我が街の、初夏を彩る風物詩が2つ終わった。
天祖神社では6月29日(日)に”夏越の大祓”の儀式が行われ、駒込富士神社では、6月30日(月)~7月2日(水)まで、”お山開き”だった。ご近所の二つの神社、同じ神社でも性格も祭事の内容も大きく異なる。天祖神社は江戸時代には駒込神明宮と称され、駒込村総鎮守とされた。現在では祭礼時には、近隣13の町会からの神輿が参集する。一方駒込富士神社は、現在の東京大学の地にあった浅間神社が、寛永年間に現在の位置に移転された後に富士神社と名乗るようになった。高さ5m強の富士塚をご神体とし、江戸時代からの富士講が有名で、今も山開きには多くの人で賑わう。
夏越の祓は本来6月30日なのだが、富士神社の山開きの6月30日と重なるのを避ける為6月29日になったのではと推理している。
天祖神社は数年前に湯島天神の副宮司であった福田喜一氏が新たな宮司として着任されてから、祭事活動が活発になったように見受けられる。多分、湯島天神での豊富な経験を天祖神社で活かしておられるのだろうと、僭越ながら推測している。
昨年初めて行われた”夏越の大祓”には500人以上の氏子が参列した。今年の開催時刻午後4時、木遣りを先頭に宮司が輪を潜り、神殿に入ったまさにその瞬間に雨が降り出し、時を経ずに豪雨となった。神殿内での儀式は滞りなく行われたが、宮司を先頭にしての茅輪くぐりは中止になってしまい、非常に残念な思いに捉われた。(写真:雨降る寸前)
(雨、激しさを増す)
(儀式終了後、雨小降りに) この茅輪製作には祭礼総務会や氏子青年会の方々の勤労奉仕があって漸く完成したもの。6月14日には、近隣の河原(多分江戸川)での茅刈が行われた。これにはラジオ体操の仲間で、神社総務会の役員を務める市村さんや、富士前町会の若い衆の伊東さんも参加。その後の茅輪組立まで大変な苦労を経て迎えた6月29日、豪雨のために、茅輪くぐりが出来なかったことが、返す返すも残念に思われた。(いずれの写真も、境内展示の写真集より)
しかし7月2日の昨日、朝6時頃に神社を訪れると、何人もの人が定めの方式に従って輪をくぐっていた。境内には輪作成の写真が展示されているので、多くの人はその辺の事情も知っているのである。当日くぐれなかったであろう人達が、後日にここにやって来て輪を潜っているのを見て、数日をかけて輪を作った若い衆の苦労がこうして報われている場面に立ち会い、嬉しかった。