マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『お茶の水渓谷クルーズ』に参加

2014年12月09日 | 江戸の川・東京の川

 岩本町・東神田ファミリーバザールの一環として、「お茶の水渓谷クルーズ」があり、12月7日(日)、源氏の会会員の水越さん・島谷さんと妻・私の4人で参加してきた。
 このバザール、今回で71回目を迎えていた。第1回は、ほんの小規模での出発だったそうだが、回を重ねる度に大きくなり、最近では年2回、12日に及ぶ大規模なイベントとなっている。何せ衣類などの問屋街の岩本町。問屋さんが多数出店を連ね、卸値での販売品も多々あるということで大人気となっている。

 そこに、クルーズというイベントが加わったのはいつの頃だったのか。2年前の5月には、和泉橋から柳橋まで神田川を下り、隅田川を言問橋までを巡って、船上から東京スカイツリーを眺めたのだった。今回は逆に和泉橋→お茶の水渓谷→水道橋までを遡り、そこからUターンして来るコース。神田川は聖橋と和泉橋間をまだ通ったことがなかったので、私にとってはラッキーなコースだった。


      (人出はこれから)


 11時の乗船券を購入しようとしたが、既に売り切れ。結局12時半スタートの乗車券(800円)を購入した。乗船までの2時間弱を、バザールの会場を見て回った。衣類から日曜雑貨まで多種多様な商品が並ぶ。私たちは、お安い、皮の手袋を780円で購入。昼食を和泉亭のランチ880円で済ませ、12時10分に乗船場に並んだ。既に乗船待ちの長い列が出来ていた。船は右写真に見るごとく、50人乗りの、三浦屋所有の屋形船。少し乗船が遅かったので窓側の席は埋まっていて、中央のテーブル席でのクルーズとあいなった。

 定刻10分前にスタート。直ぐに目に入る、かって中央線が停車した、煉瓦造の万世橋駅跡と万世橋。これが美しい。少し進むとJRお茶の水駅。ここは今バリヤフリーの工事中で、エレベータが来年には完成するとのこと。見上げるという視点からすべてが新鮮に見える。更に上流の右岸は護岸工事がなされ、この間は工事のオン・パレード。川に架かる橋の、昌平橋・聖橋・お茶の水橋・水道橋はすべて通ったことのあるお馴染みの橋だ。途中からは、船の屋上に出ることが許され、地下鉄丸の内線や中央線の電車姿を狙ってシャッターを切った。あっという間の、1時間の乗船でクルーズ終了。
 
このところクルーズづいている。新年は”クルーズで初詣”を申し込んであるが、これには抽選あり。果たして幸運は舞い降りるか。(万世橋駅跡)


    (お茶の水橋の向こうには中央線)


    (地下鉄丸の内線が姿を現す)


『てらまっち』で教える

2014年12月07日 | 学び舎

 昨年10月5日のグログに登場させた「こまじいのうち」は、日曜日を除き、毎日色々な催しを実施している。土曜日の午後は“てらまっち”と称する学習支援の場となる。意欲がありながら、家庭の経済的事情(ひとり親・生活保護・被災者など)により学習塾に通えない生徒に対して、数名のボランティア教員が学習の手助けする。対象は小学5年生から中学3年生。
 文京区社会福祉協議会の浦田さんから、私に講師の依頼があったのは10月のこと。私は算数と数学の指導ということでお引き受けし、昨日の12月6日(土)、初めてそこで教えてきた。その様子は以後のブログで綴るとして・・・。


