徒然なるままに…なんてね。

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ほとんど…小説…だったりも…します。

最後の夢(第五十六話 鬼を生み鬼に苦しむ)

2005-12-21 11:46:31 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 敏と圭介が何ら戦果なく戻ってきても翔矢はそのことで彼らを取り立てて責めようとはしなかった。
 むしろ…そうなるだろうとすでに予知していたように見受けられた。
敏はそうした翔矢の能力に樋野というよりは城崎に近いものを感じた。

あの障壁を打破する方法…敏は樋野の祭祀の館に帰ってからもそればかりを考えていた。

あの障壁は必ずしも常時張られているわけではあるまい。
障壁を張ることができる能力者が屋敷に存在する時に限られているだろう。
あれほどの力がそう何人もの能力者に使えるとは考えられないから、せいぜいひとりふたり…。

しかしあれより弱い力でも相性のいい何人かの力を複合すれば結構あれと近いようなものができてしまうかも知れない。
何れにせよ…紫峰家に侵入するのは楽ではない。

ならば…こちらが紫峰の屋敷に侵入するよりはあちらから出てきてもらう方が効率的か…。

だが…どうやって…?

相手は久遠だ…。たとえ誘い出したとしても捕まえるのは難しい。
何とかおとなしくしていてくれればいいが…。

 そこまで考えて敏は自分がとんでもない事をしようとしていることに気付いた。
久遠を捕まえる…? どうして…?
久遠を城崎の家に帰らせることが敏の目的だったはずではないか…?

 そのために瀾の母親を殺し瀾の命をも消そうと狙っていたのではなかったか…?
それがなぜ…久遠を捕まえて樋野に戻そうとしている?
久遠は晴れて城崎に戻ったというのに…。

言いようのない恐怖が敏に襲い掛かった。

俺は…正気だろうか…?
昭二を殺してしまった上に…久遠をまた不幸の檻に閉じ込めようとしている…。
何の疑いも持たずに自分の意思とは逆の方へ向おうとしている。

今確かに行動の矛盾に気付きながら、どうしても歯止めの効かない自分自身に敏は頭を抱えその場に蹲った。



 おまえを再び樋野に連れ戻そうとしている…と樹が言った時、久遠はそれが翔矢の仕業のように思えて仕方がなかった。
 久遠が樋野を出る事は樋野の長である伯父が認めたことだ。
その意に反して動くとなれば長に対抗できるほどの権力者でなければならない。
翔矢なら後継者としてそのくらいのことはできる…。

 だが…なぜ…?
久遠を連れ戻して翔矢はどうしようというのだろう。
久遠は翔矢の気持ちを量りかねた。

 穏やかでおとなしく優しい翔矢…だがその心の奥底に殺人を計画するほどの残虐性を秘めている。 

久遠はふと樹のことを思った。
 樹は冷酷で残虐な面を持っていると雅人が言っていた。
久遠が修の過去を読んだ時には樹は限りなく慈悲深く気高い人のように思えた。
どちらが本物の樹の姿だろう…? 

 普段穏やかで温かく慈愛と自己犠牲の権化のような修が樹になると突然変貌する…その点からすれば修は冷酷な樹の魂に憑依されていると考えられる。
或いは別人格の樹が修の中に存在するという可能性もある。

 だが…もし修と樹が同じひとりの人間だとすれば…修は両極端な二面性を持つ極めて危険な存在だ…。

 紫峰家はなぜ修を危険視しないのだろう…?
修だっていつ翔矢のようにならないとも限らないのに…。
修がその気になれば翔矢の比ではない…世界を滅亡させることだって可能だ。
紫峰一族が修に絶対的な信頼を置いている根拠はどこにあるのだろう…?
久遠はそれを探ってみたい気がした。
 
 

 黒田のオフィスの前でベルを鳴らすのをしばし躊躇いながらも、久遠は意を決してボタンを押した。
 弟瀾と久遠自身に惜しみなく力を貸してくれている紫峰家に対してどれほど失礼な行動に出ようとしているかは十分承知していた。

 黒田はベルが鳴るとすぐに顔を出したが予期せぬ客に少し戸惑った様子だった。
それでも機嫌よく久遠をオフィスの中へ迎え入れてくれた。

 勧められるまま久遠はソファに掛け、もの珍しそうに部屋の中を見回した。
従業員は階下の本社の方で仕事をしているため、ここは黒田のプライベートなオフィスである。
時々場違いな連中が出入りしても誰も不審には思わなかった。

 「で…どうしたんだね? どこか具合でも悪いのかね? 」

久遠のためにコーヒーを淹れながら黒田は訊ねた。

 「樹の…樹の御霊ことについてお伺いしたいのです。 」

 久遠は躊躇いがちに言った。
樹の御霊に触れることはいわば紫峰の中枢に触れることでもある。
 それは礼儀として他家の者が最も慎むべき行為であるにも拘らず、久遠は今そのタブーに抵触しようとしているのだった。

