如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

ニコラス・レーリッヒ

2006-05-07 12:27:53 | Weblog
昨日マリーゴールドの写真を探していたら、ヴァーラーナスィーの安宿の写真になってしまい、急に話が飛んでしまった。

それで、ヴァーラーナスィーについて、少しだけ紹介しておきます。
ヴァーラーナスィー、日本ではまだベナレスの名前の方がとおりがよいかもしれません。
位置はデリーとコルコトの中間くらい。そのあたりはガンジス川が南から北へ向かって流れており、川の西側に街があり、川岸に5kmくらいガート(沐浴場)が続いています。
三千年の都にして、インド最大の聖地。
ここで沐浴すればすべての罪が洗い流され、ここで死ねば間違いなく解脱できるといわれます。

それから、やはり昨日名前を出したニコラス・レーリッヒについても紹介しておきます。
Nicholas Roerich (1874~1947)。
ロシア生まれの東洋学者・画家。長期にわたりチベット奥地を調査して歩いた。

何はともあれ彼のすばらしい絵が鑑賞できるオンライン美術館があるので紹介しておきます。

Nicholas Roerich Museum 

Collection のページを開いて spiritual figures あたりから見ていただければと思います。
(各ページの右側に絵のサンプルがあり、選べます。)

マリーゴールド

2006-05-06 23:21:27 | Weblog
このプログを始めた最初のときに,ファイルタイプ(.jpg)でアップロードできなかったため、(.jpg)は使えないと思い込み、ずっと(.png)で写真をアップロードしていました。
思い込みというのは怖いものです。
同じ画面サイズでも、(.png)だと(.jpg)に比べてデータがずいぶん大きいので、このプログを見ていただいていた奇特な皆様には御迷惑をおかけいたしました。
とりあえず今後は(.jpg)を使いますので、写真の表示が速くなると思います。
なお、以前のデータは申し訳ありませんが当面このままです。

明日は天気が悪いらしいので、今日は外の仕事をしました。
夏野菜の苗の植え付け。なす3本、きゅうり4本、おくら2本、ピーマン1本、トマト2本、メロン1本、スイカ1本。
ピーマン、メロン、スイカはうまく出来た事がありませんので1本ずつです。
しかし、最近は強い品種が出回ってきているので、今年のスイカは食べられるかもしれません。

それから、マリーゴールドの種をたくさん蒔きました。
マリーゴールドはキク科の植物なので、香りも悪くないし、少しは虫除け効果もあるらしい。
ただ、今年蒔いた種は去年庭で集めたものなので、うまく芽が出るかどうか多少心配です。

インドに行くと、神像を飾るように、マリーゴールドの花輪が寺院の近くでたくさん売られていたりします。

今日の写真は、ヴァーラーナスィーのアッスィー・ガートにある HOTEL TEMPLE on GANGES の2月の写真です。(ただし10年前のです)
写真でマリーゴールドの咲いているところはガンジス川の川原です。
このあたりの川原はマリーゴールドの畑のようでした。
アッスィー・ガートは、ヴァーラナスィーの最もにぎわう場所からは2kmくらい上流ですが、静かでよい宿でした。

アッスィー・ガートから、さらに上流方向に2kmくらい行くと、立派な寺院と美術館のあるヒンドゥー大学があります。
そして、この美術館には、ニコラス・レーリッヒのコレクションが展示されています。

コリン・ウィルソン

2006-05-05 23:51:55 | Weblog
「予知夢について」のところで、.ウルマン他による「ドリームテレパシー」(工作舎)という本を紹介したが、
この本は、科学者の書いた本なので、こういった関係の全体像が見渡せるわけではない。
科学者が一番恐れるのは「非科学的」という烙印である。それによってすべてが台無しになってしまう。
だから、確かなデータに基づいた事しか書かない。

私にとっての教科書的な本はコリン・ウィルソンの「オカルト」「ミステリー」だったと思う。
彼の提唱する「X機能」は、どうもあまりよい理論には思えないが、とにかくコリン・ウィルソンのすごいところは、関係のありそうなことは省略せずにすべて書き出しておいてくれる事である。
その結果として本は分厚いものになるが、この本さえあれば、その関係の事は大概載っている。
この2冊のうちどちらか一冊を選ぶとすれば「ミステリー」を選ぶ。

これらの本がなければ、ヨーロッパにおけるオカルト研究の膨大な歴史など知りようがなかっただろう。
私はこの後ユングに興味を持つようになったが、ユングに入ってゆくきっかけは「ミステリー」だったと思う。
ユングの本の中でも、特に「自伝」は、真実が書かれている最高の本だと思うので、ぜひ読んでいただきたい。
ユングほどの人が体験した「真実」であり、この関係では最も信頼できる著作だと思う。

