楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

栗山町 『ひなまつりコンサート』

2023年03月12日 | 日記

 

 

 

小雨が降って、家の前の道路が顔を出している。

住んでいる処は大雪も無く、今年の冬は楽だった。

今のところは。。。

でももうこのまま春に向かうだろう。

 

コロナ禍で3年間中断していた隣町の「ひなまつりコンサート」を久し振りに聴いた。

地元の実行委員会の熱意が繋がれて今年で35回目。

札幌交響楽団がずっと公演している。

 

春らしい心浮き立つような馴染みの曲ばかりで、広上淳一さんの踊るような指揮振りも楽しかった。

 

プログラムと一緒に二つ折りのしおりが入っていた。

〝小夜曲 ともだ としお〟とあり、著名な栗山町在住の詩人だ。

 

印象的な詩の一部。

- 雪よ いちばん綺麗にふるのはいつ

いちばん激しくふるのはいつ

心に いちばん静かにふるのはいつ

冬よ わたしたちを

いちばん美しく強くするのはいつ -

 

作者は14才の時に、東京から戦後北海道開拓で道北の士別に入植し、そこで20年を生き、病んで、離農し、栗山町の雨煙別をついの住処としたようだ。

士別はコメづくりの北限。開拓には大変なご苦労があったと思う。

これまで8回の開腹手術を受け、今、92才を迎え、詩を書くために好きな音楽を聴き、絵を見る人生を送られている。

 

文章の中に、「戦後北海道入植は、本当は棄民政策以外のなにものでもない政策であっただろう。それでもぼくは北海道にきて良かったと思っている。」とあった。

コンサートで印象的な詩に出会った。

 

暫くお会いしていなかった昔の職場のA先輩にも偶然に会うことができて、とても良いコンサートの日になった。

 

人生の春。

ビージーズの「若葉の頃」

 

 


「政治的公平に関する文書」 

2023年03月11日 | 日記

総務省が7日に公表した「政治的公平に関する文書」の中に「政治的公平について」(2014.11.28 総務省情報流通局)という資料があった。

どなたかのレクチャーに使われたものだろう。

 

そこには(政治的に公平であることの)「判断に当たっては、一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断することとなる。」と明快に書かれている。

さらに【参考】として、放送法は、〝放送番組編集の自由を保障した上で、放送番組編集準則等についても、自主・自立的な取組により担保されるべきものというのが放送法の基本的枠組み。〟と記述されている。

 

礒崎総理補佐官(当時)は、これらを見てさらにカチンときただろう。

ここまでは総務省も頑張っている感がある。

 

しかし、最近、総務省は〝解釈は変わっていない。解釈変更に圧力があったとは感じていない。〟と言い始めた。

ここから「もういい加減にして。」という世論が高まるまで長い長い与野党の戦いが始まる。

諦めてはならない。

 

「ねつ造だ。」「違っているところがある。」と叫ぶ高市大臣だが、実はその行政文書のとおり国会答弁に至っていることが分かる。

礒崎総理補佐官が作成したであろう6問のとおり自民党の藤川参院議員が質問し、高市総務大臣(当時)が「極端な場合は一般論として政治的に公平性を確保していることは認められない。」と答弁しているのだ。(2015.5.12 参院総務委員会)

高市大臣が、「答弁は前夜、事務方案に私が筆を入れた。」と殊更強調するわけだが、逆に墓穴を掘っている。

 

そして、この答弁のあった翌年、政府は高市氏の答弁を踏襲し、『番組全体を見て判断する』としてきた解釈は何ら変更はない」と明記しつつ、「1つの番組だけでも放送法に抵触する場合がある。」という見解出した。(2016.2.12 衆院予算委員会理事懇談会)

これが政治的圧力による解釈の追加変更でなくて何だろう。

 

今、国会の議論は、野党は2014年の総務省資料の立場で政府を追求し、政府は2016年の統一見解を盾に取った攻防になってきた。

野党はいつもの如く、どうどう巡りに引っ張り込まれたかもしれない。

 

放送法では「政治的公平」の観点から、視聴者はBPO放送倫理検証委員会に審議の申し立てをすることが出来るが、政府が放送事業者に〝政治介入〟することに抗する場は国会しか無い。

2016年2月12日の 衆院予算委員会理事懇談会で野党はどのような対応だったのかは分からないが、頑張りどころだ。


高市大臣の強気発言は本当か

2023年03月08日 | 日記

総務省が7日に公表した「政治的公平に関する文書」をパソコンでパラパラと捲っていたら、メモ類を除く報告書の全てに〝西がた(記)〟なる記載がある。

 

