徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

最後の夢(第五十三話 突然の衝動)

2005-12-15 23:29:46 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 舞の教室は週に一度開かれている。これは一般向けのもので、隆平や瀾、小峰の健太や雄太に関してはまた別枠が取られている。
 頼子は勿論一般向けの教室に通っていた。
頼子の他には舞の初心者はいないのでついていけるかどうかが懸念されていたが、若い頼子は教室の雰囲気にはすぐ慣れ、親以上に齢の離れた先輩たちに可愛がられて結構いろいろ教えて貰い、何とか無事続けられそうに思われた。

 稽古が終わって他の生徒が帰ってしまった後、頼子は洋館の方へ向かった。
今日は城崎が久遠と会う約束をしているというので、頼子はその時間に城崎とそこで落ち合うことになっていた。

 洋館の居間にはまだ誰も来ておらず、久遠がいないかと部屋に行ってみたが留守のようだった。
 約束の時間までにはまだ随分と間あるので無理もないが、他人の家でひとりきりでいるのはなんとも心細かった。
 
 多喜が気を利かせてお茶やお菓子を出してくれたが、ひとりでお茶を飲むのもなんとなく味気なかった。
 洋館までの道が寒かったせいか暖房の部屋で熱いお茶を飲むと身体が火照ってだんだん眠くなってきた。
うつらうつらしている内にいつの間にか眠ってしまった。

 どのくらい眠ったのかパソコンのキーを叩く音の中で目を覚ました。
頼子の身体には毛布が掛けられてあり、文机でいつものように仕事をしている修の姿が見えた。

 「ご…ご免なさい…。 つい眠ってしまって…。 」

 頼子は慌てて起き上がった。
時計を見るとそれでもまだ30分くらいしか経ってはいなかった。

 「いいよ…別に…。 久遠も城崎さんも少し遅れると連絡があったし…寝てて構わないよ。 」

 修はこちらも見ずにそう言った。
寝てていいと言われても…頼子は毛布の下の自分の姿に気付いて顔を赤らめた。
稽古用の着物のまま寝乱れた姿はさぞしどけなく修の目に映ったことだろう。
またとんでもない姿を見られてしまった…頼子は情けなくなった。

 「みっともないところをお見せして…。 」

頼子は恐る恐る言った。修はチラッと頼子の方へ顔を向けて笑みを浮かべた。

 「どういたしまして…なかなかに色っぽいお姿を拝見しました。 」

 頼子の頬が紅く染まった。
恥ずかしそうに押し黙ってしまった頼子を見て修は何か悪いことを言ってしまったのかな…と思った。

 「…気に障った? 」

 修は頼子の傍まで来て膝を突き心配そうに顔を覗き込んだ。
頼子は首を横に振った。なぜかぽろっと涙が落ちた。

 「あたし…宗主に…失礼なことばかり…。 
旦那にきちんとしてなきゃいけないって…いつも言われてるのに…。 」

涙はやめてくれ…修は天を仰いだ。   

 「ごめん…言い方が悪かった。 」

 おそらく城崎が礼儀や行儀作法について厳しく言い聞かせ、何処に出しても恥かしくないように頼子を躾けているのだろう。
頼子はそれに真剣に従おうとしている。 健気と言うべきか…。

 「でも…僕には気を使わないでもいいよ。 僕はきみの先生じゃないし…。 
居眠りくらいどうってことないんだから…。 」

頼子が上目遣いに修を見つめた。

 「礼儀と作法は時と場所を選んで用いたらいいのさ…。
素のままのきみがいい…。 僕には飾らない姿を見せて…。 」

 そう言いながら修は何か自分がとんでもない事を口走っているような気がした。
まるで求愛じゃないか…。 おい修…まじかよ…。
城崎の細工でも笙子の悪戯でもない…これは僕自身…まいったな…。

 唇を重ねると後はまるで吸い寄せられるように修の身体が頼子の豊かな肢体を求め始める。
 ところが心の中では冷静な自分がこの唐突な性衝動に頭を抱え込んでいる。
嘘だろ…なぜ今? なぜ…頼子を?
 心の制止命令に反して身体は欲求を深める。こんな馬鹿なこと…。
どうしようもないジレンマに苦しむ中で肉体と精神の葛藤がまた修の胃を刺激し始めた。

背後で咳払いの声が聞こえた。雅人の気配だ。
 
 「お邪魔だったかなぁ? 」

 正直…助かったと修は思った。危機一髪の冷や汗ものだ。
頼子は慌てて居住まいを正した。

 頼子の見ている前で修はいきなり口元を抑え、背後の雅人を突き飛ばさんばかりの勢いで部屋を飛び出していった。

 「ど…どうなさったんですか? 」

目の前で起きたことが理解できずに頼子は雅人に訊ねた。

 「気にしなくていいよ。 宗主はそっち方面の行為が苦手で時々ゑずくの。
いつもってわけじゃないからベッドに誘うのは構わないけど…気分悪そうだったら無理させないでね。 」

