午前中は晴れ間もあって、家人と藤沢まで買い物に出かけたりしたが、昼から徐々に
どんよりとした雲が広がって、午後遅くになって、とうとう雨が落ちてきた。
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記念艦三笠が今の状態に復元されて、今年で50年になるのだそうだ。
それを記念して、今年の5月27日(金)かつての海軍記念日に式典が行われる。
三笠保存会の終身会員である私にも、その案内と記念品が届いた。
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記念品は三笠保存会の会員徽章でもあるZ旗のピンバッチ。
入会した時にもらった、カフスとネクタイピンもZ旗だから、とにかく会員の持ち物は
Z旗だらけである。
海軍記念日はもちろん、現在は休日ではないから式典やパーティには参加しないが
もし参加するなら、これらの小物を身に付けて行くべきものなのだろう。
実はこの海軍記念日は、日本海海戦を記念した日で、毎年三笠では記念式典を
行っている。今年は復元50周年ということもあり、例年より盛大に行われる。
記念講演(21日)や、記念演奏会(14日:海自音楽隊、米海軍音楽隊)なども行われた。
三笠はポーツマス(英国)に保存されている「ビクトリー」、ボストン(米国)に
保存されて いる 「コンスティチューション」と並ぶ、世界三大記念艦として
横須賀市三笠公園に保存され、艦内には日露戦争の頃の物品の展示もある。
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今でこそ、明治時代の姿を取り戻して、世界三大記念艦の面目躍如といった処だが
二次大戦後の昭和22年ころには、主砲もマストも取り払われ、デッキには
米軍用のダンスホール、水族館まで出来ていて、今の面影もなかったらしい。
当時の新聞では、ペンペン草が生えそうだとか、海軍に寄生して生きてきた
横須賀市そのものまで「ウジ虫」扱いの書きっぷりで、かつて、日本をバルチック
艦隊の脅威から救った三笠も、軍国主義払しょくに躍起な雰囲気の中で
敵扱いだったようだ。
連合軍の中でロシアなどは、あろうことか三笠をスクラップにして廃棄せよと
強硬に主張していたらしい。ロシアにしたら明治時代の汚点だろうからね。
しかし、そんな中でも米軍のニミッツ元帥など、米英の関係者の三笠を復元せよ
との熱い声に動かされて、ようやく昭和32年ころに復元のための三笠保存会が
出来て、復元されることとなったのです。
ニミッ元帥は東郷を尊敬していたらしく、東郷戦法を用いて日本海軍と戦ったが
日本に来て、三笠のあまりの荒廃ぶりに憤慨し、雑誌へ原稿を寄せた。
そのことが三笠保存の運動の広がるきっかけになったそうだ。
いつも言われることだが、どうも我が国民性は、外圧に弱い。もしかすると
三笠保存を強く願った人たちの中で、米軍関係者にコネのあるものがいて
東郷を師と仰ぐニミッツ元帥を利用したのかも知れない。
いずれにせよ、「まことに小さき国が、開花期を迎えようとしていた」時の
情熱とロマンまで感じることのできる、三笠である。
もし、あの時バルチック艦隊が日本海軍を撃滅していたら、今頃我々はロシア語を
しゃべっていたかもしれない。独立を守り、列強のテーブルの末席につけるように
なった、民族として記念すべき勝利のシンボル、三笠である。
訪れたことがない方は、是非一度足をお運びください。
どんよりとした雲が広がって、午後遅くになって、とうとう雨が落ちてきた。
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記念艦三笠が今の状態に復元されて、今年で50年になるのだそうだ。
それを記念して、今年の5月27日(金)かつての海軍記念日に式典が行われる。
三笠保存会の終身会員である私にも、その案内と記念品が届いた。
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記念品は三笠保存会の会員徽章でもあるZ旗のピンバッチ。
入会した時にもらった、カフスとネクタイピンもZ旗だから、とにかく会員の持ち物は
Z旗だらけである。
海軍記念日はもちろん、現在は休日ではないから式典やパーティには参加しないが
もし参加するなら、これらの小物を身に付けて行くべきものなのだろう。
実はこの海軍記念日は、日本海海戦を記念した日で、毎年三笠では記念式典を
行っている。今年は復元50周年ということもあり、例年より盛大に行われる。
記念講演(21日)や、記念演奏会(14日:海自音楽隊、米海軍音楽隊)なども行われた。
三笠はポーツマス(英国)に保存されている「ビクトリー」、ボストン(米国)に
保存されて いる 「コンスティチューション」と並ぶ、世界三大記念艦として
横須賀市三笠公園に保存され、艦内には日露戦争の頃の物品の展示もある。
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今でこそ、明治時代の姿を取り戻して、世界三大記念艦の面目躍如といった処だが
二次大戦後の昭和22年ころには、主砲もマストも取り払われ、デッキには
米軍用のダンスホール、水族館まで出来ていて、今の面影もなかったらしい。
当時の新聞では、ペンペン草が生えそうだとか、海軍に寄生して生きてきた
横須賀市そのものまで「ウジ虫」扱いの書きっぷりで、かつて、日本をバルチック
艦隊の脅威から救った三笠も、軍国主義払しょくに躍起な雰囲気の中で
敵扱いだったようだ。
連合軍の中でロシアなどは、あろうことか三笠をスクラップにして廃棄せよと
強硬に主張していたらしい。ロシアにしたら明治時代の汚点だろうからね。
しかし、そんな中でも米軍のニミッツ元帥など、米英の関係者の三笠を復元せよ
との熱い声に動かされて、ようやく昭和32年ころに復元のための三笠保存会が
出来て、復元されることとなったのです。
ニミッ元帥は東郷を尊敬していたらしく、東郷戦法を用いて日本海軍と戦ったが
日本に来て、三笠のあまりの荒廃ぶりに憤慨し、雑誌へ原稿を寄せた。
そのことが三笠保存の運動の広がるきっかけになったそうだ。
いつも言われることだが、どうも我が国民性は、外圧に弱い。もしかすると
三笠保存を強く願った人たちの中で、米軍関係者にコネのあるものがいて
東郷を師と仰ぐニミッツ元帥を利用したのかも知れない。
いずれにせよ、「まことに小さき国が、開花期を迎えようとしていた」時の
情熱とロマンまで感じることのできる、三笠である。
もし、あの時バルチック艦隊が日本海軍を撃滅していたら、今頃我々はロシア語を
しゃべっていたかもしれない。独立を守り、列強のテーブルの末席につけるように
なった、民族として記念すべき勝利のシンボル、三笠である。
訪れたことがない方は、是非一度足をお運びください。