分の意識を集中させるために適した姿勢であった。そして、サイババに対して手のひらをかざすという、あまり行儀の良くない行為までするようになった。太陽に手をかざすように、サイババに手をかざすとパワーをもらえるような気がするのだ。サイババは確かに特別な人のようである。

「ヨブへの答え」

2007-09-29 04:27:03 | Weblog

何か違った傾向の本を読みたくなって、本棚から「ヨブへの答え」(C.G.ユング みすず書房)を出してきた。
この本の冒頭に「好意的な読者へ」というユングの書いた前書きがあって、共感するところの多い文章でしたので、コピーしてみました。
ちなみに、この本を書いたとき、ユングは70歳台の半ばでありました。
この本では、なぜイエスが生まれたかと言う問題・旧約から新約への神と人間のドラマを描いています。

----- 「ヨブへの答え」(C.G.ユング みすず書房)より ------
 本書では、宗教的信仰の神聖な対象を俎上に載せることになるが、そのような者は誰であれ、まさにそのような対象をめぐって相い争っている両派のあいだでずたずたに引き裂かれる危険にさらされるものである。この争いは独特の前提に、すなわちあることが物理的事実として示される・あるいは示された・ときにのみ「真実」であるという前提に基づいている。たとえばキリストが処女から生まれたという事実を、ある人は物理的に真実であると信じるが、他の人は物理的に不可能であると反論する。誰でも明らかなように、こうした対立は論理的には決着の付けられないものであり、それゆえこうした不毛な論争は止めるのが賢明というものであろう。つまりどちらも正しいしどちらも間違っているのであって、双方が「物理的に」という言葉を捨てようと思いさえすれば、簡単に和解できるであろう。「物理的に」ということは真理の唯一の基準ではない。というのも心的な真理というものもあるからであって、これについては物理的には説明も証明も反論もできないのである。--中略--
 宗教的な発言はまさにこの部類に入るのである。それは例外なく、物理的には確かめようのない対象に関わっている。そうでなければ、それは有無を言わさず自然科学の分野に入れられてしまい、自然科学によって経験不可能なものとして無効とされてしまうであろう。物理的な事柄については宗教的発言は何の意味も持たない。その世界では宗教的発言はただの不思議であり、それだけで疑いの眼を向けられるであろうし、また一つの精神・すなわち一つの意味・の実在さえ証明できないであろう。なぜなら意味はつねにおのずから示されるものだからである。キリストの意味や精神はわれわれのうちにあり、奇跡によらずとも感じ取ることができる。奇跡は意味を掴み取ることのできない人々の知力に訴えるだけである。奇蹟は精神の実在を理解できないときの代用品にすぎないのである。こう言ったからといって、精神が生き生きとして現われているときにたまたま不思議な物理的出来事を伴うことがあるということを否定するものではなく、ただそうした出来事があったからといって精神を本質的に認識する代わりを務めることもできなければ、精神を認識させることもできないということを主張しているにすぎない。
 宗教的な発言が物理的に証明されている現象としばしば対立することさえあるという事実は、精神が物理的知覚から独立していることを、また心的経験が物理的事実からある程度独立していることを証明している。心は自律的な要因であり、宗教的発言はこころ(ゼーレ)の告白であって、それは最終的には無意識的な・つまり先験的な・働きに基づいている。この働きは物理的に知覚することはできないが、しかしその存在はそれに対応したこころ(ゼーレ)の告白によって証明される。こころ(ゼーレ)の発言は人間の意識を通して伝達される、すなわち具象的な形式を与えられるが、この形式はこれはこれでまた外的内的な雑多な影響に曝されている。それゆえ、宗教的内容について語るとき、われわれは言葉では表現しえないものを指し示すイメージの世界とかかわりあっているのである。--後略--

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