徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

最後の夢(第五十二話 写真)

2005-12-13 23:57:00 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 「夕べまた怒りのメールが届いてたわ…。 
雅人くんはほんとにあなたのことが大好きなのね…。」

 笙子はベッドの上の大きなクッションにもたれかかりながら修に笑いかけた。
御腹が重くなってきて完全に仰向け状態になるのがつらいと話したら史朗が早速気を利かせて用意してくれたものだった。

 「紫峰の外で育った雅人にとって本当に心許せる者は僕しかいないんだよ。
だから僕の傍から離れようとはしない。
この頃ちょっと史朗には心開いてきたようだが…。 」

 笙子の丸い御腹をいとおしげにそっと撫で擦りしながら修は笑顔を見せた。
たまにしか会えない笙子の御腹は見るたびに膨らんでいって本当に不思議だ。
新しい命は確かにここで育っている。

 「僕もここに居たことがあるんだよ…。 きみと同じだね…。 」

 修は御腹の子に向かってそう話しかけた。
笙子はそんな修の様子をまるで我が子を見る母親のような眼差しで見つめていた。
 実子かどうかも分からないのに生まれる前から溢れるような愛情を注いでいる。
笙子の御腹に手を触れるときの修の幸せそうな顔が笙子の心にも満足感を与える。
笙子はそういう修を心から愛しく思った。

 愛しいけれど時々思いっきり苛めたくなる…少年のような心を傷つけて弄んでその反応を確かめたい…。
 笙子のサディスティックな悪戯は愛情の裏返し…そのことは修にもよく分かっていてこれまでも他人を巻き込んだりしなければ甘んじてそれを受け入れてきた。
  
 ところが最近では雅人がまるで修の保護者にでもなったかのように笙子の悪戯を手厳しく叱りつけるので笙子も少し手控えざるをえなくなっている。
そのせいでちょっとばかり欲求不満だったところへ頼子の出現でまたまた悪戯心がむくむくと湧いてきたのだった。
 
 「修…その気があるならさっさと行動にでなさい…。
ぐずぐずしてると鈴さんの時みたいにまた誰かに寝取られるわよ…。 」

笙子の口調は穏やかだったが毒を含み、修はまたまたきたかと…うんざりした。

 「笙子…頼むからほっといてくれないか…。 僕も疲れた…。
もし縁があるならそうなるだろうし…なければそのまま…それでいいだろ。 」

 修は大きな溜息をついた。  
笙子は不承不承ながら…お好きなように…と頷いた。

 

 相変わらず部屋の中で圭介が持ってきてくれる情報だけを頼りにあれこれと考えるだけの生活が続いていて敏はいい加減辟易していた。 

 店回りをしている久遠の代理人というのが若い女であることは分かった。
おそらく佳恵だろう。昭二がいろいろと教え込んでいたから…。
佳恵が勝手に動くわけがないから久遠は必ずどこかにいるはずだ。
元気だといいのだが…。

 扉の外で何か話し声がした。
聞き耳を立てていると敏を閉じ込めていた扉が開いてあの男が姿を現した。  

 「あんた…いつまで俺を閉じ込めておくつもりだ…? 」

敏は不愉快そうな声で訊いた。男はそれには答えなかった。

 「久遠を…久遠を連れ戻して…。 ここに連れて帰って…。 」

まるで子どもが何かをねだる時のような言い方で男はそう言った。

 「久遠は紫峰家にいる…。 どんな手を使ってもいい。
久遠を僕から奪っていこうとするあの瀾という子を殺して…。

 邪魔をするなら紫峰の連中をみな殺しにしてしまっても構わない…。
必ず久遠を取り返してきて…。 」

 その口調に敏は戸惑った。誰なんだこいつ…樋野のお偉方の中にはいなかった。
久遠を僕から奪う…? 何のこっちゃ?
正直…敏はこの男が何か妙な考えに取り付かれているのではないかと疑った。

男はきちんと帯つきで束ねられた万札を敏の前に放り出した。

 「前金…久遠を連れ帰ってくれたら海外へ脱出させてやるよ。
当分暮らせるだけのものは持たせてやる…。 
断ることは許さない…僕にはおまえを殺すだけの力がある…。 
圭介たちをつけてやる…必ず久遠を…。 」

