町会の、法人化に向けての活動の様子を、私は時々電話で問い合わせた。「あと1年くらいかかるでしょう」とか「もう半年ほど待って下さい」などの答えが返ってきたが、半数以上の、承諾の署名はなかなか集まらなかった。そのうち、高山さんへメールしても返信が来なくなり、電話も通じなくなっていった。訝しく思ったが、私はこの間は八王子へ足を運んではいない。(写真:八王子市市旗)
数年して高山さんから電話があった。「脳梗塞で倒れて入院していました」とのこと。その後遺症かやや言語障害が感じられた。そのことを知ってから私は考えてしまった。「今後の生活や入院あるいは有料介護施設への入居等の為に多額の費用が掛かる可能性があるから、町会への不動産相続は中止した方が良いのでは」と思った。その旨の電話を掛けると「いやその必要はないのです。不動産はやはり町会へお譲りしたい」とのことだった。
2015年、久し振りに彼女の自宅を訪ねた。彼女の従姉さんも一緒だった。町会への相続の意思が固いことを再確認し、従姉の方の連絡先などを聞いて帰宅後、町会へ問い合わせると「あと100名ほどの署名が必要です」とのこと。
その後数ヶ月して、高山さんとは再度連絡が取れなくなった。今年9月、従姉の方からの電話で、入退院を繰り返すようになり、認知症も出始めていることを知った。10月に有料介護老人ホームを訪ね、2年振りに高山さんと再会した。お元気そうには見えるが以前の様子とは明らかに異なる高山さんの姿があった。ケアマネージャさんの話だと「今日はお元気ですが、大変な日もあります」とのこと。数日後、再度施設を訪ね小説や数独問題集などを置いて来たが・・・。
財産の問題や成年後見人のことも視野に入れて緊急な対応する必要を感じた。そこで私は従姉の方と一緒に、高山さんを連れて八王子市在住の司法書士K先生を訪ね、今後の相談に乗って頂くことお願いし、快諾をして頂いた。
後日、今度は町会の方々をK先生に引き合わせた。町会の法人化に捉われることなく、早急に、不動産を含めた財産問題を解決しなければならないことを、高山さん・従姉の方や町会の方々が共通認識として持った。今後はK先生が幾つかのプランを作成し、最終的には高山さんに選んで貰う方向だ。
高山さんの様子を見に行くことも含め、八王子には何度も通うことになるだろうが、司法書士K先生が引き受けて下さった時点で、2011年に高山さんから依頼された宿題のバトンタッチが一応は終了したかなと、私は思った。「それは、高天原から始まった(その1)」の冒頭に“節目の時を迎え”と書いたのは、そういう意味だが、ゴールはまだ見えていない。