2024.11.16
9月に間質性肺炎で急逝した高校時代の友人Kの49日が過ぎ、芦別までお参りに行く途中、滝川市でラーメン店を営む中学時代の同級生Nのところへ寄った。葬儀で久しぶりに再会して以来だ。
Nは高校へ進学せず就職したので我らが3人は中学が接点だ。
予め店に電話し、関係を告げるとNとそっくりの声で「息子です。父はおります。」とのこと、調べておいた地図を見直して車を向けた。
住宅街に三方が窓の開放的な作りのラーメン店があった。土曜日のお昼時で家族連れで賑わう店の厨房に小柄で白髪を刈り込んだ〝ラーメン店の大将〟がいた。
忙しい時間帯なのでテーブル席にして話しかけることを控えていると、フライパンを返しながら昔のままの優しい目でこちらをちらちらと見ている。
注文した特性白みそラーメンを息子さんが運んできて間もなくNが席まで来てくれた。
「特別に作ったから食べてくれ。」という。ドンブリを眺めると味付きホタテが2個、切った半熟卵が2個乗っている。ほかのメニューとの合作だ。
これからKのところへお参りに行くことを話すと、やっぱりそうかと頷きながら、「Tは表向きは気丈にしているけれど落ち込んでいるから元気づけてきてくれ。」と短く話し厨房に戻った。
TはKの奥さんの名前で妻の友人。つまりは皆、中学時代を共有した友達同士である。
ラーメンを啜っていると年のせいか、なぜか涙が込み上げてきて妻に気づかれないようにするのが大変だった。
いろいろな想い出が体の中から沁み出てきたのかもしれない。
Nは炭坑の中学では珍しくなかった〝グレた連中〟の周辺にいたのだがどこかはにかむような優しさがあった。
中学を出てからラーメン修行をして今では滝川で2店を構える立派な〝大将〟になった。K夫婦は家族連れで芦別から滝川までよく食べに行っていたことを弔問した時にTから聞いて知った。
自分で立ち上げた会社が倒産し、Nからラーメン作りを伝授して貰って芦別で開業していた中学野球部の仲間のHも数年前にガンでこの世を去った。
普段の付き合いは殆ど無くなっていたが昔の友が居なくなることは寂しい。
Kの本名が記された位牌の置かれた仏壇に恵庭の御菓子と息子の初CDを供えた。クラッシックの大ファンで息子が所属するオーケストラがTVで放映される時は食い入るように見てくれていたらしい。
我々の話を聞いているように仏間に暫く線香の煙が漂っていることに妻が気づいたた。2時間あまり滞在し、去る時にTから「よかったら遺品を」と茶色の帽子を渡された。
外に出るとすっかり帳が下りた秋の空にまん丸の大きな月が煌々と照っていた。