ウクライナ戦争でロシア軍は南東部のマリウポリに総攻撃をかけ、多数の民間人の遺体が見つかった首都キーウ郊外のブチャよりも厳しい状況になる恐れがあるという。
これからさらに凄惨な戦いの状況を目の当たりにすると思うと胸が息苦しくなる。
ニュースショーの戦闘シーンなどで「日本語による吹き替え」が行われるTV局が気になっている。
言葉は心の奥底からの感情の発露でもあると思う。
吹き替えは目の見えない人への配慮があるのかもしれないが、ではニュース番組が全てがそのようになっているのだろうか。難しい問題ではあるが。
こんな言い方は失礼かもしれないが、生きるか死ぬかの瀬戸際にいる人々の代弁方法として、安っぽい吹き替えは当事者の怒り、悲しみ、訴えを伝えるうえで適当でないのではないか。
それは吹き替えしている人の感情に過ぎないと思う。
母国語で必死に訴えている姿には字幕ーパーが相応しい。
時には吹き替えがドラマかゲームでもやっているような間違った感覚を引き起こし、現実に起きている戦争の悲劇を伝える力を失うな気がするからだ。
もうひとつ。番組で外交、軍事の専門家を「お客さま」と紹介する局がある。
「加わっていただく」「解説をお願いする」ではないかと思いながら観ている。
これはウクライナ戦争に限ったことではないが。
一つ一つの段落ごとに首が大きく縦に動きました。
確かに吹き替えの声の調子や言い方などで受け取る側の印象が変わると思いますね。
仰るように「字幕スーパー」がいいですね。
また言葉を大切にすべき放送局ですから「お客様」の表現も仰るように変更すべきだと思いますますね。