覇王の馬券密議

中央競馬の壮大な演出劇の真実・・・ターフ裏の怪人が饒舌に説き聴かせる回顧と予想

わたしが、和田アキ子です!

2013年09月02日 11時12分54秒 | Weblog
 愈々、オリンピック・デシジョンの週となった。日本時間、日曜競馬開催の朝、未明に発表がなされる。
 
 何故、トウカイテイオー がそのちょうど1週前、「死去した」と報じられたのか。
 今週を迎え、最早明らかとなる。
 
   1991年 第58回 日本ダービー 
 
    優勝  20番 トウカイテイオー 
 
 今週、
 
       2020 オリンピック開催地 決定目前
 
       20ゼッケン でGⅠを勝利した、最後の馬 
 
 この20並びがフィットするのが、20番のダービー馬トウカイテイオーだったからである。
 この翌年、ミホノブルボンの年から、ダービーも18頭立てになり、これが最後の20頭立てのダービー、最後の20番ゼッケンでの出走馬、そして最後の20番の優勝だったのである。
 
 無論  ダービー = 東京優駿競走  である以上、2020年東京招致への、JRA最後の御訴え、これが名馬テイオーの死去である。
 
 1964年 東京五輪が第18回、2020年 この次の次が第32回となる。
 
 皇太子殿下が、この東京の1つ前、ローマ大会の1960年2月のお生まれであられるから、この皇太子殿下世代は、長らく「かつて、東京で・・」という五輪の思い出に浸り、各大会を眺めつつ人生を歩んで来たのである。
 無論、今週は、成就しようがすまいが、東京五輪の思い出を回顧する週となる。
 
 で、何故、昨日先週日曜が、和田アキ子 だったのか。
 
     昨日 9月1日 エドウィン・ライシャワー  命日
 
 わたくしは、これが左程に、大きなネタだとは思わなかったが、事実はこれが大きな素材として扱われた、小倉2歳ステークスだったのである。
 
 わたくしは、昨日の情報で、次の日付、その出来事に喚起を申し上げつつ、昨日発射した 7枠12番 ベルカント(美しい歌唱) この正体となる、ある国民的歌手を暴き、解き明かした。
 
     1989年 2月7日 
 
 そして、昨日の小倉2歳は、枠連 2-7 で決まったが、このルーツは、実はこの日御命日の、元駐日アメリカ大使にあったのである。
 
 1993年、遂にご成婚かなうことになる、皇太子殿下を見据え、中央競馬会は当然、ご成婚記念馬を準備し、待ち構えていた。それは幾年にも及んだと想像される。34歳でのご結婚、意外にも晩かったからである。1987年ダービー馬 メリーナイス とて、その1頭であったのだろう。(英語でのプロポーズの言葉は メリーミー!?) 
 
 メリーナイスの5年後、1992年 日本ダービー では、圧倒的人気薄、18頭立て16番人気 ライスシャワー が2着する。皆様、当然ご存知だろうが、
 
   ライスシャワー  結婚式の折、新郎新婦に米のシャワーを降らせ、祝福する儀式
 
 正に、ご結婚祝賀用の馬である。そもそも、皇室の世継の結婚が、目白の駅前交差点での個人的な立ち話などで決まるなどとは、一般大衆向の戯作、エピソードに過ぎず、無論宮内庁などの綿密な精査、検討、最後にはお上(天皇陛下)の御裁可を経て、ことは初めて動き出す。今上帝と美智子皇后とて、軽井沢のテニスコートでのデートの前、きちんと宮内庁筋がピックアップした、最後の5、6人の候補者、言わばファイナリストの中に、美智子様はきちんと挙げられていたのである。でなければ、会うことも、口をきくこともできない相手、間柄なのである。
 