 雅人は何でもないことのように頼子にそう話した。
頼子は雅人があまりにあっけらかんと言うので特別な感慨もなく、ああそうなんだ程度に受け取った。

 「きっとすごく繊細で神経質なのね…。 どおりで晩熟だと思ったわ。
分かりました…今度から気をつけます。 初心者マークつけとこう。
何だかますます可愛くなってきちゃった…。 」
 
 頼子は笙子そっくりな笑みを浮かべた。
雅人はやれやれというように肩を竦めた。とうとう蜘蛛の巣に引っ掛かった…。
 女は魔物だ…修さんはもう頼子さんから逃げられないね。
戻ってきた修の複雑な表情を見ながら気の毒そうに雅人は笑った。



 雅人が作った写真を手にした時、城崎は動揺を隠せなかった。
30何年もの昔に亡くなった恋人がそこにいた。

 「これはどういうことだろう。 陽菜だ…。 間違いなく陽菜の写真だ…。 」

城崎は久遠を見つめてはっきりと断言した。 

 「でも父さん…これは母さんじゃないんだ。 翔矢といって樋野の伯母の妹の子なんだ。 
 伯母の家も樋野と血の繋がりは確かにあるけれど、ほとんど他人と言ってもいいくらいの関係の男がここまで似ているのは不思議だろ? 」

久遠が言うと城崎は確かにそうだ…と頷いた。

 「城崎さん。 久遠が生まれたときの状況を詳しく話して頂けますか? 」

 修がそう頼んだ。
城崎はしばらく思い出そうとするかのように目を閉じていたが、やがてゆっくり語り始めた。

 久遠を身籠ったと分かった頃から陽菜の体調は思わしくなく、医師の勧めで臥せっていることが多かったが、御腹が大きくなると頻繁に早産しそうになり、大事をとって樋野の実家に戻った。

 当時はまだ親の許で仕事を覚えている最中だった城崎は通院の時も樋野に戻ってからもめったに陽菜と一緒にいてはやれなかった。
 それでも時々は訪ねて行っては子どもの名前をふたりで考えたりもしたが、いつも城崎の親からの急な呼び出しがあり、すぐに帰らねばならなかった。

 城崎の親は用事があって息子を呼び出しているわけではなく、息子が樋野の娘の許に長くいることが気に食わないだけだった。

 そんな状態だから陽菜の容態が急変して久遠が早産で生まれた時も立ち会うことができず、やっと陽菜と久遠に会えたのは翌日になってからだった。
 陽菜は出産で力を使い果たしたのか城崎の顔を見ると力尽きたように人生の幕を閉じてしまった。
子どものことをくれぐれもと城崎に頼みおいて…。

 「陽菜が不憫で…久遠が不憫で…私は長いこと泣き暮らしました。
しかし…遺された久遠を何とか立派に育てて城崎の後継者にすることが陽菜に報いることだと心に決め、それからの私の人生のすべてを久遠を育てることに捧げてきたつもりです。
 あんなことがなければ…今でもそうしていたことでしょう。
私の愚かな過ちのせいで…久遠を城崎から追うようなことになってしまって…。」
 
 城崎は悲しげに久遠を見つめた。
久遠は穏やかに微笑んだ。

 「でも…俺は戻ってきた…。 もうじき父さんの傍に帰るから…。 」

城崎は嬉しそうに目を細めて何度も頷いた。

 「出産の時に何か異変が起きたとか…そういう話は聞かれていませんか? 」

 修が訊ねると城崎は首を傾げ何も聞いていないと答えた。
自分の考えをふたりに話すべきかどうかを修はしばし考えていたが意を決したように口を開いた。
 
 「陽菜さんの体調その他の状況を考えるとその出産は妊娠したその当初から相当な負担を陽菜さんの身体に与えていたものと考えられます。

 通常の出産でもそれは起こり得ることなので…これは僕の想像の域を脱しませんが…多胎児の場合はその危険性がさらに増すと言われます…。 

 翔矢は久遠の兄弟…双子だったのではないかと思うのです…。 」

 修は自分の思うところを述べた。
そこにいた者たちはみな愕然として修の顔を見た。
久遠も…城崎も知らない秘密が本当に存在するのか…。

 馬鹿な…久遠は衝撃のあまり立ち上がった。
翔矢が…兄弟…。

 修は久遠に向かってそうだ…と頷いた。
想像どころかまるで…すでにそのことを確信しているかのように…。




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