 敏はぞっとした。ちょっと見た感じ…男は穏やかで美しい容姿の持ち主だ。
だが口を開けば久遠…久遠…狂気のような執着心。
こんなところへ久遠さんを連れ帰って大丈夫だろうか…?
敏の胸に不安がよぎった。

  

 久遠から借りた写真を手に部屋に籠もっていた雅人は久遠から教えられた人物の拡大写真を作って出てきた。
ちょうど通りがかった隆平にその写真を見せた。

 「隆ちゃん。 この人分かる? ちょっとピンボケだけど…。 」

隆平はじっと写真を見つめた。

 「久遠さん…みたいだけど…。 ちょっと違うかなぁ…線が細いし…。 」

 透が何事かと近づいてきた。
雅人は透にも同じ質問をした。

 「久遠さん…もうちょっと若い時の久遠さん…痩せてるし…。 」

 透はそう答えた。
ふたりともまったく別人とは思わなかったようだ。
雅人は我が意を得たりとばかりに気分を良くした。

 「俺が何だって? 」

 居間の方から久遠の声がした。
雅人は久遠にもその写真を見せてみた…。
久遠はじっと食い入るように写真を見ていたがやがて呟くように言った。

 「お袋の遺影にそっくりだ…。 あれもピンボケではっきりはしてないんだが…親父に見せたら確認できるかもしれない。 」

 どうして…?と久遠は不可思議に思った。
翔矢とはそれほど濃い血の繋がりを持っているわけではない。むしろ薄い。
 それなのに他人とは思えないほど久遠にも似ている。
直接会った時には自分に似ているなどとは思ったこともないのだが…。
 樋野の伯母の実家は樋野とは遠縁にあたるからどこかで繋がってはいるだろうけれども、あらためて他人がこれだけ似ていることを知ると何だか薄気味が悪い気がした。
 
 「まあ他人の空似ってやつがないわけじゃないけれど…これはやっぱり意味を持ってると思うんだ…。 
今週の舞の教室の時に城崎さんにも来てもらって確認して貰おうよ。 」

雅人は久遠にそう持ちかけた。久遠も無言で頷いた。

 「でもなぜこんなことに気が付いたんだ…? 」

久遠は不思議そうに雅人に訊ねた。

 「気付いたのは修さんだよ…僕はただ方法を考えただけ…。 」

 雅人はそう言って笑った。
ふたりがあの時そんな会話をしていたようには見えなかった。

 「だいたい分かるんだよ。 
修さんがあんたに訊ねた内容を聞いていれば修さんが何を考えているか…。
心閉ざしていない時には…だけどね。
修さんにも僕の言いたいことが分かる…。 」

 ふうんと久遠は感心したような声を上げた。
久遠にも読もうと思えば人の心を読み取る力は存在する。
 しかし、兄弟のように生きてきた昭二との間にさえ、それほどツーカーな意思の疎通はなかった。

 「それは…紫峰の持つ特殊な能力なのか? 」

 久遠は真剣に訊ねた。
雅人は笑いながら首を横に振った。

 「とんでもない…ひとえにこれは僕の愛の力よ~。
修さんの愛情を得るためにはそれなりの努力と才知が必要なわけ。
 生まれた時から修さんに育てられている我が子同然の透の向うを張っていこうとすれば、好き嫌いの感情だけじゃどうにもならない。
役立ってこそなんぼのもんよ~。 」

久遠は呆れて目をぱちくりさせた。

 「おまえ…婚約者がいて…そのうえ年上の女に手え出してもうじき親父になるとか聞いたぞ。
それでこと足りずに修とも…とんでもないやつだな…。」

 「うふふ…修さんにとっては迷惑な話だろうけれど時々襲ってます。
よかったら久遠さんも襲ってあげるよ~。 」

 遠慮しとくよ…久遠はそう答えながらも雅人の真意を探っていた。
こいつ口では軽いことを言っているが相当な曲者だ。
 閨房のこともただの遊びではないだろう。
修との駆け引きの手段として利用しているに違いない。
そうなると…史朗よりも一枚上手だな…年若いくせに…。

 雅人は意味ありげな笑みを浮かべながら久遠を見つめている。
まだ大人になりきっていないはずの雅人にそうした老成した力が備わっていることを久遠はそら恐ろしく感じた。




次回へ