韓国人はベトナム戦争でベトナム人の老人と婦女子を大虐殺しても謝罪も賠償もせず、更には「最貧国」と蔑む愚か者ですが、
ベトナムは
「939年南漢軍を破ったゴクエンはベトナムを独立させ、コロア(古螺)を都とし、自ら王を名乗り、中国からの1千年の支配に終止符を打ちました。
ベトナム人は自らの歴史を支配と反抗の歴史と呼びますが、愛国心の強さと侵略者に対する反抗心は、数々の独立のヒーローを生み出してきた長い歴史の中で彼らの命の中に培われてきたものであると思われます。」
http://homepage1.nifty.com/Cafe_Saigon/03b3.htm参照
1899年4月15日フランスはイギリスが後ろ盾のシャム(タイ)からラオスの宗主権を奪い、コーチシナ(南部ベトナム)、トンキン(北部ベトナム)、アンナン(中部ベトナム)、カンボジア、ラオスのインドシナ連邦を植民地化することに成功します。
1940年にはフランス統治下のベトナムに日本軍が進駐してきます。しかし、1945年8月15日太平洋戦争が終結し、ベトナムを占領していた日本軍が連合国に無条件降伏すると、8月16日ベトミンは総蜂起し9月2日にホーチミン主席がベトナム民主共和国の独立宣言を行います。
しかしながら9月23日にはフランス軍がサイゴンを占領し、翌年1946年にはインドシナ戦争が始まり、その後の泥沼のベトナム戦争へとつながって行くのです。
1961年ジョンFケネディが米国大統領に就任すると、
キューバやベトナムなどの第3世界への軍事介入をアメリカは強化するようになります。
1964年にはジョンソン新大統領は、ベトナムへの介入をますます強めて行きます。
泥沼にはまったベトナム戦争から抜け出せず、反戦世論の風も強まった中、パリでアメリカのキッシンジャー補佐官と北ベトナム側のレ・ドク・ト特別顧問の間で平和交渉が進められ、紆余曲折の末に1973年1月27日「ベトナムにおける戦争と平和の回復に関する協定」に米国、サイゴン政権、ベトナム民主協和国、臨時革命政府(南ベトナム解放戦線)の4者が調印をし停戦協定が成立します。3月29日ニクソン大統領はベトナム戦争終結を宣言し、米軍は南ベトナムを撤退します。
この後は、南ベトナム政府軍と北ベトナム軍のベトナム人どうしの戦争ということになりますが、1975年4月30日、北ベトナム軍はサイゴンへ入り、南ベトナムのズオン・バン・ミン大統領は無条件降伏をし、長く泥沼だったベトナム戦争は終結します。
ベトナム戦争は終結しましたが、この戦争がフランスの植民地からの独立だったことは、すでにニュースペーパーやTVのメディアからは忘れられ、ただ単に資本主義対社会主義の冷戦構造の枠組みの中にはめ込まれて報道されてしまいました。
この歴史シリーズを読まれればよくわかるはずですが、ベトナムの歴史は単純にソビエトとアメリカの都合によってできたものではありません。清国のアヘン戦争以降、植民地としてきびしい環境にさらされてきたアジアの歴史の一部として、見て行かなくてはならないものだと思います。
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この様にベトナムは、侵略して来た敵と戦いながら、長い苦しい歴史を生き残ってきました。
侵略国、中国からも、フランスからも、そして最後にはアメリカと戦って追い出した、独立心溢れる凄い国です。
これだけの長い間戦争が続いてきたのですから、国土は疲弊し、アメリカからはナパーム弾やら枯葉剤やら、聞くも恐ろしい武器で殺害されながら、朝鮮人にまで虐殺されながら、それでも独立を勝ち取るまで諦めなかったこの「強さ」には脱帽です。
日本でさえ、アメリカには原爆を二発も落とされ、国際法違反の住民に対する無差別攻撃によって敗戦の憂き目をみたのです。
東洋で唯一、列強(白人)とがっぷり四つ、で戦って勝った国です。
これを凄いと言わずに何と言うのでしょうか!
日本を裏切って「戦勝国面」する朝鮮人とは、大きく違っています。
有りもしない慰安婦問題、竹島問題で賠償を要求してくる様な下衆とは違い、あんな戦争犯罪を犯された相手に、損害賠償も要求しない気高さを、ほんの少しでも見習って貰いたいものです。
私が1996年にウィーンで映画出演した時に、エキストラの中に、ベトナム人のおじいさんが居ましたが、この人は独語が出来なかったので、間に中国人女優が通訳に入り、
「あなたは美しい!」
と言っている、と言われて
「ダンケ、ダンケ!」と答えると、楽しそうに微笑む姿が、印象に残っています。
朝鮮人と違って、図々しくないし、威張り散らさないし、ず~~っと人間としての格が上だと認識しています。
ベトナム料理も美味しいし!
