妻を含む、大学時代の友人3人が始めた「お話会」はあっという間に5年が経過し、さる9月28日に28回目を迎えていた。集う方は主として高齢者。皆それぞれに懸命に生きて来た人生があり、一芸を持っているはず。それらを語って頂くこと自体に意義は深いが、それ以上に聞く人が学ぶことも多いはずとの趣旨から出発した会。毎回「駒込地域活動センター」を利用して、2ヶ月に1度の割合で開催している。高校教師による「地名の話」や、朝鮮からの引き揚げの“決死行”もあった。元商社マンによる「化学の話」は5回にわたり、本として結実しつつある。主催者3人が話者として登場したこともあった。
妻が是非この人に語ってほしいと思い続けて来た方にアケミさんがいた。ママ友である。息子の保育園時代に知り合い、以来35年が流れていた。ご近所付き合いだから“お裾分け”で行き来することも多い。我が家での味噌作りも続けている。その彼女の自宅介護は35年の長きに及んでいた。是非その体験を語ってもらおうと妻は口説いてきたが、「話すのに慣れていないから」と断られて来た。その彼女にOKが出て、今回は「自宅介護35年」と題するお話会となった。
会の開催2ヶ月前から妻は準備を始め、彼女から何回か聞き取った話をA4用紙6枚にまとめ、それを基にリハーサルを重ね、当日を迎えた。
彼女が介護をしたのは、祖母・祖父・母の3人。1979(昭和54)年に長女が生まれた頃から、2年前の2014(平成26)年にお母さんを看取るまでの長きにわたっている。時として病院に入院したり、特養を利用したりしたことはあったが、被介護人の希望に沿う形で、自宅介護が多かった。ただ、お母さんの場合は認知症ともなり、散歩途中での転倒を繰り返し、骨折の恐れが大きく、以前から申し込んでおいた特養の空きがあったこともあり、3年間は特養ということもあった。
介護は大変で苦労も多かったことと思われるが、彼女の話はそれらを強調することもなく、自然体で35年間を淡々と語った。私は身近で彼女に接することは多々あったが、介護の日々だったことを忘れてしまうことの方が多かった。彼女の明るい人柄がそうさせたのだと改めて、しみじみと思った。
終わりに、在宅介護が出来た理由を語った。アケミさん自身に時間的余裕があったこと。逓信病院の個室入院は一日35.000円も要したが、遺族年金の支えがあったこと。それに、夫・妹・娘など家族の協力があったことと、気負わずに介護を続けたことなどを挙げていた。
参考になることとしては、必要ならばケアマネ、医療機関、ヘルパーを変える勇気を持つこと。行政による介護の範囲の変化に敏感になること。不安を感じたら、直ぐに近くの「かかりつけ医」に相談することなどを語った。最後のそれは、介護人となる場合だけでなく、自らの健康維持にも大切なことと思う。
35年とは想像しずらい時間である。私はこの会に参加していた長女アキさんのこれまでを思いつつ母アケミさんの話を聞いていた。介護開始の頃に生まれたアキさんの高校時代に私は数学を見たことがあった。その後大学を卒業し、仕事を持ち、結婚して、現在は一児の母となった。35年とはそれほどの長さである。
日常の生活に育児があり介護が加わった。その大変さを乗り越えてきたのは、ご本人はあまり語らなかったが、何事をも前向きに捉える気持ちだったと思う。現在の日本で、介護でご苦労されている方は多いと思う。こういう方もいることを知って頂ければとの思いでこのブログを書き終えたい。