これは多分、文書の取り纏めをした人だろう。

情報流通行政局放送政策課のページを開いたら、それらしい人が載っていた。

 

「西潟補佐」とある。

文書は間違い無く総務省で共有されている。

 

役所ではたまに自分の名前をひらがな、イニシァルで記すこともあるので、「西がた」さんは昔から「西がた」と記してきたのかもしれない。

 

高市大臣が自身に関わる記述は〝ねつ造〟と強気の発言を繰り返している。

「西がた」さんが国会答弁出来る立場なら、是非、当時の安倍総理と高市総務大臣との電話会談内容をどのように〝聞き書き〟したのかを証言して欲しい。

全ての疑問が氷解する。

 

高市大臣は本当に安倍総理に電話をしていないのか。

高市大臣の発言内容は本当に〝ありもしないこと〟なのか。

 

役所が大臣の発言内容を歪曲して記録することは考えられない。

数人が同席していて内容は確認される。

 

野党は国会審議を拒否してでも事実を明らかにして欲しい。

高市大臣が〝辞める辞めない〟の次元の問題ではない。

国会質問まで使って法律解釈を変更するという重大な表現の自由への侵害だ。

 

PS

総理会見を仕切る内閣広報官に就任する時に、〝接待断らない女〟を自認して話題になった山田真貴子総理秘書官(当時)が骨っぽい発言をしていたことが意外だった。

 

 

 


生乳の廃棄に思う

2023年03月07日 | 日記

酪農経営が減産、飼料高騰、子牛価格の暴落という〝三重苦〟にあり、主産地の北海道も離農が進んでいるという。

搾ったばかりの真っ白い生乳を搾乳室の排水溝に流すTV映像をよく目にする。

かつて、仕事で生乳廃棄を経験したので残念で悲しいことだ。

 

役所に入った1973年頃、食紅を入れて紅くなった生乳を廃棄するというショッキングな事態が起きた。

増産基調に入っていたが消費が伸びず、〝ミルクランド北海道〟の大々的な宣伝活動が展開され、サイロにまで大きなシンボルマークが描かれた。

スナックではウイスキーの水割りならぬ〝カウボーイ割〟が登場し、関係者は在庫バターを割り当てで買って酪農家を応援した。

その後も何度か不足と過剰が繰り返されてきている。

 

農水省を擁護するわけではないが、生乳の需給調整はなかなか厄介で、古くて新しい課題だ。

北海道の酪農は牛乳・乳製品が食生活に馴染みが薄い時代に、半ば官製のような乳業工場へ原料乳供給することから始まった歴史があり、弾力性が弱かったように思う。

加えて生乳は〝生もの〟なので、複雑な価格補償制度により酪農家、乳業メーカーを輸入品との競争から守ってきた。

 

酪農には他の農産物には無い特殊性があって、受給調整に苦労が伴う。

 

◎乳牛が生産活動に入るまでに3年を要するので、増産も減産も舵を切ってから状況が変わるまで3年かかる。大型タンカーのようだ。

蛇口を捻るようには行かない。

 

◎設備投資に莫大なお金がかかる。今、100頭搾乳の牛舎施設を新築するには1億円が必要と聞いたことがある。

2014年にスーパーからバターが消えて、国の増産方針により補助事業が沢山出来きたが、減少しつつある酪農家が規模拡大で生産を担うため、多額の借入金を返済するためには兎に角、搾らなくてはならない状況に陥っている。

 

◎飲んで余るものはバター、チーズなどの「加工用」に回せば済む話しのように思われるが、加工向け(北海道は8割)は市乳向けに比べて価格が安く、国は価格補填をしているが、その量は財政と受給バランスの中で決められている。

余った生乳で作られたバターは在庫となって積み上がり、倉庫料、金利はメーカーの負担になる。昔は7ヶ月分が限界とされたが今はどうなのか。

 

◎バターを作れば脱脂粉乳が副次的に生まれる。菓子類、乳製品、食品などに使われるが価格を下げても胃袋はひとつなので急に需要が増えるわけではない。

 

◎WTO(多国間貿易ルール)で1995年から最低輸入量が生乳換算で最大13.7万トンと決められているのも堪える。北海道の減産量に匹敵する。

これは当時、自動車輸出など日米貿易摩擦を緩和するために農産物が犠牲になった一例だが、今、話題になることがない。

変更するためにはWTOの大きなテーブルに乗せなければならず、相当のエネルギーが必要になる。

 

