今回の旅行で、5月13日(月)だけは”空白の一日”、事前に予定を立てていなかった。ホテルフジタ奈良に到着し、長旅の疲れを癒しながら”大和郡山を訪ね、興福寺の北円堂・南円堂を拝観しよう”と決めた。大和郡山には昨年の11月19日に短時間だけ立ち寄った。街なかを小川が流れる外掘緑地と、箱本十三町の古き家並みが情緒を醸し出し、私の好きな”古町”だった。ただここの最大の見どころは郡山城址。そこは訪れていなかった。そこで今回の散策の中心は城跡。
奈良からここを訪ねる鉄道は二つ。JR関西本線利用だと「郡山」駅下車。ひと駅で行けて160円。近鉄利用の場合が奈良線から橿原線に乗り換え「近鉄郡山」下車。5駅で220円掛る。この両駅が街の東と西の外れに存在し、その両駅を結ぶ矢田筋が街のメインストリート。
いつものように、降り立ったJR郡山駅から直ぐそばの観光案内所に寄り、地図やこれはと言うお店などの情報を仕入れる。ここで頂いた地図は3種類あったが、いずれも詳しい情報が載った上、見やすい地図という優れもの。この地図を頼りに散策を開始。 JR郡山⇒外掘緑地⇒紺屋川⇒和菓子菊屋⇒城跡⇒郡山城ホール⇒箱本十三町⇒近鉄郡山と巡った。今まで歩いた”古町”の中でも、実に歴史的建造物が豊富で、街並みが美しい。弘前や鶴岡と同じ様に、何度も訪れたいと思える城下町。以下はその重点的報告。(写真:外堀緑地)
①まずは郡山城跡。戦国の世、城主は筒井順慶から豊臣秀長へ。彼は城の大拡張工事や城下町繁栄の為の有効な数々の施策を実施したらしく、街を歩いていて人気が高い事が感じられる。江戸時代の享保9年、柳澤吉保の息子吉里が甲府より入城。以降明治2年の藩籍奉還まで柳澤家が藩主。
多くの、深い掘りが残されていて、堅固な城であった様子が分かる。天守台跡や追手門では昔のよすがを感じ、柳沢文庫は今回はパス。『菜の花や 中に城あり 郡山』許六の句碑あり。
(追手門)
(追手向櫓) ②街中を流れる紺屋川沿いに金魚屋「こちくや」があり、郡山は金魚の町でもあることを思い出させてくれた。全国大会もここ大和郡山で開かれ、この金魚屋さんは奈良県地区の予選会場。私達が文京区から来たことを知った店主「あそこは”金魚坂”と言う店があり、うちから指導員を派遣しているヨ」とのこと。(写真:こくちや正面)
(掘り:紺屋川) ③柳町商店街の外れにあるのが和菓子菊屋本店。創業400年以来の名物「御城之口餅」を注文すると、お茶が用意され、店先に座ってゆったりとその味を楽しめた。3個で240円という格安。他の支店と比較しても格別の安さ。伝統の味は、滋味深いものだった。(写真:出されたお餅)
④十三軒町と言われた数々の町並み。材木町・紺屋町・豆腐町・雑穀町・茶町・車町等々。そこでどんな仕事が行われていたかが今に伝わる町名。その家並みのあちこちを散策した。商工業種別を基本とした箱本十三町。その運営は十三町の当番制の自治であったそうな。その観光案内所は月曜日が休み。(写真:とある町並で)
⑤翌日も午前中に大和郡山に出掛けて「来たむ良」を訪れ昼食を摂った。右写真の定食がデザートの善哉が付いて1400円というお安さ。味付けも絶妙で、大和郡山の食の面での奥の深さを垣間見た感じ。(写真:来むら良弁当)
(落ち着いた雰囲気の店内)