 「俺には樹から修に変わるその瞬間を感じることができます。
ですが…それはどう考えても表面上のことのようで修の根本が変化しているようには思えないのです。
 つまり別人格には感じられないということ…。
同じ人格なら修と樹をわざわざ区別する必要があるのですか?
区別しているのは修自身ではなく周りの人たちのようにも思えるのですが…。 」

 無言でコーヒーカップを差し出し、黒田は久遠の向いの椅子に腰を下ろした。
ひとつ大きく溜息をつき、しばし宙を見つめ何か考えているようだったが、やがて重い口を開いた。

 「久遠…。 他家の者が余計な口を挟むな…と長老衆なら怒り狂うところだが…まあ…俺はこういう性格だから別に咎めはしない。

 結論から言えば樹と修は同一人物だよ。
多重人格でも樹が修に憑依しているわけでもない。

 生まれ変わりというものが現実に存在するのかどうかを証明することはできないが…修が樹の記憶を持って生まれたのは確かだ。 」

御無礼の段御許しください…と久遠はまず素直に非礼を詫びた。

 「別人格のような態度にでるのは…芝居だと? 」

そう訊かれて黒田は違うと言うように首を横に振った。

 「紫峰にとって樹の御霊は祖霊の中でも最も位の高い尊い方で、宗教色の薄い紫峰家にあっても千年神と呼ばれるほど特殊な存在だ。
その千年神が修として甦ったことに長老衆は驚喜した。

 当然…修は人間扱いをされない。
修自身は普通に生まれ普通に育ちたかったのだろうが…。

 当時紫峰家は先代宗主一左が眠らされ続けた暗黒の30年の真っ最中で、長老衆にとっても悪鬼三左に対抗する者として修にはどうしても千年神さまでいてもらわなければならなかった。

 悪いことに修を護るべき肉親は次々と三左に殺され…修はたった5歳で紫峰一族を背負うことになってしまった。

 紫峰一族が束になってもどうしようもなかった悪鬼三左の正面にただひとり立たされた修の恐怖と孤独…想像を絶するものがあったことだろう。

 修は生き抜くため戦うため子どもである修を自分自身から切り離した。
千年神である修=樹を残し、人間である修を封印した。
 三左の前ではその正体を隠し静かでおとなしく穏やかな少年であるように努めながら、長老衆に対しては秘かに千年神として君臨していた。

 幼児期からいくつもの顔を使い分けてきた修にとって修と樹の顔が違うことくらい当たり前のことなんだ。 」

幼児期から…とんでもない人生だ…と久遠は思った。

黒田はコーヒーを飲んで一息ついた。 
 
 「樹の御霊に礼を尽くすのは紫峰の者としては当然のことなので、修が樹である時にはそれなりに言動を慎み修とは別格の扱いをする。
そのことがおまえには不思議に思えたのだろう。

 透たちを育てるようになってから少しずつ人間修を復活させてきたが、それでも幼児期から青年期にかけての最も大切な時期に封じ込められてしまった修の心には大きな弊害が残った。
それが唐島のことと重なり合って修を苦しめる要因になっている。
そのことがさらに樹の御霊の持つ冷酷さや無慈悲さ残虐性に輪を掛けていることは確かだろう。

 だが…それは生き抜くため…紫峰一族を滅ぼさぬため…何よりも子どもたちを護り抜くために心に鬼を飼わざるを得なかった修の悲しい宿命だ。
 きれいごとばかりでは命懸けの戦いには勝てない。
だから…紫峰では修を畏れながらも修に絶対的な信頼を置き、無条件の服従を誓っている。

修は樹の御霊…生まれ変わりである…とすでに長老衆によって宣言されている。
 
 それが真実であったとして…たとえ同じ魂を持っていても育った環境が違えば自ずと人間性も変わってくる。
それゆえに…修は樹だが樹は修ではないと言えるかも知れないな…。 」

 樹の冷酷さと残虐性は修が後から作り出したものなのか…。
それも修が紫峰一族を…子どもたちを…護りぬくために…。

 久遠は我が身を振り返った。
鬼を生み鬼に苦しむ…俺に修ほどの覚悟があるだろうか?
城崎が攻撃の的になっている今…俺は鬼になれるだろうか…?
もし…敏や圭介たちと正面きって戦うことになったら感情を捨てられるだろうか?

冷酷に自分の血を分けた兄弟であるかもしれない翔矢を断ち切れるだろうか…?

久遠は予想もしていなかった事の成り行きに言い知れない戦慄を覚えた。
 



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