
身の回りのものを少しずつ処分していて、学生時代の実験ノートをぱらぱら捲っていたら、あちこちの余白に〝落書き〟があり、何と先生がコメントしてくれていた。
特徴ある字体の赤ペンが色褪せていて、時間の経過を感じさせる。
昭和46年、大学2年の秋、専門課程に入る頃だ。半世紀も経った。
当時は演習実験でもノートを提出させ、先生がチェックしていた時代だったらしい。最近は学位論文で実験データの捏造が報道されたりするが、昔は学生に科学することの基本を教育していたのだろう。

≪ある日の実験ノート -ペニシリンの力価検定-≫

≪Rugbyインカレ道予選で北海学園大に勝ったものの小樽商大に敗れて悔しい思いをしている≫

≪実験が下手くそなので畜産物製造の教室には入らないことを先生に伝えている≫笑
滞納している寮費を払うために飯場で辛いバイトをしていたことも書かれていた。
コメントの主は卒業生であり畜産物製造学教室のM教授であることがその内容から直ぐに分かった。
「要するに精神的な甘さだよ。昔、全国大会に出場した時は帯広駅ホームから人が落ちるくらい溢れたものだ。少なくとも僕の定年退職までに期待は出来るかな。」
「オヤジの肩を叩いてやったことがあるかい。オヤジの掌が意外に固くなっているいることに気が付いたことがあるかい。身体を大切に親孝行せい!」
「伝統的なRugby部員の入室に終止符を打ってくれた君の勇気に心から敬意を表します。僕は8人部屋の寮でただ一人Rugby部ではなく山に登った青春を思い出します。ピペットを逆さまに持っても社会に通用する良き時代であることを認めざるを得ません。悔いなき青春を! ! 充実した学生生活を!!そのためにはRugbyを!! 怪我するなよ。」とあった。
涙が出てきた。
大学入学で帯広へ向かう列車では若くして亡くなった同じ高校のS君と一緒だった。学生運動が激しい時代で入学式が行われるかどうかを話しているのを近くの座席でじっと聞いていて、「君たち、いつでも僕の研究室に遊びに来なさい。」とアイスクリームをご馳走してくれたのがM先生だった。
退官される前にRugby部は昭和47年に16年ぶりのインカレ出場を果たし、何とか喜んでもらえたかなと思う。
昨年、お亡くなりになったと聞いた。
今、ノートを目にしたことに何かご縁を感じる。