マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

広尾から有栖川宮記念公園を経て麻布十番へ

2019年07月27日 | 身辺雑記

 都高教退職者会主催の「東京歴史散歩」の主舞台を麻布界隈と決め、もう何回かこの近辺を歩こうと、7月24日(水)には日比谷線広尾駅を起点にして有栖川宮記念公園などを散策してきた。
 広尾駅→有栖川宮記念公園→南部坂→ありすいきいきプラザ→フィンランド大使館→旧松方正熊邸→アルゼンチン大使館→仙台坂→大韓民国大使館→善福寺→賢崇寺→麻布十番 と回って来た。

 広尾駅から公園に行くには「天現寺橋方面改札」利用がベストだった。そこから徒歩で5分足らずで公園入口(広尾口)に至る。その地点に立って台地側を眺めると、右手側に上っていく坂が南部坂で、左手側に伸びているのが木下坂だ。この地は、江戸時代盛岡藩主南部美濃守の屋敷だったことから、右手南側の坂は南部坂と呼ばれ、左手北側の坂は、坂の途中に大名木下備中守の屋敷があったことから名付けられたそうな。その二つの坂に挟まれるようにして公園はある。(写真:南部坂)







 入口にはこの公園の由来と特色が大凡次の様に書かれていた。
 《江戸時代大名屋敷だったこの地は明治29(1896)年に有栖川宮御用地となり、更に大正2(1913)年には高松宮御用地となり、昭和9(1934)年には御用地の36.325平方メートルを公園地として東京府に賜与した。府は同年11月17日有栖川宮記念公園と命名し開園した。(写真:右が江戸時代の地図から。下は現在に公園近辺の地図)
           


 本園は都心にはまれな閑静な地で、丘陵から渓谷を下り池畔に至る地形の変化と、うっそうとした樹木など日本古来の林泉式の修景により、高雅な自然趣味の庭園となっています》と。 
 
本当に、この公園は何度来ても心安らぐ、都心のオアシスだ。麻布台地の地形を上手に生かした日本庭園の高台には、児童コーナーや広場や中央図書館があり、低地部には深い緑に囲まれた池がある。訪れた日、高台の広い広場では子どもたちが元気よく遊んび、グランドでは指導者について十数人の少年が何やらゲームに興じていた。どちらにも外国人の子供が混じっていた。

 この地には外国の大使館が多い。東京には大使館は120以上あるそうだが、南麻布だけで40以上の大使館があるとか。それゆえ外国人の子どもが多い訳だ。麻布近辺では外国人居住者が20%とか。
 かってこの地には大名屋敷・武家屋敷や寺社が多数存在していた。初めてのアメリカ公使館が善福寺に置かれたことに象徴されるように、大使館は大名屋敷ではなくお寺に置かれたそうな。明治に入ると、明治政府は麻布や赤坂の大名屋敷の跡地を大使館として活用するようになったとか。
 「歴史散歩」の当日、どちらかの大使館を見学させて頂ければと考えているが敷居は高そうだ。