マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

菜々穂農場(その2)

2010年02月19日 | 身辺雑記

 順風満帆に進んできた、生産者グループと消費者グループの関係。生産者の方々の上に大きな不幸が襲い掛りました。生産者グループの大黒柱片平さんの妻のイチ子さんが、病死されたのです。忙しい農作業に加えて、生産者グループとの関係の事務方を一手に引き受けていたイチ子さんの死は、夫潤一さんだけではなく、生産者グループにとっても消費者グループにとっても、大きなショックであり、大打撃でした。私達が援農に出向くと、食事や寝る場所など、何かと面倒見てくださったのもイチ子さんでした。
 更には、片平さんの片腕とも言うべき舟山さん(片平さんの実弟で養子に出られていました)も癌で亡くなられ、追い討ちを掛ける様に、片平さん自身も癌で亡くなられてしまったのです。
 自己の健康管理がどのように行われていたか、外部からは知るよしもありませんが、私には”戦死”に思えてなりませんでした。有機農法を追い求めて来た故の、忙しすぎる日々から来る疲れ、健康診断をしっかり受ける時間的余裕も無いほどの忙しさが原因ではと思えてしかたありませんでした。
 彼が亡くなられたことを知らずに、片平さん個人への用事で自宅へ電話した折り、片平さんのお父様が電話に出られ「潤一、1週間前に冥土に旅立ちました」「  」言葉を失いました。二人の息子さんと嫁さんに先立たれたお父様の哀切極まりない言葉。悲しみをこらえながらの言葉が堪えました。
 生産者グループの中心メンバー3人を失い、生産そのものもが危ぶまれてきました。交流会は出来なくなりました。消費者側より生産者側がいかに困難な状況を抱えているかをも浮き彫りにした成り行きでした。

 そんな中で、生産者グループの一員だった、60歳を越えられたせ鈴木久二郎さんが、片平さんの後を引き継いでくれました。お陰で生産者グループと消費者グループの関係は、生産規模を縮小するものの、今までどおり続く事になりました。
 
 2・3横道の話を付け加えます。片平さんの息子さんは、片平さんが創設した「ハム・ソーセイジ」工場を運営しています。(片平さん父子はテレビにも登場し、ソーセイジ部門で優勝していました)
 生産者グループと消費者グループの接着剤の役目を果たされたのは、大学の教員で、有機農業運動を研究し、実践されているMさん。「有機農業運動」関係の著作を数点発表されています。そのMさんと大学以来の友人が12月18日のブログに登場したTさん。元同僚Tさんに勧められて、私達は「文京鍬の会」の会員になりました。
 私達は今も「鍬の会」会員です。大豆購入を切っ掛けに「鍬の会」会員になることをお勧めし、数名の方に会員になって頂きました。年会費1000円は、生産者グループとの諸連絡と,、
生産者側に何かご不幸が生じた場合に使います。大変な事務を一身に担っておられるのがKさんです。
 我が家ではお米も取っています。箱入り10kgの玄米が届くと、そのまま保存しておいて、食する日に精米機に掛けて精米し、直ぐに炊き上げます。美味しく炊き上げるのは私の得意技の一つでした(過去形です)。昨年10月から私が勤務に出ると、妻の出番となり、「一流料理店のご飯の炊き方」を真似し始め、これが実に美味しくて私の出番はなくなりました。


 折りしも2月初旬に送られてきた「秘伝豆」と米麹の中に「菜々穂便り15号」が入っていました。厳しい寒さと雪の中、農作業の準備に追われる鈴木さんの日常が綴られていました。お歳を召されながら、日々励まれ、頑張っている方がいる、その姿を想像しますと、自然と、私もしっかりしなくてはという気持ちになります。「菜々穂便り」は私に取って何よりもの励ましとなっています。


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