なお、オカルト関係からユングに入ってきた人を、学問的にユングをやっている人は嫌がるそうです。
学問的にやっている人は、あくまで科学の範疇でユングを研究発展させたいわけですから。

さて、こう書いてきて思うのは、これらの本の内容をほとんど忘れてしまっている事。
ユングの「自伝」はそうでもないけれど、「オカルト」や「ミステリー」はほとんど覚えていない。
まあ、辞書を引くように必要なところを読み直せばいいんですけどね。

猫の散歩

2006-05-05 00:33:26 | Weblog
夜、猫に催促されて外に出る。
外は、七日の月がちょうど南天に昇り、そのすぐ左にしし座の大がまがある。
近所の藤の甘い香りが東風に乗って流れている。

我が家には猫専用の出入り口があるので、24時間出入り自由なのだが、彼女は私と外に出ることを好む。
出かけるときは、猫が先に行き、私が後をついてゆく。
コンクリートのうってある風通しのよい広い場所が彼女のお気に入りで、そこでごろごろ転げたり、近くの木に登ったりして遊ぶ。
私はそう長く付き合えないので、先に帰ってくる。
冬は寒いし、夏は虫に刺されるのだが、それでも二日に一度くらいはそうしている。

プログを初めて1ヵ月半くらい。
やっとADSLが開通することになったので記念に始めたのだが、案外続くものだと思う。
田舎に住んでいるとADSLにするのも大変な事で、何回もチャレンジしてやっと開通したんですね。
NTTの人いわく「運良く空き回線が出来ましたので・・・」。
運がよくなければADSLも使えないのである。
使えるけどスピードは全然出ません。局から遠いんです。
ダイヤルアップの3倍くらい。
でもその3倍が大きいんですよね。常時接続だし。

4次元

2006-05-04 14:54:16 | Weblog
予知夢を見てから、それがどのような原理で起こるのか、いろいろ考えた。
常識的に考えると、予知夢はとてつもなく説明不可能な現象である。

宇宙空間から我々の肉体を観測すれば、我々の肉体は地球の自転によって時速1000kmをはるかに超える速度で移動している。
地球は太陽の周りをもっと速い速度で移動している。
太陽は、この銀河系の中でもっと速い速度で移動しているだろう。
この銀河系は、銀河の集団の中で、さらに高速で移動しているだろう。
この宇宙に絶対的な座標は存在しないらしい。
しかし、どう考えても、我々はとんでもない速度で移動を続けている。
さらに、時間は距離に換算すれば1秒で30万キロメートル。
1秒先の未来を見るということは、30万キロメートル遠方のものを見る事と同等なのである。
どうやって、数週間先の未来や、数ヶ月先の未来を見る事ができるというのか。

もちろん別の考え方もある。
時空上で、肉体は連続している。
時間を距離に換算して、肉体の運動を4次元上のグラフにすれば、ほとんどまっすぐな4次元上の直線になるだろう。
この4次元上の肉体は連続しているから、その中で情報の伝達が出来るかもしれない。
前の考え方は無線のイメージであるが、こちらの考え方は有線通信である。
もともと意識は、時間軸上の現在に完全には縛り付けられていないから、過去にはもちろん、未来にだっていけるはずだ。
この考え方で、私自身による私自身の未来についての予知は説明できそうだ。
しかしこれでは、肉体のつながっていない未来の予言とか、前世の記憶とかは説明できない。

前に4月25日のところで書いた「記憶のある場所」の仮説の方がもう少し洗練された考え方かもしれない。
仮説は実験によって検証しなければならないが・・・まだ実験できる段階ではないようです。

荒唐無稽な仮説にも思えるが、現象は存在するわけだから、人間がある意識レベルに到達すれば自然と説明できるようになってくるかもしれない。
では人間の意識レベルとは何か。
イメージとしては、人類の無意識の海で、混沌としたさまざまな考えが調整されて、集団的な共通の無意識が形成されてゆき、ついには意識に上ってくる。そんな感じです。

昼寝

2006-05-03 13:42:26 | Weblog
先日鬼束ちひろのことを書いたときには、実はセカンドアルバムまでしか持っていなかった。
それでサードアルバムの「Sugar High」を買った。
CDのジャケットを見て、ミュージックステーションに出演したときの、髪を白っぽく染めた鬼束ちひろを思い出した。
「Sugar High」は’02.12月。それから3年半経っているわけだ。

