願成就院は、三島と修善寺を結ぶ[伊豆箱根鉄道]駿豆(すんず)線沿線の、韮山と伊豆長岡の中間辺りに位置する、高野山真言宗の寺院で、運慶作の国宝仏を5体所蔵している。昨年東博で開催された運慶展でその事を知った私達は、いつかはこのお寺を訪ねたいと思っていた。熱海伊豆山から2時間ほどの距離に宿泊していて、訪れるには絶好の機会だった。運慶展では展示されていなかった阿弥陀如来坐像を是非とも拝観したかった。
5月21日(月)朝、ネットで願成就院の休館日が火・水曜日であることを知って、22日(火)に行く予定を慌てて21日に変更し、熱海10時16分発静岡行を三島で乗り換え、無料の踊り子105号で伊豆長岡着10時55分着。途中鎌倉古道を歩きながら願成就院へ。
かつては広大な伽藍と敷地を誇ったであろう寺院も今は小院となっていた。守山の新緑を借景にして本堂の佇まいが美しい。拝観券を販売する人が、目の青い、作務衣を着た外国人であることを不思議に思いながら、本堂の扉を開けるといきなり阿弥陀如来坐像が飛び込んで来た。身の引き締まるような感覚。展覧会会場での拝観とは異なる感覚だった。
本堂には如来像の両脇に毘沙門天立像と不動明王立像。不動明王立像の直ぐ傍に制吒迦童子(せいたかどうじ)像と矜羯羅童子(こんがらどうじ)像。全て国宝の5体がこの本堂内におわします。椅子席が用意されていて座ってじっくりと拝観した。妻は最近購入した双眼鏡を取り出しての拝観。
隣での熱心な説明を終了した作務衣の女性が、次に私達に説明を始めてくれた。「随分熱心にご覧になっていましたね。どこでこのお寺を知りましたか」と尋ねられ「昨年の東博です」の切っ掛けが後に続く長い会話の始まりだった。 彼女は概略こう説明してくれた。
「運慶仏の第1号が奈良・円成寺の大日如来坐像(1176年)、次が興福寺の西金堂本尊の釈迦如来像(仏頭 1186年)で、第3号がここの阿弥陀如来坐像などの5体(1186年に制作開始)です。すでに建設されていた北条時政邸で制作された可能性が高い。東国における最初の造像です」と。弁舌爽やかに、滔々と語る口調に感心し、その事を絶賛すると「修行でお腹の底から声を出しているからでしょうか」と。修行の身と聞いて、私達は「御出家なさっているのですか」と聞き返した。「はい、住職の次女で副住職です」と。(写真:東博図録の参考図の阿弥陀如来坐像)
その後、彼女の海外生活・廃仏毀釈・半蔵門ミュージアムなどなどにも話が及び、不思議な外国人についても「あの方は運慶仏に惹かれて、こちらのお寺様での修行に入られたのですか」と聞くと、やや躊躇った後「いえ、彼は私の夫で、アイルランド出身のイギリス人です」と。(私に惹かれて日本にまでやってきたのです、とは語らなかったが・・・)。「その事は毎日新聞にも載りました」聞いて早速、4月2日の朝刊静岡版を注文したのだった。