総務省が7日に公表した「政治的公平に関する文書」の中に「政治的公平について」(2014.11.28 総務省情報流通局)という資料があった。
どなたかのレクチャーに使われたものだろう。
そこには(政治的に公平であることの)「判断に当たっては、一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断することとなる。」と明快に書かれている。
さらに【参考】として、放送法は、〝放送番組編集の自由を保障した上で、放送番組編集準則等についても、自主・自立的な取組により担保されるべきものというのが放送法の基本的枠組み。〟と記述されている。
礒崎総理補佐官(当時)は、これらを見てさらにカチンときただろう。
ここまでは総務省も頑張っている感がある。
しかし、最近、総務省は〝解釈は変わっていない。解釈変更に圧力があったとは感じていない。〟と言い始めた。
ここから「もういい加減にして。」という世論が高まるまで長い長い与野党の戦いが始まる。
諦めてはならない。
「ねつ造だ。」「違っているところがある。」と叫ぶ高市大臣だが、実はその行政文書のとおり国会答弁に至っていることが分かる。
礒崎総理補佐官が作成したであろう6問のとおり自民党の藤川参院議員が質問し、高市総務大臣(当時)が「極端な場合は一般論として政治的に公平性を確保していることは認められない。」と答弁しているのだ。(2015.5.12 参院総務委員会)
高市大臣が、「答弁は前夜、事務方案に私が筆を入れた。」と殊更強調するわけだが、逆に墓穴を掘っている。
そして、この答弁のあった翌年、政府は高市氏の答弁を踏襲し、『番組全体を見て判断する』としてきた解釈は何ら変更はない」と明記しつつ、「1つの番組だけでも放送法に抵触する場合がある。」という見解出した。(2016.2.12 衆院予算委員会理事懇談会)
これが政治的圧力による解釈の追加変更でなくて何だろう。
今、国会の議論は、野党は2014年の総務省資料の立場で政府を追求し、政府は2016年の統一見解を盾に取った攻防になってきた。
野党はいつもの如く、どうどう巡りに引っ張り込まれたかもしれない。
放送法では「政治的公平」の観点から、視聴者はBPO放送倫理検証委員会に審議の申し立てをすることが出来るが、政府が放送事業者に〝政治介入〟することに抗する場は国会しか無い。
2016年2月12日の 衆院予算委員会理事懇談会で野党はどのような対応だったのかは分からないが、頑張りどころだ。