 そして、この92年5月末のダービーを経て、翌93年の春先、ホットな話題として、皇太子妃に小和田雅子様決定の報が、列島を駆け巡り、6月のご成婚が発表された。どの時点で、このロイヤル・センターの選出、最後のお一人の決定が、どういうタイミングで為され、その後周到にスケジューリングされたものか、知る由も無いが、前年11月には、ファン期待のミホノブルボン三冠達成を阻み、このライスシャワーが菊花賞を制する。何しろ、「オレ、結婚します」と突然マスコミ前で言って決まるようなキムタクのようには行かない。先ず決定後の発表前、絶対にマスコミにすっぱ抜かれてはならない。ご婚約発表後、永すぎた春は禁物。突然、小学校のとき体育館裏でまさこちゃんとキスしたとか、留学時代に一緒にフロリダに一泊車で遊びに行ったというような男が現れ出ては大変である。無論、処女性を疑わせしめるような素材は封殺、潰しを徹底し、またご成婚ともなれば、諸外国の皇室関係者初めVIPを迎える日程、スケジュール調整、身内や近しい友人、かつての級友恩師やご近隣への口裏あわせも尋常一様に纏まる訳が無い。妹が友人の車に乗っている時の駐車違反すら、もみ消し去って置かねばならなくなるだろう。ご婚約発表の瞬間から、親族のプライバシーは厳しく制約される。人前で酔って酒を飲むことも控えなくてはならなくなる。今のような、裏ネット社会が当たり前の時代だったら、と想像すると恐ろしい事態である。
 
 要するに、こんな煩わしいことは一般社会なら真っ平だということが日常化するのである。プリンスとの甘い生活、数々の使用人を従え生涯のエレガントで裕福なお城暮らし、などと云う夢は、流石に今の日本の小学生でも見るまいが、実際、英王室でダイアナ妃が追い込まれたのも、余りに過激で間断の無いマスコミ攻勢から、さなくとも孤独な私生活まで排除を余儀なくされたからである。
 
 ま、さて。
 だからこそ、発表は1993年の春だったが、概ね、前年の秋口には人選はまとまり、後は演出にかかっていたと判断して差し支えなかろう。92年の有馬記念の折には、来年、皇室発の仰天の報道を踏まえ、その前提で メジロパーマー の逃げ切りが組まれた、と考えるのが妥当ではないか。トウカイテイオーは所詮、家康、臣下に過ぎないのである。
 
 そして、ご成婚を2月後に控えた、1993年4月25日、淀の大舞台。史上初の快挙を期待する満天下のファンの前で演じられたのは、御皇室を体現する馬とも目されたメジロの3連覇ではなく、王者交代劇だった。
 
   1993年 第107回 天皇賞・春
 
   1着 2枠 3番 ライスシャワー      的場 均
   2着 8枠14番 メジロマックイーン    武豊 
 
     ライスシャワー       ご成婚の祝い馬 
     メジロマックイーン       = 目白 待つ クイーン 
 
 無論、無敵とも呼ばれたメジロマックイーンだが、明らかに 目白(皇室)は待っている、クイーン(=後の皇后)を と云う馬名であり、もともとがアメリカの俳優の名前である。
 
 そして、このライスシャワーには、2年後1995年、再びの大仕事が委ねられたのである。
 わたくしにも思い出のレースである。
 
   1995年 第111回 天皇賞・春
 
   1着 2枠 3番 ライスシャワー      的場 均
   2着 7枠15番 ステージチャンプ     蛯名正義 
 
 日曜のレースは、実はこのレースの再現、ライスシャワーを通した、ある祝いだったのである。
 
 何故、ライスシャワー と云う馬が、2度までも春の盾の栄誉を与えられたのか。間違いなく、皇太子妃が、外務省北米局に勤務していた、外交官だったからである。
 
     小和田雅子  さん     外務省職員  父・国連大使 
                       米留学、東大卒         
 
 実に、
 
     エドウィン・ライシャワー     駐日アメリカ大使
                         妻・ハル (旧姓 松方ハル)
 
