マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

璉珹寺から興福寺仮講堂へ

2017年05月16日 | 

 奈良国立博物館を後に、私達はタクシーで「ならまち」方面へと向かった。普段東京では滅多にタクシーを利用しないが、奈良駅近辺の3人での移動では一人当たりの費用がバス利用(210円)よりも安くなるし、当然移動が簡便となる。
 昼食に予定していた「鹿の舟」が臨時休業と知り、そのお店の方から紹介された「あしびの郷」へと、「ならまち」の中心街を散策しながら移動。昼食はヘルシーで値段も手頃だっ。








 昼食後璉珹寺へ。そこへ行く途上で、右写真の“秘佛開扉 女人裸形阿弥陀佛”の看板が目に入って来た。仏様に性はないはずなのに、何故女人の阿弥陀佛?との疑問を抱きながら璉珹寺へ向かった。
 璉珹寺は、「ならまち」の外れに、崇道天皇社の少し先に在った。パンフレット「璉珹寺の栞」によれば「璉珹寺は紀寺の跡といい、縁起によると、天平年間聖武天皇の勅願で行基菩薩の開基とされ、紀有常公が改めて伽藍を建立して中興となっている。・・・」とあった。こじんまりとした緑豊かなお寺だ。



  
      (写真:璉珹寺山門)
 
本堂へ上がると直ぐに秘仏が目に入って来た。本尊の阿弥陀如来立像は光明皇后がモデルとされている。下半身に袴を穿き上半身は肌を露わにした白色裸形の仏像。確かにこの仏様は胸が微かに膨らみ女性に見える。最近は5月いっぱい開帳されるが、以前は秘仏とされ滅多に開帳されなかった為か、傷みは無く、綺麗な姿の仏様。袴は50年の一度取り換えられるとの事。主役は県指定の文化財だが、脇侍の観世音菩薩立像と勢至菩薩立像が重文という組み合わせ。
 女性2人は”女人裸形”の宣伝に眉を顰めたが、美しい仏像との感想。










 次いで「興福寺仮講堂」へとタクシー移動。興福寺は現在「国宝館」が耐震補強工事の為に休館中で、仮講堂で「天平乾漆群像展」が開催されていた。阿弥陀如来像を中心として、四隅に四天王像を配置し、八部衆像・梵天像・帝釈天像・金剛力士像など、実に多数の国宝・重文が一堂に配置されていた。
 なかでも阿修羅がひときは目立つ。私は凛とした少年の様に見えるこの像が大好きで、自分の部屋にポスターを飾ってあるほど。実像を観るのは3度目だが、今回は何故かその姿が小さく見えた。”阿修羅”は怒りの形相のはずだが、この像には内面的な雰囲気が漂う。(写真:興福寺五重塔)

 
 多くの国宝が展示され殆ど移動しないで拝観できるのは有り難かったが、もっと間近で拝観したかった。(写真:金剛力士像の阿形)
 
女性2人は新大宮の奈良ロイヤルホテルへ。私は奈良駅に接続するスーパーホテルへと一時別れ、近鉄奈良駅で合流。予約しておいた、おでん屋「よばれや」で夕食。
 気になったことがある。例えば、大和郡山に本店のある和菓子「菊屋」の支店が三条通りに、新たに店を構え始めたごとく、JR奈良駅付近が盛況になってきているに反し、近鉄奈良駅から「ならまち」へと通じる、餅飯殿通り商店街にかっての活気が見られないことだ。閉店した店もあった。「よばれや」にも以前の勢いは全く感じられず客も疎らだった。