   
 かって“るるぶ”という言葉が流行り、そのような名前の雑誌も出版されていたが、これは見る・食べる・遊ぶ、の末尾を繋ぎあわせた造語。それに倣って、私は“ぶぶく”で自分の行動を分類している。遊ぶ・学ぶ・働く、の末尾を繋げた言葉で、好きな順に並べるとこうなる。
 このブログの“愛読者”にお会いすると、「よく遊んでいますね~」と言われる。特に否定はしないが、実はあちこちで働いてもいる。今日は仕事の話となったのをきっかけに、言い訳がましいが、遊びだけではなく働いている面も記しておきたい(強調しておきたい!)。
 学んできた数学を活しての仕事は、荒川5中での数学教員補助としての勤務と、最近依頼されて始めた家庭教師。それにこの“てらまっち”でのボランティア。
 数学とは、全く関係なく、自ら進んで、あるいは依頼されて務めている役柄、これが意外に多い。町内会では広報と会計監査、冨士前福寿会では会計、都高教退職者会の幹事、日本教職員退職者会のニュースの編集子、マンション管理組合の理事長、中学時代のクラス会の幹事。それに、山行の呼びかけ人。文京区の区民課から統計の仕事が舞い込むこともあるが、行政書士の仕事は数年前に廃業していて、この仕事はない。
 これらの仕事が順調にいっていると、気分爽快でもあるのだが、この年齢になると何かとミスが多々あり、それらが重なってストレスが溜まると、何もかも嫌になり、全てから逃げ出したくなることがある。年に一度くらい起こる。もう歳だから、少し戦線を縮小しなければとも思う。




『鳥獣人物戯画展』を観る

2014年12月05日 | 映画・美術・芝居・落語

 10月7日から始まった、「国立京都博物館」の“鳥獣人物戯画展”は、11月24日にその幕を閉じた。私たちは、長浜での“観音めぐり”の翌日の11月14日(金)にここを訪れた。

 10月には、妻が、11月上旬には妹夫婦がここの鑑賞に訪れ、その混雑ぶりを聞かされていたので、何とかそれを避けようと、朝8時には博物館に到着し、列に並んだ。ところが既に長蛇の列が出来ていて、物好きな私は、前から何番目くらいかを数えたら130番目。数日前から開館時刻が9時半から9時に変更になったそうな。それでも1時間の待ち時間で入館できたことはかなりベストの選択であったことを、後刻実感することとなる。
  
 今回の“鳥獣戯画展”は「朝日新聞文化財団の助成による修理が完成したことを記念して、甲巻から丁巻までの4巻すべてを公開します」とあるように、修復なった甲・乙・丙・丁の全巻一挙公開である。それもあっての大人気なのだろう。一番有名な甲巻の前で大渋滞が起こっていた。絵巻だから遠目では見られない。一列になってのゆったりの鑑賞。時間がかかる訳である。
 私は、平安時代から鎌倉時代にかけて、作者不明ながら、このようなユーモア溢れる戯画が描かれた、その時代の精神というか、描いた著者の心の有り様に驚かされる。今から800年以上前に、現代の漫画を彷彿させる様な画を、誰が一体どんな思いを込めて、如何なる目的で描いたのだろう。
 甲巻ではカエルとウサギが遊び、カエルがウサギを投げ飛ばしている。

 乙巻では想像上の龍や麒麟などが描かれ、丙巻では人間も登場している。その丙巻は別々の絵巻を繋げたと考えられて来たが、実は前半と後半は、もともとは一枚の紙の表と裏に描かれたものであることが判明したとも書かれていた。
 見応えがある戯画絵巻で、それにまつわる謎も教えられた。


 「平成知新館」が完成し、記念の展示「京(みやこ)へのいざない」も鑑賞した。ただ疲れていたので、その前に喫茶店でココアブレイクし、外を眺めると、もの凄い人数が並んでいる様子がよくわかった。「入館待ち140分 入館後50分で戯画へ」の表示も見られる。“ご対面”まで3時間10分の所要時間。多くの人々はその待ち時間を厭わずの展示会だった。東京では4月28日~6月7日の開催とのこと。


『八月の六日間』(著:北村薫 出版:角川書店)を読む

2014年12月03日 | 読書

 『八月の六日間』は北村薫の最新作である。ただし、ミステリーではなく、山をテーマにした、5つの話からなる連作小説。
 私は、楽しく、懐かしく読んだ。それというのも、かって、私は第2話以外の4つの山に登ったことがあり、主人公の”私”が通ったと同じコースを辿り、ほぼ同じ山小屋に宿泊しているからだ。その5話は
 第1話 燕岳から表銀座を経て槍ヶ岳
 第2話 雪の裏磐梯
 第3話 上高地から蝶ヶ岳・常念岳を通って中房温泉
 第4話 麦草峠から奥蓼科温泉
 第5話 雲ノ平から三俣蓮華岳を経由して新穂高温泉
 
