内部告発問題で県議会から全会一致で不信任決議を受けて失職した知事が再選された。驚きである。
失職の原因となったパワハラの詳細がメディアで報道されていたので当選は無いだろうと思い込んでいた自分にハッと気づく出来事でもあった。
選挙を巡って様々な分析が始まっている。
既存のメディアと〝X(ツイッター)Y(ユーチューブ)ジャーナリズム〟の戦いであった。
既存のメディアは放送法の「選挙報道の公平性」の縛りで、選挙告示後はXYジャーナリズムのフェイク情報を是正出来なかった。
特定候補を応援するために立候補するという公職選挙法の想定外のことが起きた。
等々である。関係法律の改正が必要だ。
先の東京都知事選挙、アメリカの大統領選挙、そして今回の兵庫県知事選挙と続いて、SNS時代の情報は急激に巨大な波となって一気に拡大してゆく恐ろしさを感じる。
20才、30才台の7割が投票したという。
氾濫する情報に飲み込まれた人、流された人はいなかったのだろうか。
〝同情〟も起きていたという。
事実、兵庫県の選挙民の中には「選挙期間中、何が本当か分からなくなった」という声があるというし、対立候補さえ「終わってみて、何と戦っていたのか分からない」と語っている。
波は風で大きくなる。SNSが強風を引き起こすエンジンになる時代の到来だ。
詳細な分析が興味深い。
思い起こすのは100年前に、「人間は本質的に不完全なもの」と考え、積み重ねてきた歴史、文化、伝統、知識、経験を重視し、他人の意見を聴く耳を大事にしなければならないという〝保守思想〟の根本を唱えたスペインの思想家、オルテガの『大衆の反逆』の問題設定である。
「大衆」とは大量生産労働に適した均質化された「平均人」であり、数の多いことを「正しさ」の根拠に、風が吹いたらそちらに流れてゆくと言う。
オルテガはスペイン内戦時に独裁政治からの転換を巡って、右か左かの二分法を嫌い、両方を批判する言論を発表し続けていたために、どちらからも猛烈な攻撃を受け、遂にはフランスに亡命する。「大衆の反逆」である。
「大衆」が生まれる時代背景に農村から都市への人口流入と都市の工業化による人口の急増があり、オルテガはこれを「アメリカ的なもの」とみていた。
そのまま現代に通じていることを最近の選挙から感じる。
個人が情報を適切に識別し判断が下せるよう、政治とメディアは公平、公正、冷静さをどう保つか正念場と思って欲しい。注視である。
2024.11.19 一面、白くなった