元ゼロ戦パイロットが語る戦争の真実 - Zero Fighter pilot's testimony
http://www.youtube.com/watch?v=RJGOP2nCXVU
カミカゼ特攻隊から生還したスゴイ人 !! No.1
http://www.youtube.com/watch?v=PXGXsexVW1s
カミカゼ特攻隊から生還したスゴイ人 !! No.2
http://www.youtube.com/watch?v=FgZRLn_40AE
カミカゼ特攻隊から生還したスゴイ人 !! No.3
http://www.youtube.com/watch?v=nwzrpO18-qg
カミカゼ特攻隊から生還したスゴイ人 !! No.4
http://www.youtube.com/watch?v=K_bx7J4AM-k
カミカゼ特攻隊から生還したスゴイ人 !! No.5
http://www.youtube.com/watch?v=dnTUnAbQSJI
カミカゼ特攻隊から生還したスゴイ人 !! No.6
http://www.youtube.com/watch?v=7DKoeizzGnc
人種差別撤廃に全力を注いだ戦前の日本
アップロード日: 2010/04/27
今も昔も列強のマヤカシに騙され続ける日本。
列強に正義などない、あるのは利権だけである。
現代日本人よ、先人たちの崇高な理念を持った大和心を忘れてはいけない。
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本州は台風、その影響か、札幌はこの頃毎日の様にゲリラ豪雨が降って、今日はず~~っと雨が降り続いています。
夕べ、「特攻隊」の動画を見ていました、もう、泣きっぱなしで・・・・・
とても、涙無くしては見られません。
日本では、日教組=GHQの差し金による、日本を貶めた捏造歴史が教えられているので、戦後、日本は悪かったのだと信じ込まされてきました。
私は父から戦争の話も聞いているし、高校の歴史の教師がたまたま元将校で、インドシナを開放した本人でしたから、
「当時白人の奴隷にされなかった独立国は、アジアには日本とタイだけだった、大東亜戦争で日本は白人に支配されていたアジアを開放したのだ。」
「インドシナでは、日本軍の落下傘部隊が降りていくと、下から住民達の拍手で迎えられた。」
「インドネシアでは、敗戦後も復員せずに日本兵が残って、インドネシアを再び奴隷にしようと侵略してきたオランダ軍を追い払い、負けたオランダは悔し紛れに植民地を無くした損害賠償を要求、それを戦後保障としてお金を払ったのも日本国だった。云々」
と聞かされていたので、日本は凄かったんだ!!と思っていました。
実際、それが本当の事であったのが、今、散々歴史を調べてみて、証拠がいくらでもある「真実」だと確認出来て、日本と戦争をしていない特亜だけが、日本を「戦犯国」と大嘘を言い、日本を貶めている事が分かって、本当に薄汚い民族が有ったものだ、と呆れています。
調べれば調べる程、日本は武士道精神で、正々堂々、戦場でさえ、国際法を遵守して戦った、「正義の国」
そして、大東亜戦争に至ったのは、日本が白人の奴隷にされない為、アジア諸国を白人の奴隷支配から開放する為であった事が分かり、本当にあの時代の日本人は、今の日本人とは比べ物にもならないくらいに、純粋で正義を重んずる人であり、それが戦後のGHQによる捏造歴史で、二度と日本に強く成って貰っては困る、アメリカの思い通りに「劣化」した事が残念で成りません。
私の父は大正七年生まれ、去年94歳でこの世を去りましたが、大東亜戦争には赤紙一枚=一銭五厘で引っ張られ、本当に酷い目に遭い、霊能者で発明家でも有る父を、早死にした姉の霊が、戦場ではずっと守ってくれていたから弾も当たらなかったし、無事に生還出来たのだと、と言っていました。
父は風力発電のパイオニアですから、電気工事等はお手の物なので、戦争中も電信柱に登らされて、修理をさせられていたそうですが、その柱のてっぺんに登って工事の最中に、アメリカの戦闘機グラマンに狙い撃ちされ、どうやって降りたか分からないが、気が付いたら地面の茂みの陰に隠れていたそうで、グラマンの操縦士は、突然姿を消した父を、暫くの間執拗に探していたそうですが、その内諦めて帰って行ったそうです。
この「グラマン」には執拗に攻撃を受けていて、駐屯地で16歳位の少年兵が二人、父の脇にくっついて、父と楽しく会話をしている最中に背後から襲ってきて、あっという間に少年兵二人は肉片に成ってしまったそうです。
あの機銃は、一定の間隔が有って飛行機に取り付けられており、いくら打たれても、その「間」に居れば当たらないし、たまたま機銃照射の線上に居れば、吹き飛んでしまう、と言う訳で、父はたまたまその「間」に居たから死なずに済んだ訳です。
父の話はとても面白いし、小さな子供が大好きな優しい人だったから、少年兵にも懐かれたんでしょうが、その子供達がいっぺんに肉片に成ってしまった事が、どれ程ショックだったか、怪我をしなかった父は、その子達の血しぶきを被った訳で、私だったら、そんな体験をしたら、頭がおかしく成っていたと思います。
「最前線には勝ちも負けも無い、墜落して負けた様に見えても、落とした方は、その落ちていくパイロットの苦しみに歪んだ顔が一生付き纏う、それを一生背負って生きなければいけない。」
と言う事を、上記動画のゼロ戦ファイターが仰っていますが、戦争と言うものは、本当に惨いものです。
しかしながら、人間がこんなに野蛮である限り、自分の国が襲われたら、反撃しなければ民族抹殺又は奴隷にされてしまう訳ですから、一つの国を存続させる為には「自国を守る術が不可欠」なのです。
その術(スベ)を持たない国は、チベットやウィグルの様に、侵略の憂き目に遭ってしまいます。
タレントの何某が、中国が攻めてきたら、死にたくないから戦わずに中国の属国に成る、と言ってましたが、逆らわなかったら、民族浄化されてしまうので、決して生き残る事等出来ないって事が分からない様ですね。
これがアメリカによる、「民族劣化政策」の成功例でしょう!
こんな腰抜けが日本人に存在するなんて、大正生まれの正義感溢れる父親を持った私には信じられない事です。
自分の国を、母を、妻を、子を守る為に命を捨てていった当時の若者の様な日本人が、これから蘇る事を望みます。