時は戦国の世の天正時代。処は播磨の国の三木城。秀吉の播磨調略が開始され、黒田官兵衛が歴史の表舞台へと駆けあがり始めていた。
この物語の主人公は、城主別所長治ではない。彼の叔父別所重棟に嫁いだお春(福島正則の姉)の出産が間近に迫ったために、長浜から使わされ、お春に仕えることとなる侍女の希久(きく)である。斉藤利三の娘で、くの一の修業を積み、秀吉方の間者として三木の城内に送られたという設定である。
当初、織田方に味方していた三木城は、長治のもう一人の叔父別所吉親の強引な主導で毛利方に寝返る。織田方に心を寄せ、官兵衛とも親しい重棟は三木城を去らねばならず、別府(べふ)の阿閇(あえ)城へと移る。別所一族分裂の源流がここにある。お春とともに城を出た希久は、この城で官兵衛と出会い、官兵衛から、再度三木城内に侵入し、長治への終戦工作という、重い密命を受ける。
間道を利用して、首尾よく三木城に入れた希久には数奇な運命が待っていた。耶蘇教徒でもある希久は、布教活動を通じて周りの人々の信頼を勝ち得ていく。ある夜、城内を見回っていた城主は希久が語った”天国”という言葉をふと耳にし、「それはいかなる場所だ」と問いかける。これをきっかけとして二人は心を通わすようになり、情をも通じることになってしまう。
長治の苦悩は大きかった。自分の決断が誤っていたのか?、多くのものを死なせ、今まさに多くのものが飢え絶えようとしている地獄を見続けねばならない日々。戦に疲れ果て、閨に辿りつく城主の苦悩を希久は慰めるのみ。間者の任務と女としての感情のはざまで揺れる希久の心が描かれる。ここが物語の核心部分である。
三木城の結末を綴る前に、別所吉親の妻お可都の方を語っておきたい。吉親は別所氏滅亡のA級戦犯としてドラマでも、書物でも厳しく指摘されているが、妻は違う。畠山氏の末裔のお可都は、女だけの槍組”朱鳥組”を組織し、訓練を重ね、華麗な衣装に身を纏い、場外戦に打って出る場面がある。この物語を初読したときは、これもフィクションだと思っていた。しかし『播磨灘物語』の”別所衆”の章に次の文があった。
「新城の場合、防戦をあきらめ、城門をひらいて、突出してきた。その総指揮を、女武者がとっているのに秀吉方は驚いた。別所賀相(吉親のこと)の妻であった。彼女はさんざん戦ったあと、馬を寄せてきた秀吉方の篠原源八郎を一太刀で切りすて、兵を集めて本城へさった」と。巴御前を彷彿させる”女丈夫”はフィクションではなかった。哀切に満ちたこの物語で唯一、光輝く人物として描かれる彼女。ともに武芸に励んだ、あの後藤又兵衛と一戦交えるかに見えて、又兵衛は思い出の脇差を返すだけで去っていく、という別離を作者は用意していた。これは架空のことだろう。
この物語には幾つかの別れが描かれている。半兵衛の死を見守ることが出来なかった官兵衛は「官兵衛は決して裏切るような男ではない」とのメッセージを受けとることとなるが、感謝を伝える相手は既にない。涙・涙
一刻も早い開城を勧める希久は、それが愛する人との、とわの別れを意味すると知りつつも敢えて、降伏を勧める。間者の任務と女の情との相克を越えて、思いは諸人の命へ。長治は自ら命を差出し、妻や子や諸人と別れる。己を捨てて、皆の為に生きる姿は今も美しい。敗者の側にも命に代えても譲れないものがあり、守りたい人がいた。希久を通して、著者が描きたかったのは別所長治の心根、だと私は思う。
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