 皇太子妃が、大使を頂点とする外交官だったから、駐日大使だったライシャワーさんにちなみ、ライスシャワーでの2度の結婚祝いとなったのである。
 
 実に、この1995年の天皇賞だが、ライシャワーさんの奥様は日本人で、松方ハルさん。元首相・松方正義の孫に当たる。だから、このライシャワー大使、いやライスシャワーの相手が、松方正義 → 蛯名正義 だったのである。実に寄り添いこそが夫婦で重要であり、ひいては皇太子夫妻の夫唱婦随を歌い上げる必要がある以上、ハナ差まで迫って、蛯名が負けて見せる。
 夫人の名と同じ、ハルの盾だからこそ、このステージチャンプ蛯名の登場となったことも頷ける。
 
 1年の間を置き、2度の春の天皇賞制覇。共に 2枠3番 での勝利で、93年が相手 メジロマックイーン武豊 95年が ステージチャンプ蛯名 
 
 そして、皆様。このライスシャワーの再現が昨日の、小倉2歳だったと申し上げる根拠は
 
    ライスシャワー        飯塚好次 厩舎    いいづか こうじ
 
    和田アキ子          本名 飯塚現子    いいづか あきこ 
 
 
 何故、昨日 第33回 小倉2歳ステークス 
 
       ホウライアキコ    和田竜二     →  和田アキコ    優勝 
 
 この優勝となったのか。同じ イイズカ で、ライシャワーと和田アキコが重なり合うからであり、また、この和田アキコにJRA演出側が本当に見据えていた正体は
 
 
      和田アキ     →  小和田  
 
 この人物だったに間違いない。和田アキ子は1950年4月10日生まれで、1959年4月10日 天皇皇后両陛下の御成婚の日、誕生日がこれと合致するタレントなのである。
 
 
 2枠のライスシャワーが、武豊を破り、また 7枠を相手に 春の盾 を2度制する。
 
 この再現こそ、2枠の和田アキコが、武豊7枠を相手に 枠連 2-7 で勝利してみせる。
 
 
 そして、ライスシャワーも、和田アキコも実は同じ飯塚だったのである。
 
 
 この推論を証拠立てる証が、
 
   土曜函館 5R  2枠 2番 ハリマヤヨサコイ   的場均厩舎  5番人気 1着
 
 この 2枠での的場さんの優勝(今年5勝目) 
 そして、日曜新潟8R 次の2枠 
 
     2枠 3番 アンバサドゥール       = 大使、外交官(アンバサダー)
     2枠 4番 チャペルプリンセス
 
 実に、外交官と(結婚式の教会の)プリンセス が2枠に同居している。
 
 これこそが、皇太子妃=外交官 この一体化、即ち、雅子妃殿下を2枠に造型してあることの証、訴えだったのだと考えられる。
 
 
 実は、和田アキコ ではなく、小和田雅子 または 小和田アイコ と云う造型を為したかったのではないか。
 
 
 もう1つ、事前に読み切って、御登録の皆様にお伝えした、別の 第33回 小倉2歳ステークス の秘密。これはまた、気が向けば。
 
     1989年 2月7日 
 
 この日付と同じ、枠連 2-7 だった。わたくしは最初、アキコ と云う人物に、このレースのテーマから思いつく人物が居ないことを申し上げたが、正体が見えた今、この場に公開させていただいた。
 
 奥行きのある演出だった。
 
 さて、東京か、どうか。
 
 昨日の エドウィン・ライシャワー 最早、日本人妻を娶り、日本に住み、日本人化している人物である以上、
 
    エドウィン  = 江戸が勝つ (東京が勝利し、五輪を開催する)
 
 その ライシャワーさん だったと考えた向こう(JRA演出側)なのではあるまいか。
 
   祈! EDO WIN
 
 わたしが、和田アキコ でした。
 
 
 御登録は  
 
    sir_delacroix@yahoo.co.jp   まで
 
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 女王杯まで、また 来年ダービーまで の御優遇登録、お受けします。
 
 

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