最初に歌詞を見ながら聞いたが、難解。
難解という以上に理解不能。
少し、買った事を後悔する。
しかし、数回聞くうちにだんだんよくなってきた。
彼女が言いたい言葉は、案外そう多くはないのかもしれない。
それを、難解な、あるいはイメージを喚起するだけの、あるいは響きのよい、言葉の森に隠している。
だから、耳で聞けばそれほど難解ではない。

先日、ビジョンについて書いた。
その後、ほかにビジョンらしいのはないかと思い出していたら、もうひとつ思い出した。
ただしこれは夢である。
朝、目覚める寸前に見るストーリー性のほとんどない夢である。

それは、人物のイメージであった。
その人は、生身の人間では一瞬たりとも留まっていられないような、まばゆくきらめく壮絶な光の空間で、寝椅子のようなものにもたれていた。
また、その人の衣装は、比類のないものであった。
完璧な生地、完璧な仕立て。
その衣装の前では、地上にあるどんな最上の衣装であっても、仕立ての悪い貸衣装屋の安物に見えてしまうだろう。
しかし、人物の顔はよく見えない。

目覚めたときに、神を見たと思った。
その姿に最もふさわしい人格神はヴィシュヌだろう。そう思った。

今日は連休の初日であるが、休養に当てるつもりで、こんな事をしている。
これから昼寝をするつもり。
最高の贅沢。

なお、写真はアケビの新緑です。
以前にも同じ木の写真を載せたことがあります。

初めてサイババに会ったときのこと その2

2006-05-03 00:09:27 | Weblog
4月29日の「祈り AUM SRI SAI RAM」を書いてから、3月19日の「初めてサイババに会ったときのこと」を読み返すと、少し実際と違う事に気づく。
「初めてサイババに会ったときのこと」を書いた時は、まだ表向きのスタンスで書いているので、本当のところの「期待する気持ち」の部分が相当薄められているのです。

確かに、私は期待しすぎる事を恐れていました。
期待しすぎると必ず後に寂しさやむなしさがやって来る。

子供の頃、祭りの後ほどさびしいものはないと感じた。
そしてだんだん、はじめから何事にも期待しないようになった。
その結果、祭りのときに祭りに溶け込んで楽しむ事が苦手になった。

同じように、アシュラムでサイババを間近で見ても、批判的というかシニカルというか、科学的に観察するというか、そういったスタンスで身構えている。
それでは祭りの本質はわからないし、サイババの本質もわからない。
内には間違いなく期待があるのだが、それをどう扱ってよいのかわかっていないのである。

しかし、インドに入ったのは、サイババに会うためです。
期待していないはずがない。
だから、デリーに入るとすぐ予定変更して、また飛行機を使い、サイババのところへ向かわざるを得なくなる。
観光などする気分ではないのである。

期待しているから、バンガロールで見た商業的なパンフレットにサイババの写真が載っているだけで、ショックを感じてしまう。
サイババの衣装やヘヤースタイルにしても、たいした意味があるわけではない。
そんなところを観察したところで、本質が見えてくるわけがないのである。

「こちらがサイババに一歩近づけば、サイババは十歩近づいてくれる」とどこかに書いてありました。
心を開いてサイババを味わう(サイババを感じる)ことが、まず第一段階なのだと思います。
そうなるまでに、私の場合すくなくとも数日は必要だったようです。
あの写真は、そうなる前の記念写真でした。

本当の理由

2006-05-01 22:58:18 | Weblog
あまり書く気持ちが沸いてこないので、写真を入れ替えたりしています。
きのうの「月光」のところの写真は、「瞑想の木」に入れ換えました。
プッタパルティのアシュラムの瞑想の木が実をつけたところです。
季節はたぶん2月だったと思います。
鳥が実を食べに集まって来ます。

アシュラムといっても、修行の場といった感じはあまりなくて、緑の多い大学のキャンパスといった感じです。
基本的には出入り自由になっているので(10年前の話です)、私は外から通っていました。

本当は、外から通うのはあまり薦められないことのようです。
外には心を乱すものがたくさんあるから。
しかし、アシュラムの中で暮らすと集団生活になるので、外のほうが静かに他人に煩わされずにサイババに集中できる事も事実です。
これは表向きの理由ですが。
もっと本質的な理由は私がタバコを吸いたいからです。
表向きの理由も本当の理由ですが、タバコのほうはもっと本当の理由です。
そういえば芥川龍之介に「煙草と悪魔」という小説がありました。内容は忘れましたが。
まあ、タバコのことはこれきりにしましょう。