向かいの爺さんは95才。背中が曲がってきたが、今でも冬は雪が降っていようが晴れていようが、少なくとも日に三度は外に出て雪と共にいる。我が家の2階の窓からその姿が目に入ってくる。
道路、通路の雪を撥ねるか庭箒で掃いている。声を掛けると「いゃ~まいったぁ。」と言いながら顔は笑っている。
隣のおばちゃんは80才は過ぎている。この時期になると「氷割りが大好き。」と家の前でツルハシを振るう。秋田生まれの小柄で“働き者”という言葉がぴったりの人だ。
先日は「やっていいかい。ゴメンネ。」と言いながら我が家の前をひと足早く春にしてくれた。リズムがあって休まない。ついて行くのが大変だった。
二人からは科学的に鍛えたスポーツのパワーとは違った、人間が自然に備えている素朴な力を感じる。生活の中で培ったしぶとさだ。
ある時聴いてみた。爺さんもおばちゃんも偶然にも若い頃は鉄道の「保線」の仕事をしていたという。父親が国鉄のSL機関士だったのでまさに奇遇だ。
小さい頃、「保線は力仕事で特に冬は大変なんだ。保線の人がいなければ汽車は動かない。」とよく言っていたことを想い出す。
雪が融けて春の訪れと共に二人の姿を見かける回数が減った。時々、家の前で元気な姿を見るとホッとする。
いや、実はこちらがまだ寝ている夜も明けやらぬ時間に家の周りの片付けをしているのかもしれない。若かりし頃の鉄路の見回りのように。
爺さんは家の前を通学する子ども達によく声をかけている。おばちゃんは犬の散歩と花壇づくりに井戸端会議だ。
老人の一人暮らしの見守りのことが言われる。二人から歳の重ね方を教わっている幸せを感じることがある。
《春分の日》