先日、開拓農民であり、画家としても日高山脈など、十勝の四季折々を温かい筆致で描いた坂本直行氏のドキュメントがNHKBSで(再?)放映されていた。
東京の義理の妹夫婦宅で見ていて、「坂本家の墓」が北海道中央部の浦臼町にあることまでは話題提供したが、その経緯はすっかり忘れてしまっていた。
老化はどんどん進む。
帰宅して自転車ツーリングした時の資料を読み返した。
JR浦臼駅近くの国道沿いに「坂本龍馬家の墓」の看板が立っていて、町の博物館に資料が展示れている。
125年前の1898年(明治31年)に、龍馬の姉・千鶴の次男の坂本直寛(旧姓・高松習吉)が北見から浦臼沼の畔に入植している。
北見ではキリスト教をバックボーンにした「北光社」を設立し、浦臼でも伝道、教育、治水などの幅広い活動を展開していたようだ。札幌の円山に眠っているという。
直寛が浦臼に入植た年に龍馬の養子だった千鶴の長男の直(旧姓・高松太郎)が亡くなっていて、翌年、直の妻の留とその次男の直衛が直寛を頼って高知から浦臼に移り住んでいる。
浦臼町にある「坂本龍馬家の墓」は留と直衛のものだった。
画家・坂本直行氏と龍馬の関係はこれまで何度聞いてもよく理解出来なかったが、直寛の孫、龍馬の姉・千鶴のひ孫ということになる。
なかなか込み入っている。
この記憶は今度はいつまで持つか。。。笑
龍馬にとって、北海道開拓は一生の願いだったようで、博物館に展示されていた手紙に「一人でもやり遂げたい。」とある。
北辺の開拓と防備という先駆的な構想は後に明治時代の屯田兵制度に生かされているのだという。
龍馬が北海道移住の夢を叶えていれば、お雇い外国人に託した北海道開拓の姿も変わっていたのかもしれない。
今朝のTV音楽番組でアイヌの伝統楽器「トンコリ」をOKIさんが演奏していて、久し振りにCDを聴いていた。
唄;安東ウメ子(アイヌ文化の伝承者 1932年~2004年)
トンコリ;OKI
*イフンケとは主に女性が歌う一種の子守歌。
*もう一曲はどちらかが倒れるまで続けたことから〝心臓破りの踊り〟と言われるとか。