 いずれの話も雑誌「小説 野生時代」と「小説屋Sari-Sari」に連載されたものだが、話は一本にまとまっている。主人公は、40歳間近かの女性で、一緒に暮らした男性とは5年前に別れ、この物語期間中は独身。雑誌社に勤務し、第1話では副編集長だったが、第3章では編集長に昇格している。体力はそれほど無いが、一人歩きを好み、ここに登場する物語では全て単独行。その彼女の、健気な、山での奮闘物語である。

 
 第2話から登場する「それまで」で山に行く前の準備が語られるが、そこでは、準備の話だけではなく、現在の職場の人間関係や、親しい友とのメール交換や、別れた男とのイキサツが語られる。山に持っていく本に悩む場面も登場する。山に入ってからは、その山行の物語だけではなく、「それまで」に登場した人々に思いを馳せ、持参した詩集の一節や小説を思い浮かべる。「それまで」が物語の伏線になっていて、上手い物語構成だなと感心する筆運びだ。

 
 デビュー作『空飛ぶ馬』から始まる一連のシリーズの主人公が”私”という女子大生であったように、北村薫は、女性心理を描かせたら当代一流だと思う。覆面作家としてデビューした当時も、この作家は男性か女性かで話題になったこともあったほどだ。その北村薫が満を持し、女性の”私”を主人公にした山物語は非常に読みやすく、蘊蓄に富んだ話が沢山語られていて実に面白かった。
 この小説を読むと、自分も山へ行ってみようと思う人が多々いることだろう。山入門書にもなっている。私も何人かにこの本を薦めたくらいだ。私自身、第5話の舞台となった、未踏の高天原温泉へは是非行きたいとの思いにさせられた。
 

 


箱根外輪山を歩く

2014年12月01日 | 山旅

 11月29日(土)~30日(日)、箱根の古期外輪山の明星ヶ岳・明神ヶ岳に登ってきた。参加者は山仲間の熊倉さん・甥の秀治くんとその友人のIさんと私の4人。
 今秋は、谷川岳に登る予定だったが、甥と私の日程の調整が巧くいかず、11月上旬を断念しての下旬の山行では谷川岳は時を逸していると判断し、箱根の山に変更したのだった。

 29日は金時山に登る予定だったが、登山口到着時には雨が一段と激しくなり、この日の登山を断念。翌日の明星ヶ岳の登山口の確認に回った。
 早川の左岸に聳える山々の箱根外輪山は、南から北へ、塔ノ峰・明星ヶ岳・明神ヶ岳・火打石ヶ岳・金時山と連なり、宮城野あたりの
山裾も一大別荘地帯。その別荘地の奥から明星ヶ岳へと入っていく登山路捜しに少し苦労したが、そこでは、見事な紅葉に巡り会えて大満足。
 この山々には何度も来ていた。向丘高校遠足の引率や、その向丘高校の若手男性教員と某幼稚園女性先生方との合同ハイキング、鷺宮高校では”低山歩き”等々。又、明星ヶ岳は8月16日の大文字焼で名高い。ただこちら側からの登山は初めてで登山口の確認が必要だった。(写真:明星ヶ岳と”大”の字)

 確認後、宿チェックインまでの時間を「勘太郎の湯」で3時間ほどを過ごした後、この日の宿「ハーベストクラブ箱根甲子園」へ。私以外の3人は初めての宿。3人とも庭園や風呂に大満足。その勢いもあり、夕食時は高価な赤ワインをボトル注文してしまった。ここのバイキングはメインディッシュを魚や肉から選べる点がユニークで、その点も好評だった。


 朝は7時半に宿発。8時には宮城野に車を置いてスタート。
 宮城野→十文字焼場所→明星ヶ岳→明神ヶ岳→鞍部分岐→宮城野と回って、元へ戻ってきた。朝の天候から推して、山頂での快晴を期待したが、残念ながら終始霧に遮られて展望には恵まれなかった。しかし、ゆるやかな尾根コースのハイキングでのんびりとした一日を過ごすことが出来た。下山してくると、モミジが、待っていたかのように赤・黄色の色鮮やかなハーモニーを見せてくれた。
 車運転は全コース、秀治くん。ご苦労様でした。来年こそは谷川岳へ。


  (十文字焼場所から徒歩10分の分岐)




    (縦走して来た外輪山のゆるやかな尾根)