〝酪農三重苦〟の克服は一筋縄では行かない。

しかし、生産の半分が北海道に集中し、市乳の販売シェアが広がり、企業のような大規模化が進み、食生活も変わった。

今の仕組みは複雑で堅牢に出来上がっており、制度疲労があるように思われる。

 

生乳の生産に自由度を持たせ、欧米のように「農家所得直接補償制度」により経営の安定を図る仕組みに移行する時代ではないか。

生ものだが、今の輸送技術で中国には運べそうな気もするし。

 

政治が決断すれば生乳廃棄に苦しい受け答えをしている農水省も前向きに制度設計を検討するだろう。

食料自給率が38パーセントのまま、行き当たりばったりの継ぎ当てのような政策で凌ごうとするとそのしっぺ返しは全て国民が被ることになる。

 

東大の鈴木宣弘教授が警鐘を鳴らし続けているが、岸田政権の問題意識は低い。

国民の関心を高めることが何より大切だ。

 

1970年代の映画、ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』のテーマ曲「サンライズ・サンセット」

ロシア革命前のウクライナ地方で牛乳売りをしているユダヤ人家族のつましくも豊かな暮らしを描いている。

 


イムジン河

2023年03月04日 | 日記

3月になって最高気温が5℃前後の日が多くなってきた。

庭の餌台に時折ヒヨドリ、シジュウカラが姿を見せる。

あとは彼岸荒れをやり過ごせば雪融けが急速に進んで、4月には河川敷道路で知人との早朝自転車散歩が始まる。

 

 

 

学生時代に聴いた「イムジン河」がラジオで流れていた。

懐かしい。

 

1966年にまだアマチュアバンドだった「フォーク・クルセダーズ」が朝鮮民謡と思い込んで独自の歌詞をつけて発表した。

翌1967年にプロとなってシングル盤を発売する寸前に、原作者が半島におられたという事実から在日朝鮮総連からクレームがつき、レコード会社の判断で「発売禁止」となった歴史がある。

 

その後、政治的な色合いが濃いとして放送は自粛されていたようだが、多くの歌手によって歌い継がれ、学生寮のコンパでもよく歌われていた。

2002年に30年以上を経て発売が可能になり、昨年、ウクライナ戦争を意識して新しい録音盤が発売されたようだ。

 

もし、第二次世界大戦でソ連が北方四島のみならず北海道へ侵攻していたら・・・と考えると、この歌がなお一層心に刺さってくる。

戦争は絶対にしてはならない。

 

イムジン河  朝鮮半島中央部を横切っている。

 

 

 


国会論議が緩んでいる

2023年03月02日 | 日記

通過儀礼のように衆院を通った2023予算の参議院審議が始まった。

北海道選出の立憲民主党徳永エリ議員が農業問題で食料自給率と酪農家の離農が増加している問題を取り上げていた。

酪農家はウクライナ戦争に起因する家畜用配合飼料の原料を始めとする資材の高騰と牛乳消費量の減少により経営が極めて厳しい状況に追い込まれている。

 

このことは戦争が勃発した時から懸念されていた。

ところが農水大臣の答弁は「2月24日に総理から飼料価格の抑制について指示を受けて検討している。」という恐るべき危機感の無いものだった。

 

岸田首相の答弁にも間違いがあった。

「生乳の需給調整に不可欠な加工原料乳について、補給金を出すとともに、価格下落時には国と生産者が積み立てている基金から補填する。」と答えている。

加工原料乳に対する補給金は生乳の生産費と乳製品製造コストから計算されるメーカーの生乳買入価格とのギャップに基づいて、いわゆる〝不足払い法〟により、昔から交付されている。

 

その「加工原料乳価格」も集乳している農業団体(北海道はホクレン)と乳業メーカーとの交渉で年初に決定され、市場価格のように上下動しているわけではない。

国と生産者による価格補填基金は聞いたことがない。(その昔、仕事で拘わっていた時は。)

岸田首相は配合飼料の価格安定基金と勘違いしたのかもしれない。

 

徳永議員は、答弁の確認を行わなかったし、岸田首相のアタマに生乳取引の基本中の基本が入っているのか、首を傾げるやり取りだった。

報道では出てこないようなことだし、たまたま中継を見ていて分かったこと。

中継されない国会の各委員会の質疑は殆ど分からない。

 

岸田首相が前言を翻すことが常態化している。

そもそも本人に確たる考えが無く、徳永議員との質疑のように周囲のスタッフとも意思疎通を欠いているではないか。

 

国会論議の緩み、質的低下を感じる場面だった。

選挙は大切だ。