2月11日のブログに登場した大豆「秘伝豆」の生産者、鈴木久二郎さんの「菜々穂農場」は山形県高畠町にあります。「菜々穂農場」とは実は生産者グループの名前で、今では鈴木久二郎さんが担当していますが、創始者は片平潤一さんです。
片平さん、今から30数年前に「有機農法」を唱え、実践した方です。少し前まで「有機農業」がブームでした。今も「有機野菜」や「無農薬米」には人気があります。しかし30年前「有機農業」は冷ややかな目で見られていました。それを唱えるものは迫害さえ受けた歴史があります。除草剤などを、空中散布すれば事たりる作業に反対したのです。空中散布を止めるとなれば、各農家は、手作業で田んぼを荒らす害虫の駆除を行わなくてはならなくなり、唯でさえ忙しい農家の作業量は一段と増すのです。農家の方から見ればとんでもない主張に思えた事でしょう。
しかし、片平さんから見れば、農薬が空中散布されれば、米だけでなく、他の農作物の安全性が大きく侵されると考えたのです。自らの農場では無農薬農法や有機農法を実践しつつ、高畠町当局に「空中散布」を止めるよう陳情し続けました。剛くて芯の強い片平さんに直接文句を言いに来る人はいなかったそうですが、学校で子供達は激しく苛められた、と後年片平さんは語っています。
片平さんの考えに同調する方も現れる一方、これを支援しようと消費者のグループも出来始めます。時代の変化とともに「有機野菜」等が注目され始めた時期でもあります。片平さんたちは生産者グループ「菜々穂農場」を立ち上げ、消費者グループも、東京や横浜を中心に何箇所かで発足します。後年、私が所属する事になったのは「文京鍬の会」。生産者グループは、消費者グループから生産希望品の数量を纏めて送付して貰い、農作物の生産量を調整し、農作業計画を立てます。消費者グループは、大変な農作業の”援農”に出かけます。このようにして、両グループは密接に結びついていったのです。1980年代、昭和で言えば50年代の後半、私も何度か高畠町まで足を運び、田圃に入り田植えや除草のお手伝いをした事もありました。温泉の案内をして頂いこともありました。
秋の終わりには、品川にあった「国民生活センター」で、生産者グループと消費者グループの交流会「収穫感謝祭」が行われ、多くの消費者グループが参加し、100人を越える集まりになった年もありました。その年生産されたものを美味しく、楽しく味わったのでした。餅つきが行われ、トン汁が振る舞われ、手作りの田舎料理がテーブルを彩りました。高畠で生産されたワインや日本酒も持ち込まれ、交流会は大変な盛り上がりを見せました。
しかし、順風満帆に進んできた、生産者と消費者の結びつきに思わぬ悲劇が襲いかかります。(この続きは次会ブログへ)
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