”学芸員泣かせ”というこの屏風、色鮮やかで、観衆の一人ひとりが実に表情豊かに描かれている。しかも行列の通過した通りは私達に馴染みの深い道。観るのが楽しくなる条件が備わっていた。
後水尾天皇は堀川通りを南下し二条城に向かった(図のルートA)。今、城の正門前には工芸店「和光」がある。丸太町との交差点には、おでん屋「たぬき」がある。いずれも馴染みとなって時々訪れるお店。「ハーヴェストクラブ京都」に宿泊したときに、よく早朝散歩をしたのが「御所」から中立売通。将軍が天皇をお迎えに行った通りだ(ルートB)。
図録には屏風の4つの鍵が解説されていた。
保存状態・・・江戸時代から住友家に秘蔵されて来たためか、絵具の退色や剥落が少ない。
記録性・・・朝廷方と幕府方が集結した行幸の列。配列から出で立ちまで色々な記録と合致する故、歴史資料としての価値が高い。
見事な描写・・・人物から建築までなにひとつ同じものがなく、細やかに描き分けられている。寛永年間のやまと絵正系絵師の静かな情熱の結晶。
観衆パワー・・・沿道に押し寄せた老若男女の姿。それは風俗資料の宝庫。行幸というデモンストレーションは、彼ら観衆の存在で初めて成立する。 とあった。
しかし、最大の謎は謎のままだ。“やまと絵正系絵師”とは誰なのか。更にまたいつ頃描かれたのか。図録では、制作時代を、記憶のさめやらぬ寛永期と想像している。しかし、制作者は、この時代に活躍した土佐派や住吉派とは異なっていると断言。制作者の謎は解明されてはいない。
図録には、見て分かり易く、楽しくなるような、観衆の姿が紹介されている。右写真は「中立売通の町屋」。子供にオシッコをさせる母親。厳しい統制はまだここにはない。
右写真の絵では乱闘が始まっている。行列が通り終わるまで何時間かかったかは分からないが、長時間であっただろうことは想像に難くない。何が起こっても可笑しくはない。
おっとこんな姿態も描かれている。
オシャレをしてきたであろう人々も登場する。
バーベキューでは無かったが、炭火を持ち込み、現地調理を楽しむ一団も。お燗が主目的のようだが・・・。
私が経験したことで例えるならば、観衆席は、相撲見物と花見と葵祭見学と御柱見物がごちゃ混ぜになったような雰囲気だ。